語り部の体験紹介コーナー

東日本大震災の被災者からのメッセージです。

菊池 新之助さん 男性

その地震(トキ)◦この津波(トキ)◦あの救援(トキ)

その地震


 体験したことの無い大揺れ、客人と二人覚束ない足取りで電化製品を必死に押えた。テレビは大地震発生を放映、釜石市防災無線が3Mの津波と再三放送していた。親の言い伝えで地震の時は避難に家中の戸を開放と聞いているのでそのように行動した。客人は家が心配と車で帰宅した。貴重品や先祖傳来品を土蔵に納め扉を閉鎖し、トラックを高台に避難させた。妻が乗用車で友達と買物より戻り、道が大揺れで電線等が切断し信号も止って大渋滞と話した。妻を急いで高台の旧小学校に避難させた。隣人が家族に貴重品を持たせ、車で学校に避難させたと話され、2人で町内の被害等を見廻り、途中、向いの家附近で液状化現象が発生し、『水と砂』が吹出たと近所の人が大声で叫び、私達10名位初めて観る液状化に驚いた。


  3時半頃、只越町東方より『ゴロドカ』のような変な音が聞こえ、晴天に雷でもと不思議に思っていると同じ方向300M位に『白灰色』の変な煙のようなものが『モクモク』とあがり、押し寄せ、地震に依る火災発生かと疑った。しかし、一瞬高く道幅一杯に押寄せる波をみて皆が水飛沫『大津波』と叫び各自一目散に走った。私は足が障害なので用意の自転車で高台の寶樹寺鐘楼堂に昇った。


この津波


 真下を眺めたら津浪の第一波が液状化の所を過ぎ、市民会館を越え真黒な大海水が大音響を立てながら木造物や自動車等を呑み込んで進んでいた。


 鐘楼堂から墓地と我家氏神を通り、市役所玄関に到着すると市職員や避難者とそこに会議に来庁した自衛隊員数名おり、1名波に攫われていったと話されていた。もっと高い只越町避難道路に登ると第一波は引波となり木造物やあらゆる物を摑み投げるかのように破壊し、流失させていた。湾内の海面が高く盛り上がったと思うと第二波が押し寄せ、高く水端防潮堤を乗越え引波の上に重って落下し、逆巻く怒涛の襲来。大勢の避難者は我家や店舗が激烈流亡するのを見ても茫然と為す術無く、あまりの悲惨に驚愕、私も家と土蔵を破壊流失した。そのような状況下にあっても避難者は建物に取り残された人に大声で上階に避難するよう叫んでいる。


 波は2階の屋根を越え家屋を破壊。電線等の切断・ガスや油缶等が炸裂液体飛散、そこを ※人が流されてゆく酷さに側々無残な生地獄『阿鼻叫喚』。湾内では、大小船それに釜鉄荷捌中の5千T級外国船も流失、木の葉のように唯翻弄諸物に激突、あらゆる物が脅威の大音響を発し船は湾南側の石油貯蔵施設に突き当り、二次災害火災発生を惹起しないよう多くの方々が念じた。此の悲惨な状況を報道関係者数名がテレビで生放映していた。


 湾内は第三波が盛上り、前より高い大波に驚き、引波も破壊物を引摺り、水端防潮堤に激突波高は峻峰累々両刃の剣となり、高台の避難道路に迄襲うのではと恐れ山際まで退いた。大津浪は、街中の至る所に渦巻状態を起こして建物の3階迄押寄せ、外国船は東前町の岸壁に激突、被害の惨澹さに悲惨引波となり全てが海の藻屑と消え、街は烏有に帰し廃墟と化した。次の第四波からは猛威は少しずつ弱波となっていった。


あの救援


 陽は西に傾き寒さが肌身に覚える中、数名の男性と共に傷害者を近くの神社に収容、次いで車椅子者・高齢者・子供達を国道高架橋に既に退避中のトラックの荷台に乗せての再避難に際しては、10名位の男性で国道進入禁止の金網を壊し体育館に再三搬送した。しかし、体育館は概に8百人以上の避難者で満杯となっており、校庭も避難車で一杯、その上、高台や方々から暗闇の危険な山道を越えて往来者が後を絶たず、お互に大声で尋人、大混乱だった。


 そこに大型トラックの荷台に鵜住居の小・中学生が紺色運動着姿で3百人位運ばれてきたが、体育館は満杯以上で立っているのみであった。男達が外に出て避難所の所在を示す明りと暖を採るため校庭の各所で焚火をした。時に寶樹寺にドロにまみれた犠牲者のご遺体が次々と運ばれてきた。現認に参加していたら、先程迄一緒の住民がもがき苦しみ目は飛び出さんばかりで口は阿吽の阿形のごとし姿で運び込まれていた。鬼籍に入られた方々は、老若男女の判別困難な骸状況であった、拭く何物も無く、自分の衣服の袖口で顔を拭いてやり成佛されるよう手を合せた。負傷者も次々と校庭に運ばれていた。


 夕刻に釜石市長野田様外市議会議員と職員含め10数名がお見えになった。市長の来館に皆が驚く中に体育館で市長は照明、マイクも無き所を肉声で避難者にお見舞と励ましのお言葉、不幸にして不帰の客となられた方に衷悼の誠を捧げ、校庭の方々にも言葉を賜られた。その時に国道に避難中の1台の保冷車から積荷の菓子と乾魚が運び出され、菓子の『カモメの玉子』は半個分づつ避難者に配られ、乾魚は焚火で炙られ焼き具合確認無き儘多くの人に少しずつ配られた。しかし、喉の渇を潤す水も無い苦しさと再三発生する地震に脅えつつ、雪の降りしきる中、驚怖に戦き寒さも厳しく逼るのでお互い身を寄せ合いながら足踏等して一睡もせず暗黒の夜を過した。


          事実ハ小説ヨリ奇ナリ。
                体験ニ優ル経験ハ無シ。
                      災害ハ歴史ノ 囈語
ニセズ未来ノ指針二。


 


※ 住所地の一部近隣者で死者25名、内に液状化を観て居た3人も含む。