第7回防災まちづくり大賞(平成14年度)

【総務大臣賞】ボランティアと地域住民の連携による神戸・御蔵地区の震災対応と復興へのとりくみ

【総務大臣賞】ボランティアと地域住民の連携による神戸・御蔵地区の震災対応と復興へのとりくみ

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御蔵通5・6丁目町づくり協議会とボランティアグループまちコミュニケーション(兵庫県神戸市)

事例の概要

 震災前の当地区は世帯数314、人口714人で、自治会の中核は70代半ばであった。平成7年1月17日、阪神・淡路大震災による被害は、家屋、工場、店舗の崩壊はおろか直後の火災によって4.2haの約8割方を数時間で焼き尽くし、死者も27名を数えた。住み、働くところを失った住民は、避難所や親戚、友人を頼って四散のやむなきに至り、日々の生活に追われ自治会活動は休止された。
 震災の教訓は、人と人とのつながりを深め、敏速果敢な行動ができるコミュニティ作りに尽きる。そこで、その後の土地区画整理地区への認定により、平成7年4月半ばに一世代若返る形で御蔵通5・6丁目町づくり協議会(以下まち協)が結成された。9月に入り人手が手薄なまち協の要請もあり、ボランティア団体まち・コミュニケーション(以下まち・コミ)がまち協に参加した。まち・コミは離散した住民に区画整理のイロハを説き、活動報告を行った。さらに、慰霊祭、花まつり、夏まつり、餅つき会とイベントを積極的に手伝い、郊外仮設に移った人々を一時でも呼び戻すことに貢献した。
 当地区は現在、震災前の約2/3の世帯数が戻っているが、厳密に言えば新たに市営住宅2棟(94世帯)ができたことが原因となっている。さらに、その住民の2/3は他所から来た新住民である。今に続く各種イベントは新旧住民の融和に役立っている。まち協とまち・コミが主体となって共同住宅の建設を目論み、事務局をまち・コミが引き受け、一棟完成させた。その一階の一室(プラザ5)が地域交流の場として活躍している。ふれあい喫茶、食事会、絵手紙教室、パソコン教室、健康講座、落語会、子供プロジェクト科学実験教室、ミニデイサービスを開いている。また、生活マップや地蔵盆用マップも一緒に作成した。他にも、修学旅行生を受け入れ野外炊き出しをして、食後にまち歩きをする体験学習をしている。
 また、平成13年度には集会建設の話が持ち上がり、市内各所の集会所見学の結果、古民家風のものが良いと意見集約された。城崎郡香住町の古民家を観光バスで見学に行き、復興基金3,000万と地区負担800万で移築を決定した。自分達でやれることは自分達でやろうと、今までに慰霊塔の基礎掘削やコンクリート打ち、新公園でのコンクリート打ちや芝張りをして実績を積んでいる。この度の古民家解体も但馬の大工を中心に、まち・コミボランティアグループ(専門学校生、高専生、まち協、まち・コミ)が二週間の合宿を行い、無事終了した。被災後の少ない人口で、新旧入り混じって人と人のつながりを結びつけたまち・コミの存在は欠かせなく、この集会所建設プロジェクトは意義深いものがある。

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まちづくりの計画図

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空から見た御菅西地区(震災直後)

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空から見た御菅西地区(平成14年現在)

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御蔵北公園

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御蔵北公園

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震災鎮魂モニュメント

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慰霊碑づくり

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古民家解体

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住民による芝生張り

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夏休み子供プロジェクト

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被災電柱

苦労した点

 震災により一時は1割に満たない人口に減ったが、仮設住宅の建設により3割まで戻り、現在は市営住宅2棟に加え、仮換地がほぼ収束間近になり、7割近くになった。その間に、行政及び専門家と住民との間の中間組織としてまち・コミが果たした役割は計り知れない。旧自治会からまち協へ、そして平成13年に再出発した自治会へと若い世代にどんどん移っている。全て順調という訳ではないが、リーダーの若手化によっていろんな軋轢を生じながらも、一歩前進・半歩後退を繰り返している。時々、まち・コミが第三者の目で調整役も果たしている。

特徴

 集会所づくりに香住の古民家移築という自ら険しい道を選択した。解体作業は大工指導のもと、自分達でやり遂げた。若いボランティアが汗と泥にまみれて120年前の古き工人の知恵を読みとり、達成感を味わった。集会所の再建作業も新旧住民、老若男女が集って、石や木材を運び、並べ、組んで、壁土を練ったり塗ったりして自分達でつくった。これらの作業に汗を流して、作る楽しみや他人の気持ちを分かり合うことができた。この過程こそ新しいコミュニティが芽生えるものと思われる。

委員のコメント (防災まちづくり大賞選定委員 高野公男(東北芸術工科大学デザイン工学部教授))

 焦土と化した神戸市長田区御蔵通り5・6丁目の町は、震災の爪痕の多くが消え、復興土地区画整理事業も進み、空き地が目立つものの新しいビルが建ち並ぶ明るい町並みに変わっていた。人口も震災前の80%にまで回復したという。住民の人たちの表情も明るかった。町の人たちはいま、コミュニティづくりに燃えている。お年寄りや子ども、新しい住民たちの交流サロンづくり、災害経験や町の記憶を伝えていく各種イベント、古民家を移築した集会所づくりなどプロジェクトは盛りだくさんだ。その一つ一つのプロジェクトに町をいとおしみ、人を育む心が感じられた。町の復興とは、単に道路、公園が整備され、ビルが建ち並ぶことではない。真の復興とは、コミュニティを再生し、心豊かで住みやすい環境を住民自らが育てていく過程をいうのではないだろうか。8年という歳月の住民活動、…まちづくり協議会、自治会、ボランティア支援グループの心意気、汗と知恵、有機的な連携プレーには感銘を受けるものがあった。悲しみを越え、ガレキ処理から始まった復興まちづくりは、着実に成果を上げている。しかし、取り組むべき課題はまだまだ多いようだ。町はつくり続けるものである。さらなるまちづくりの展開を期待して、ここでエールを送りたい。

団体概要

 御蔵通5・6丁目町づくり協議会:平成7年年4月23日設立。住民、家屋・土地所有者が会員。現在も復興まちづくりに取り組んでいる。住宅再建支援・受け皿住宅入居支援・公園ワークショップ・コミュニティー道路ワークショップなど震災復興の基盤整備に住民の意見を盛り込む活動をしている。  まち・コミュニケーション:平成8年4月設立。震災ボランティアの目が郊外の仮設住宅にいく中、「地或住民が戻らなくしてまちの復興はない」と町づくり協議会支援に入る。今まで共同住宅、住宅再建支援、受け皿住宅入居支援を行う。離散しても地域住民の集いをし続けようとまちのイベントも積極的に企画する。

実施期間

 平成7年~