語り部の体験紹介コーナー

東日本大震災の被災者からのメッセージです。

菅原 文子さん 女性

“美しい港町
気仙沼は必ず復興します!”

 夏と秋の風が吹き渡る9月、めずらしくスッキリ晴れ渡った青空、目の前の気仙沼湾はキラキラ輝き観光船が行き交う、カモメが群れ飛ぶ。
 なんていい眺めなんだろう。これこそが気仙沼の顔。その内大島に東北で一番美しい橋が架かり、内湾には三陸縦貫道の素晴らしい橋も架かるという。この街 の将来は一体どんな街になるのか。今は全く想像もつかないけれど夢を持ちたいと思う。次の世代にどんな街を残せるのかはてしなく想いが広がるのです。

語り尽くせぬ様々な時を

もがいてもがいて生き抜いてきた


 あの日、東日本大震災で私達は本当にたくさんのものを失いました。目の前で起きた惨劇を理解することなど到底できずにいたのです。

 私は夫と夫の両親の3人を失いました。お酒の小売店を営み92年になる商いは、もはやできるはずもなく、平成元年に建て替えた店舗兼住宅は今にも崩れ落ちそうに無惨な姿をさらしていました。大津波が来る直前、屋根に逃げのびた私は奇跡的に助かりましたが、私の手から離れていった夫は行方不明となり、1年3ヶ月もの間発見されることなく、倒壊家屋の中でじーっとその時を待っていたのでした。途方もない暗闇に落ちた私はずい分長い間さまよい続けていました。

 私だけではなく、被災したすべての人は、皆それぞれの奇跡のドラマの中で生きてきました。語り尽くせぬ様々な時を、もがいてもがいて生き抜いてきたのです。

 あの日からもはや2年半、行きつ戻りつの日々、全国からたくさんの方々のご支援を頂き、又ボランティアの皆様に励ましをいただき、助けていただき、時には一緒に泣いてくれた、なんと人の情の有り難いことかと、只々感謝の思いで一杯でした。


明日になったらこの街のことを

忘れてしまうかもしれないとフッと寂しく思う


今、私は時々語り部として被災地の現状を案内し、自分の被災体験を話しています。初めてこの地を訪れる人、もう何度目ですという人もいます。私は語りたい事、伝えたい事は山ほどあります。でも訪れる人は何を見に来るのだろう、何を知りたいのだろう、私の話に涙を流す方もいます。ずーっと遠くを見つめる人もいます。たぶん私の話を聞いていないかも。でもきっとその人は、私の話す奥深い所を聞き取り、この被災地の本当の苦しみを感じているに違いないと勝手に思ったりします。そう思わせるだけの想像を絶する風景が目の前に広がっています。約束の1時間では伝えきれないと思いつつ、お別れする時、皆さんの思い出の中で、この街はどんな風に残るのだろう。それぞれの街に帰ったらそれぞれの生活があって、明日になったらこの街のこと忘れてしまうかもしれないとフッと寂しく思ったりします。

 現実に起きたあまりにも大きい天災。事実を伝えるだけでいいのだろうか。もっと伝えるべき大切な何かがあるのではと無力な自分をはがゆく思うのでした。


震災のこと忘れないでと願いつつ

悲しみの中で知る多くの事を伝えたい


 ある日、以前に団体で私の話を聞いてくれた方が、今度は女房にも小学生の2人の娘にも見せなければと夏休みを利用して遠い街から家族で訪ねてくれました。物にあふれ、いつも誰かが守ってくれて当たり前の豊かな生活、極端かもしれないけれど、この街で起きた事を知ることは、きっと子供達に何かを教えてくれると真顔で話してくれました。お土産の地酒を買い、飲みながら気仙沼の事を思い出すと言って帰られました。あの時の拙い話でも何かを伝える事ができたかもしれないと嬉しかった。一時間の語りから、あの子供達の思い出の中にこの街が残ったのです。


時には私も、自分の店で語り部になる時があります。ある男性は何度もボラン ティアに訪れ、その度にいろんな話を聞いてきた。そして自分は本当の幸せをこの街で見つけたと静かに語り始めました。質素な暮らしだけど家もある。 妻や子もある。言えるほどもないが仕事もある。お帰りなさいと迎えてくれる家族がいる。大の字になり眠れる。そんな何気ない生活がどんなに大切であり幸せであるかと涙を流すのです。 私は何だか感激して泣いてしまいました。分かってくれてありがとう。私はやっぱり微力だけれどこの街のこと、震災のこと語ろうと思う。震災のこと忘れないでと願いつつ、悲しみの中で知る多くの事を伝えたい。きっとそれは人が生きてゆく上でもっとも大事なことに違いないと思うから。


想いを語る・伝える

きっとそれは心を繋ぐこと


 あの日よりの悲しみはなく、あの日よりの苦しみもありません。人は悲しみと苦しみの中で強くなれるのかもしれない。

 私は今、息子達と再開した家業で忙しい毎日を送っています。身体の中にある大きくて重い悲しみの塊は、迷わず歩めるようにバランスを取ってくれているように思います。かけがえのない毎日を明日に繋ぐ為、一日一日を大切に暮らさねばと思います。 全国の皆様からお寄せ頂いたご支援に支えられ、これまで歩んでこれたこと、本当に感謝の気持ちで一杯です。

 悲しみに包まれたこの街が、いきいきと輝く街になり、美しい港町に蘇る。それを信じて復興に向かいます。

 想いを語る、想いを伝えること、きっとそれは心を繋ぐことだと思います。このような悲しみに二度と遭わないように念じながら心を繋いでいこうと思います。

 ご縁をいただきお会いできた皆様、案じていただいた全国の皆様、本当にありがとうございました。これからも気仙沼を見守りいただきますようによろしくお願い致します。


(平成25年10月)