語り部の体験紹介コーナー

東日本大震災の被災者からのメッセージです。

松本 康裕さん 男性

 当時、自宅と勤務先が近接しており、あの日は少し遅めに昼食をして、自宅2階で休んでいた時に地震が起きました。私は、倒れそうになるメタルラックを立ちながら押さえていましたが、大きな揺れで体が後方に飛ばされ、そのあと揺れが続いている間は何もできませんでした。


 揺れがおさまって1階に下り、祖父母の無事を確認しました。周辺の様子を確認しようと外に出ると、電柱は傾いており、液状化現象で道路に水が出ていました。まもなく、父母も帰宅し無事であることが分かりましたが、母は同じ市内に住む私の妹の様子を、父は近所に住む聴覚障害のある方の様子を確認しに、また外出していきました。私は、室内の片付けをしようとする祖父母を制止していました。余震も続いていましたし、ダイニングで食器棚が倒れるなど散乱している中で、細かい片付けなど無意味だと思ったからです。


 その後、祖父母と3人でリビングにいましたが、少し経って私はトイレに行きたくなりました。自宅のトイレが使えないことを知っていたので、庭の陰で済ませようと玄関を出ました。すると、普段耳にしたことのない、地鳴りのような大きな重低音が響いています。なんだろうと家の前の道路に出て東側を見ました。道路の先にある貞山運河で、がれきの山とそのままの形をした住宅が、かなりのスピードで流されていました。
 すぐにリビングに戻り、「津波来た!2階に上がれ!」と祖父母に叫びました。2人を2階に誘導し、私も続いて階段に足をかける直前、ダイニングの窓ガラスを破壊して津波が入ってきました。急いで駆け上がり、回り階段半ばで後ろを振り返ると、今いた中廊下に猛烈な勢いで水が押し寄せています。2階のベランダに出ると、既に道路向かいの数軒が流されて無くなっていました。私が道路から引き返してベランダに出るまで、20秒くらいだったと思います。


 


 木材やガラスが割れる音、外壁に大きなものがぶつかる音、凄まじい破壊音が至る方向から聞こえてきます。水位が徐々に上がってきて、我が家の車が流され、庭の植木にぶつかって、フロントから水没するのを見ました。15秒くらい見ていたでしょうか。
 目の前を、住宅、漁船、ガレキが猛スピードで流されていきます。水位の上昇が止まらず、黒い波がうねっています。庭の植木も完全に水没し、自分も流されることを覚悟しました。流されたら祖父母が掴まって浮くことできる何かが必要だと思い、部屋中探し出ましたが適当なものが見つかりませんでした。


 


 ベランダに戻ると、黒い水面が手の届くところにあります。隣の家が流されずにいるおかげで、目の前の水流の勢いは、数十メートル先より、それほど激しくありません。150メートルくらい先で、流された建物がぶつかり重なって火事になっていました。隣の家は2階も津波に飲まれているようで、流されて、こちらにぶつかってくるかもしれません。家ごと流され出したら、私が祖父母を掴んでおかなくてはと腹をくくりました。
 目の前の光景に圧倒されながら、流される覚悟を決めて、約1〜2分経ったころ、水位が徐々に下がっていきました。引き波がありましたが、それほど激しくなく、とりあえず助かったと思いました。同時に、これ以上高い津波が来るかもしれないと強い恐怖心があったことを覚えています。


 


 父母と妹のことが心配になり、携帯電話をみると、父からメールが届いています。母に電話をかけ続け、ようやく繋がると、妹と一緒にいることが分かりました。詳しい状況はつかめないけれども、家族全員が生きていることに安心しました。ただ後で分かったことですが、母と妹の2人は、車ごと津波に数百メートル流されて、窓から脱出して、農業用のビニールハウスに登って助かっています。


 


 日が暮れはじめ、すぐ先の火事は、時折ガスボンベが爆発するなど、おさまる気配はありません。むしろ範囲が広がっているように見え、そして風も我が家の方向に吹いていて、火の粉が上空を舞っていました。火事が弱くなったのは翌日明け方で、それまでは飛び火の心配もあり、強い余震も何度かあって、気を休める時間はありませんでした。


 


 翌朝、周囲の状況を確認すると、殆どの家が流されて無くなっていることが分かりました。我が家が流されずに済んだことは奇跡的でした。
 周囲はガレキだらけで、水も溜まっていたので、祖父母が歩いて脱出できる状況ではありませんでした。夕方前に自衛隊に気付いてもらい、ボードで救助されましたが、その時私は着込めるだけ着込んで、避難先で必要になると思ったモノをいくつか持って家を出ました。


 


 それから避難所となった小学校体育館で一晩過ごし、その後は親戚宅で約2か月間生活をしました。家族全員が落ち着いて生活できるようになったのは、仮設住宅に移った7月中旬からだったと思います。


 


 もう少しで震災から5年が経ちます。震災を機に人生が大きく変化しました。私はその変化を全てプラス方向に捉えています。たとえば、震災体験を伝えるために南米ブラジルに行ったことがきっかけで、海外を意識して仕事や勉強をするようになりました。また、防災士という資格を取り、幼児向け絵本を製作して、読み聞かせ会を実施するといったボランティア活動もさせてもらっています。私を応援してくれる人がいることは、とても幸せなことですし、私自身も人に貢献することを意識して仕事や活動をしていきたいです。


 


 震災で鮮烈な光景を目にしたにも関わらず、当時の記憶は徐々に薄れつつあります。この時において本稿の執筆は、記憶を整理すると同時に、今生きている幸せを再確認する、とても有意義な機会となりました。ありがとうございました。


体験談写真1(松本さん)


 水位が下がり始めてから約30分後に撮影したもの


体験談写真2(松本さん)


 翌朝撮影


翌朝撮影