昭和61年10月11日エルサルバドル地震災害

現地での新聞報道及び反響

エルサルバドル地震災害

地震の被害状況 国際消防救助隊の構成等
携行救助資機材 出発までの動き
被災地での活動状況(1) (2) (3) (4)
各国救助隊の体制 第2次派遣隊
現地での新聞報道及び反響 帰国後の動き
外務省の支援
体験記(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)

現地での新聞報道及び反響

現地での新聞報道

■ ラ・プレンサ・グラフィカ紙 1986年10月14日付
“レスキュー隊の作業が続く” 友好的な国々の援助到着
国際レスキュー・チームが救助活動に参加する。スイスと日本のスペシャリスト達によって構成されたレスキュー隊のメンバー達は、エンジン・カッターを使ってルーベンダリオビルで柱を切断し、埋まった人々の捜索を続行している。仕事は困難ではあるが、外国の国々の偉大な援助のおかげで続けられている。

■ ラティーノ紙 1986年10月14日付
“日本が送ったレスキューの高度な器材”
日本が送ったレスキューのための高度な機材は、テレビの付いた二つのスコープからなっている。がれきを動かす特別の機械と一緒になって、昨日生存者の位置を知るのに役立った。死体の位置を知るのにも役立った。この器材には医療分野での機材と同様な管がついている。あいている隙間から差し込まれて、モニターの小さなスクリーンから人間の一部があるかどうか分かる。このような機材がヨーロッパやアメリカのチームの訓練された犬とともに生存者のレスキューに役立っている。

■ ラティーノ紙 1986年10月14日付
“ルーベンダリオにおけるレスキュー”
昨日の午後約80時間ぶりに、がれきの下から少年が救出された。数時間前には女性が救出されている。アメリカや日本、フランス、スイスそしてメキシコの救助隊が言うには、昨年、メキシコ地震において得られた経験が生存者を救出し、死からの脱出に役立っているとのことである。写真においては、ドラマティックな救出場面が写されている。
赤十字の救急車が陸軍病院に運ぶ用意をしていた。

■ ラ・プレンサ・グラフィカ紙 1986年10月15日付
“ルーベンダリオビルで救助続行”
昨日、外国のチームの持ってきた機械でルーベンダリオビルの屋上を取りはずすことにした。
ビルの中には、まだ生存者がいるとレスキューの技術者達が推測しているが、救助のためには、至急コンクリートの大きなかたまりを持ち上げる必要がある。

現地での反響

■ エルサルバドル政府の閣議から(10月15日夕方)

  • * 各国ともルーベンダリオビルの救助活動にあたっているが、特に、日本隊は精密な機器(ファイバー・スコープ)による正確なデータをもとに、実に効果的に救助活動を進めている。
  • * エルサルバドル駐在外交官を通じて公式に援助要請をしたところ、日本政府から25万ドルの支援金を受領した。その他各国のボランティア団体等からも続々と支援金が到着している。

■ シュルツ米国国務長官、松永駐米大使等とエルサルバドル政府との会談から
松永駐米大使がエルサルバドル大統領に対し、日本政府及び国民の名において深甚なるお見舞いを申し述べるとともに、我が国は日本・エルサルバド両国の伝統的友好関係に鑑み可能な限りの協力を行っており、現在、我が国のレスキュー隊が活躍中であると述べたところ、エルサルバドル政府外務大臣が、同大使の発言途中、日本隊が生存者を発見し大変うれしく思っていると述べた。そのとき、エルサルバドル大統領もこれに相づちを打ったので、松永駐米大使は、「VERY HAPPY」と答え大いに面目をほどこすところがあった。

■ TACA航空(エルサルバドルの航空会社)は、10月12日現地に向かう途中、グアテマラ経由エルサルバドル行きをエルサルバドル直行便にし、また、10月18日の帰国時には、救助資器材の運搬を無料にするなどの便宜を図り、感謝の意を示した。

■ 外国救助隊に対する被災民の関心は強く、夜になって引き揚げる救助隊員にすがりつき、夜間の救助活動の続行を懇願する犠牲者家族の姿もみられた。

■ エルサルバドルのテレビ、ラジオ等のマスコミ関係も、連日各国救助隊の活動振りを活発に紹介するとともに、救助活動に非常に高い関心を寄せていた。

■ ルーベンダリオビルの付近住民から飲料水、ジュース、オレンジ、パンなどの差入れが多くあった。

■ 10月18日帰国時、空港やスーパーで多数の住民が日本救助隊に対して、感謝の言葉を述べた。