昭和61年10月11日エルサルバドル地震災害

被災地での活動状況(2)

エルサルバドル地震災害

地震の被害状況 国際消防救助隊の構成等
携行救助資機材 出発までの動き
被災地での活動状況(1) (2) (3) (4)
各国救助隊の体制 第2次派遣隊
現地での新聞報道及び反響 帰国後の動き
外務省の支援
体験記(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)

被災地での活動状況(2)

活動方針及び活動内容
古内、鴇田、横山の3名は、木本駐エルサルバドル臨時代理大使、江藤駐コスタリカ大使、医療チーム等とともに、エルサルバドル政府に接触し、一方、外囿、佐藤、飯塚の3名は大使館に搬入された携行救助資器材の点検、整備を行うこととした。

■ 古内、鴇田、横山は、木本駐エルサルバドル臨時代理大使らの先導で、13時30分エルサルバドル災害対策本部(陸軍参謀本部内に設置されている。)に出向し、次のような説明を受けた。

  • ・ 日本隊の救助活動が適正な場所で行えるよう閣議で決定する。(陸軍参謀総長ブランド氏説明)
  • ・ 現在までの被害状況は、死者900名、傷者6,810名、倒壊ビル10棟である。
  • ・ エルサルバドル政府は、野戦病院のテント、ベッド200床、医療資器材、医療品等の支援を要請した。
  • ・ エルサルバドル政府は、災害復旧に向けて次の7つの各委員会を設置した。(しかし、災害対策本部では、地震災害に伴う救助活動について、具体的な案は持っていなかった。)
    「外国援助受付委員会」「救助委員会」「避難・安定委員会」「治安委員会」「損害評価委員会」「広報(情報)委員会」「民生安定委員会」

■ 古内ら3名は、さらに各国救助隊の調整を行っている国民住宅省次官のバルディ氏に直接面会し、同氏と今後の救助活動について調整するため、ルーベンダリオビルに向かった。

  • ・ 同氏によると、ルーベンダリオビルの現場でアメリカ隊に協力して活動してほしいとのことであった。しかし、日本隊としては、独自で活動できる現場があるならば、そこで活動したい旨を伝え、そのような現場があるかどうかを確認するため2~3か所ほかの現場を見せて欲しいと申し入れると同氏は了承した。
  • ・ ショッピングセンター・ピテスの倒壊現場を見分したが、関係者の話によると、すでに中には人がいないとのことであった。その時、バルディ氏が当現場にきて、日本隊にルーベンダリオビルで活動してもらいたい旨、再度要請したので、結局この要請に応じることにした。
  • ・ バルディ氏とルーベンダリオビルの現場に戻り、アメリカ隊と協議したところ、アメリカ隊はクレーンを用意して倒壊したビルを持ち上げるので、日本隊は中に入って生存者の救出をしてほしいが、本日はクレーンが用意できないので明日7時より一緒に作業を行ってほしいとのことであった。

■ 外囿隊員以下3名は、13時00分、日本大使館に赴き、搬入した救助資器材の点検・整備を行った。

■ 古内ら3名はルーベンダリオビルの検索を行った結果、ファイバースコープを使用して救助活動を行うこととし、外囿ら3名にファイバースコープを携行して現場に来るよう連絡を行った。

■ 17時00分頃から、外囿らが携行したファイバー・スコープ及び投光機を使用し、図の1部分の検索を開始した。

■ ファイバー・スコープによる人名検索中、17時30分ごろスコールがあり、全員濡れながらも懸命に検索活動を続行した。

■ 19時30分すぎ、現地住民から夜間も救助活動を実施してほしい旨懇願されたが、雨が激しくなったため打ち切った。

■ 大使館に向かい、夕食をとったあと、本日の活動を振り返るとともに、翌日の活動方針について打合せを行い、23時00分頃ホテルへ帰った。