10.防火守護地の碑(東京都千代田区)
この付近一帯は大正十二年九月一日関東大震災のときに町の人が一致協力して努めたので出火をまぬがれました その町名は次の通りであります
佐久間町二丁目三丁目四丁目 平河町 練塀町 和泉町 東神田 佐久間町一丁目の一部 松永町の一部 御徒町一丁目の一部
昭和四三年四月二四日
佐久間小学校 地元有志 秋葉原東部連合町
○解説
東京の神田佐久町は関東大震災のとき、周囲が全て焼け焼けたにもかかわらずぽっかりと焼け残った町です。関東大震災では直後に起きた火災により多くの人々が火災により無くなりましたが、ここでは迫りくる火とたたかい、これを食い止め一人の死者も出しませんでした。
9月1日の地震発生後まもなく、最初の火は神田方面から押しよせてきましたが、これを住民総出のバケツリレーで食い止めました。小学校の屋根に火の粉が入ったときには、机を積み上げて天井裏に入り、バケツリレーで水をかけ、最後は豆腐までぶつけて火を消したそうです。その後も、1日夜、2日朝と延焼の危険がありましたが、30時間以上に渡る文字通りの総力戦の後にこれを全て退けました。
昭和14年、東京府はここを「町内協力防火守護の地」として史跡に指定し、戦後になりその記念碑が小学校の校庭に建てられました。
<<参考 「神田佐久間町」秋本敏文>>
防火守護地の碑についてもっと詳しく知りたい方は、
財団法人地域活性化センター「伝えたいふるさとの100話」をご覧下さい。
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