1-3 目黒行人坂火事絵

1-3 目黒行人坂火事絵


目黒行人坂火事絵は、江戸三大火のひとつである目黒行人坂の大火(明和9年 1772年)を描いた絵巻物です。国立国会図書館に貴重書として所蔵されていますが、昭和51年 日本消防写真史編纂委員会が誠文社からその覆刻版を出版されています。これは、それにもとづき作成させていただきました。

なお、それぞれの場面のタイトル、解説は、小鯖栄一氏の書かれた覆刻版の解説をもとにしました。


(1) 大名櫓での火事発見

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江戸時代の火の見櫓には格式があり、黒板囲いは大名櫓、白板囲いは定火消櫓(高さ約十米)町内自身番は板囲いの無い駈上りと定められていた。この絵は黒板囲いであるから大名火消役の火の見櫓である。


(2) 御使番は老中への報告に走り、くぐり戸から様子をうかがう人も

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御使番は、火事場の様子を老中に報告したり、定火消たちに老中の下知を伝える大切な役割で、乗馬に優れた者が任命された。腰の提灯は馬上提灯といって、柄が鯨の骨で作られ、馬上でゆれても火が消えない仕掛けになっていた。 また、商店では、“くぐり戸”から様子をうかがう人もいる。


(3) 鳶口をかついで駆ける~その1

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(4) 鳶口をかついで駆ける~その2

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(5) 土蔵に目塗りをする

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火事が大きくなりそうになると、家財を土蔵に入れ、窓・扉をこのように泥で目塗りして逃げると、火が中に入らず大切な家財を守れた、という方法は、江戸時代庶民の火事に対する生活の智恵であった。


(6) 町の物見櫓で様子を見る

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これは町々で自分達を守るために作った物見櫓で、火事の様子を見て知らせているところで、“町の火の見”といったようなものである。


(7) 馬で駆ける

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武家火消役が火事に駈付けるところで、馬上提灯を腰に、兜しころも勇ましい出場姿で、火消役でも与力以上の役職の人だろう。一騎で走っているのは、少しでも早く火事場に駈付けることから“一騎駈け”といった。


(8) 家財をまとめて穴蔵へ

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火事がいよいよ近づき、庶民は家財をまとめ避難の準備にあわたゞしい。長屋の右端の家では、家財を穴蔵に入れているところで、これも大火に対する庶民の生活の知恵であった。


(9) 町火消の梯子持たちが駆けつける~その1

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火事場に急行する町火消達で、梯子持が梯子をかついでいる。一方、人々は反対に向って避難しはじめている。


(10) 橋上の雑踏

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大火になると橋上の雑踏は想像を絶するものがあった。狭い橋に、火事へ駈付ける火消達、家財をかついで避難する人々で、ごったがえしている様子を画いたもの。


(11) 大名奥方たちの避難

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火事が近くなり、大名屋敷に危険が近づくと、大名の奥方たちは、このようにして中・下屋敷などへ、火事装束を整え、郎党に守られて避難した。邸内では家臣が郎党の土蔵目塗りを差図しているところである。


(12) 屋根に上がり火事に備える

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大名、奥方の避難した武家屋敷で、火事側の屋根に上り、纏を屋根に上げ、手に手に大団扇を持ち、火の粉を払っている。或る者は“水むしろ”を持ち、火たたきなどもあって、この時代の火に向う様子がよく画かれている。


(13) 武家の火消部隊~その1

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集合した武家の火消部隊。その前を釜をかぶって避難する人。


(14) 龍吐水が火事場に急行

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町火消人足たちが、この時代最大の火消道具である竜吐水をかつぎ、火事場に急行しているところである。町家の長家の屋根がこの時代は皆瓦葺きであるのに注目したい。また、長屋は既に避難を終えて空屋になっている。


(15) 町火消の梯子持たちが駆けつける~その2

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(16) 町火消の戦闘開始

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火事の近くの屋根の上に町火消たちは拠点を設け、いよいよ戦斗開始である。


(17) 武家の火消部隊~その2

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向う側では井戸水の汲上げに懸命で、玄蕃桶で水はこびをはじめている。


(18) 龍吐水が活躍

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火事場の近くに運んだ竜吐水はいよいよ火がゝりを始めた。差図役の指揮で燃えている家並の反対に水を向け、屋根の上にいる纏持達に水をかけ、これによって焼け残すという寸法で、火事場で最大の武器の竜吐水はこんな使い方をされていたこと知ることができる。


(19) 町火消たちが猛火に挑む

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燃える屋根に悌子をかけ、猛火に挑む火消達の活躍ぶりを画いたもので或る者は、指揮者の差図で持ちこたえられず梯子をおりており、或る者は飛び降り、切羽つまったところであろう。竜吐水の水は火と反対に“むしろ”をもった火消達に水をかけているところから、竜吐水の役目は火に水をかけるよりこのような使い方をしていたようである。


(20) 土蔵は焼け残る

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さしもの大火もようやく下火になり、早くも焼跡に人々が帰りはじめた。人々はまだ余燼の中に、土蔵を手入れする者、家財を搬出する者など忙しくなりはじめる。ところが、焼残った土蔵から家財を出すのに、鎮火直後だと乾燥しきっていて発火するので、桶に水を張って入れおいたということである。


(21) 焼け落ちた橋

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大火の去った町の惨状はこの有様で、川にかけた橋が焼け落ちたので、板切れや畳で仮の橋を作り、往来の便に供した。この川の画かれた角度は遠近法を使わない手法で、他の川、人の流れも同一角度で画き、画面を大きく見せている。


(22) 大火の去った焼跡

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土蔵を残し総てを焼きつくした大火の去った焼跡の庶民の姿を表現したもので、或る者は財物を探し、残火に水をかけ、或る者は焼野原をさし身内の者に食料を持参するのではないかと思はれる姿が見え、井戸は板が焼け、土蔵がこゝでも残されて画かれている。


(23) 焼跡で探し物をする庶民

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大火の去った後に、自分の家のあった場所に帰り、何人かの人が地面を堀返し探し物をしている。多分お金や大切なものを探しているのだろうが、このような姿は昔も今も全く同じである。右の方では、火のついた着物を脱いで消しているところで、描写が実に細やかである。


(24) 大火後の町の往来のにぎわい

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大火直後は家にもどる人、見舞う人、火事場を調べる役人など、街の往来はごったがえすものである。その様子を前に画かれた川の角度と同じに画いて往来を表現し、沢山の人々が行き交う姿が多種多様に画かれ、大火後の町の様子を実に巧みに画いている。


(25) 大火で焼け出された大名、商家は土蔵で仮住まい

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一度大火になると、火炎は町家・大名屋敷のかゝわりなくなめつくしてしまう。これは焼け出された大名が、家紋を染めぬいた幔幕を張り、一時をしのいでいる様子を画いたもので、前の往来に面して角地に陣取って武士たちが何やら話をしている。

焼残った土蔵は、商家や富豪たちの格好の仮住居に早変わりする。主人が火事見舞を受けているのだろうか、また、土蔵の前では莚を敷いて食事をし、或る者は焼跡の残火に水をかけ消している。天地十一糎、幅二十五糎の僅かな画面に、庶民の大火後の様子を克明に表現している。


(26) 焼跡の復興が始まる

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大火もようやく収まり、町は復興を始める。人々は建築材料を運び、大工さん達が、忙しく立働いている。大工の棟梁は向う側で大工道具のそばに立って指図している。大工、鳶たちの動き、表情が実に生々と画かれている。町の復興の往来も人々が行き交っている様子が画かれている。


(27) 大火の焼止まり長屋

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大火の焼止りを画いたもので、火事をこゝで消止めたということを表わし、屋根に差した板は“消し札”といって、こゝで延焼をくい止めたという火消の組名の木札で、目印しにして手柄にしたものである。下では役人や御使番などが調査している。「い」という消し札は「い組」のもので、障子に「い」と書いて屋根にさしているなどは面白い表現ではないか。


(28) 町火消たちの喧嘩

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火消達にとって火事場は戦場である。命を張って働いただけに、これがちょっとしたことで争いになる。この絵は、消口争いで町火消達が喧嘩になったことを画いたのではないかと思われ、威勢のよい町火消人足が取っ組み合いの喧嘩をしているところである。


(29) 町の木戸と火の見梯子

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町内の境にはこのような黒塗りの木戸が設けられ、自身番が脇にあり、必ず火の見梯子が設けられてあった。この境は町内の区切りでなく、江戸の町の往来に警備上大切な役割を果した。前の喧嘩のつゞきが画かれ、他の火消達は腕組みして喧嘩の成行をみている。


(30) 町の復興に立働く庶民たち

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復興に忙しく立働く町の様子と庶民達を画いたもので、焼残った町に人々は避難先から帰り、家財の整理に忙しい。町には調査の役人が取調べをし、大八車に積んだ家財を運び帰りを急ぐ人々等、どの顔も安堵の表情で画かれ、火事見舞を受けている表情などは特に面白く画かれている。


(31) 道端で生活する焼出された人々

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江戸の町では大火の後、焼け出された人々は、運び出した家具を安心な場所に纏め(背中が土屏)、一時このような姿で生活した。道具箱に腰をおろし、がっくりしている表情など、これからどうしたらよいのか放心状態の顔が見事に画かれている。一方焼けなかったお金持の家の二階では町火消の帰りをみている。


(32) 町火消の町内帰り

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大火で活躍した町火消達が、頭を先頭に纏持、火消人足と隊伍を組んで、意気揚々と帰ってくる姿を遠景に画いたもので、火消達はこのように、火事場での働きを誇りとして自分達の町内に帰ってきたもので、これを「町内帰り」と称し、これを迎える町民達も大きな拍手で出迎えたということである。手前岸では露店が商売を始めている。


(33) 焼けない町のにぎわい

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焼けなかった町では庶民が挨拶を交わし、お互の無事を話合ったり、武士が郎党を引き連れ、荷物を運ぶ人々など街の往来は賑やかである。この辺から町火消による梯子乗りに人々の視線が集まっている。平和な町の様子が画かれ、当時の街中を彷彿させる画である。


(34) 江戸の町とお稲荷さん

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江戸の町々の角には必ずお稲荷さんが祠られていた。お稲荷さんは秋葉様のお札とともに、火伏せの守り本尊として江戸町民の信仰が篤かった。庶民たちは少しでも火難を避けようと、町内毎に建立して祠ってあったという。この繪にもお稲荷さんが画かれ、町内安全を表現しているものであろう。


(35) 町火消の梯子乗り

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目黒行人坂火事繪も終りになると、平和な江戸下町の姿を画き、火事が収まり目出度し目出度しと人々は町に繰出し、町火消の梯子乗りに拍手を送っている。この長屋は、お稲荷の隣が薬の袋を看板にした薬屋、米屋、呉服屋、道具屋などが面白く画かれている。町火消は、町内の安全を守る信頼される人々であったことを表現している繪である。


(36) お出迎え

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武家屋敷玄関式台で主人のお帰りを待っているところであろう。門から玄関と松の木をこのような手法で画いて、僅かな空間に武家屋敷の大きさを表現しようとしている。大火の後だけに玄関脇に水溜桶と手桶が忘れずに画かれている。


(37) めでたくおわりに

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目黒行人坂火事繪は、鶴と松と太陽を画いて目出度く終りにしている。わが国で最も目出度いものの代表で終りにしてあるところは、いかにこの大火の被害が大きく、江戸の町における大名も庶民も難渋したかを一巻の繪に纏め、このような災禍の再び起らないことを祈って画いたのであろうと思はれる。この繪は作者不詳であるが、明和九年、目黒行人坂の大火直後に画かれたものであることだけは確認されている。