平成2年6月22日イラン地震災害

総括官日誌による補足(4)

イラン地震災害

はじめに イラン地震被害の状況
国際消防救助隊の構成と携行資機材
行動日程 救助活動 各国救助隊の様子
イランの建物の構造について
総括官日誌による補足(1) (2) (3) (4) (5)

7 総括官日誌による補足

(4)ピルクでの活動

a マンジールからピルクへ

27日(水) 朝7:30からフランスチームと双方の機材を展示して交流中、イラン側より「生存者の可能性のある未復旧の村が山岳地帯の奥地でマンジールから90kmの地点にあるので、直ちに出発してほしい」旨の連絡あり。村名「ピルク」、標高2500M。
10:00前、マンジール(標高1500M)出発。武装兵士に護衛され、険しい山岳地帯をバスとトラック2台で山越え。
路肩が地震で地割れし、所々崩れている崖の縁を抜け、3000M級、4000M級の山々を越えて、3:15、ピルクにたどり着く。殆ど「アフガン・ゲリラ」の世界。

b ピルクでの活動

(イ) 到着後直ちに現場調査。「生存者の可能性がある」という住宅の崩壊現場を三つ調査するが、生存可能性と二次災害の危険性から判断して、救出対象を1軒に特定。救出方法を定めた時点で日没。
いずれにしろ、建物のつぶれ方がひどいので、生存者のいる可能性は小さいと判断。軍の補給基地で野営。

(ロ) 28日(木) 朝6:30、キャンプを出発。前日の打合せ通り救出を開始。生存者がいることを考慮して、現地で調達したパワーシャベルとブルドーザーを慎重に用いながら救出活動。

救助対象はシェリフィー家というパン屋。父母と子供3人、祖母の6人家族。地震の際、母親と子供2人は逃げたが、残りの3人は逃げ遅れた。祖母の遺体は一部発見されている。父と子供1人が生き埋めとのこと。

(ハ) 地震時に発生した火災が崩れた土砂に閉じ込められており、残がいを取り除くうちに発熱を強める。放水して冷却しながら活動するが、発熱がひどく、このまま放置すると再燃火災となる危険があるため、救出活動を危険排除活動に切り替える。

(ニ) 17:30、高熱で遺体も白骨化してバラバラになっている可能性が高いため、遺体捜索を断念。全員黙とうして活動を終了。野営。