平成2年6月22日イラン地震災害

総括官日誌による補足(3)

イラン地震災害

はじめに イラン地震被害の状況
国際消防救助隊の構成と携行資機材
行動日程 救助活動 各国救助隊の様子
イランの建物の構造について
総括官日誌による補足(1) (2) (3) (4) (5)

7 総括官日誌による補足

(3)マンジールでの活動

a 現在の状況

マンジール(当初予定のルードバールから更に20kmほど入った町)の軍の敷地内でキャンプを張っている。キャンプ地はフランス、イギリス等各国がそれぞれテントで野営している「国際救助隊村」とでもいうべき場所である。野戦トイレも出来ており、乾燥した草地で、伝染病の心配はなさそう。
マンジールは最も破壊のひどい町で、建物は軒並みつぶれている。ブルドーザーやパワーシャベル等の重機類を用いてイラン軍が跡かたづけをしており、この町で生存者のいそうな場所や建物はひととおり探索を終えた模様。
マンジールは山間の谷に出来た町で、更に山奥に小さな村が多数あるが、道路が崖崩れで寸断されており、全滅している村が相当数ある模様なるも不明。
現在、軍のヘリコプターで村々を調査中とのこと。
我々はイラン軍、フランス・チーム及び赤新月社(赤十字社のことをイスラム圏ではこう呼ぶ)等と調整中であるが、生存者探索に適当な村が見つかり次第連絡を受け、場合によってはヘリコプターで奥地に入ることになっている。現在、待機中。
待機中に、マンジールとルードバールの被害状況調査。キャンプ近くのアパートの崩壊現場で救出活動。生存者発見出来ず。
午後、「ヘリコプターで現地に入ってもらうかも知れないので、すぐ飛び立てるように準備して待機して欲しい」とのイラン側の指示あるも、結局要請なし。

b 応援要請について

イギリス隊のインマルサットによるアクセスを通じて今朝連絡のおり、応援要請の必要性の有無を聞かれた。現地で鎌倉隊長とも協議したが、取りあえず救助チームとしては「現有勢力で対処したい。」と考える。
理由は以下のとおり。

  • (イ) 既に発災から118時間を経過しており、未調査の村に行ったとしても、せいぜいあと数日しか生存可能性がないこと。
  • (ロ) 我々のケースでは、成田を発ってからテヘランまで31時間、更にマンジールまで44時間、計75時間を要している。テヘランとの道路が開通したため、もう少し短縮出来ると思うが、いずれにしろ各国隊の活動終了決定後に第二次隊が到着することとなる可能性が高いこと。
  • (ハ) 隊員に大きな疲労がないこと。
  • (二) テヘランからの兵たん線が長くなっており、車の確保、寝る場所や食糧や水の確保が非常に大変で、大使館やイラン政府にかなり負担をかけている。人数が増えるとその苦労が倍加し、これまでと一転して我々に対する印象が悪くなる可能性があること。

c 各国の状況

我々のキャンプのまわりは各国救援隊の競演の場となっており、「救助オリンピック」という感じ。
フランス・チームは専用機でテヘラン入りしており、テヘランから陸路ルードバールまで強行突破した模様。
人数、装備とも抜群で、野営用の簡易ベッドまで持ち込んでいる。
このため国際隊の中でリーダーシップをとっており、山間の小村の探索を独自に行っている。
他のチームは日本と似たりよったりの状況。
この中で我々のチームは人数、装備ともまずまずで、ようやく救助先進国の仲間入りをした感がある。
逆に、日本チームがこの中にいなければ、日本人はだれでも非常に肩身の狭い思いがすることと思う。これだけでも今回の派遣は意味があると思う。

d 特記事項

もし、我々の活躍により生存者が見つかれば、これに過ぎるものはないので、現在は1日でも2日でも奥地の村に行って活動出来るよう各方面に手配している。
今でも時々余震があり、中には強いものもある。救助作業中に半壊の建物が更に壊れる可能性もあるので、活動は慎重に行うこととしている。
「ヘリコプターで奥地に入って帰れない」ということのないよう注意したい。