8.昭和40年代の消防

(4)救急

昭和40年代の消防

(4)救急

 救急業務は昭和38年に法制化され、昭和39年4月10日に施行されたが、当初、救急業務実施市町村数は214市町村で、救急車の全国の保有台数は351台(S39.5.31現在)であり、救急出場件数は昭和39年で31万4,272件あった。
 それから10年の間に急速な自動車の普及にともない、いわゆる交通戦争と呼ばれるほど交通事故が頻発し、また産業の発展等により、救急業務の需要は増すばかりであった。昭和49年における救急業務実施市町村は、全市町村3,271のうち2,429市町村(74.3%)で実施され、全人口の93.3%が常時救急サービスを受けられる状況となった。救急車の保有台数は2,601台(S49.4.1現在)、救急出場件数は141万9,771件であり、これは約22秒間に1回の割合で出場した計算になる。
 法制化されて以来、救急業務の実施義務は、人口によって規定されていたが、昭和46年6月に、「消防本部及び消防署を置かなければならない市町村を定める等の政令」の全部が改正され、すべての市に消防本部及び消防署の設置が義務づけられることとなった。さらに昭和49年7月には消防法施行令の一部改正により、50年1月から消防本部及び消防署を置かなければならない市町村として指定を受けた市町村は、同時に救急業務の実施を義務づけられることとなった。