8.昭和40年代の消防

(2)消防機関の状況

昭和40年代の消防

(2)消防機関の状況

 消防力は、この10年間でさらに強化され充実した。昭和39年における常設消防機関は、消防本部が544本部、消防署が641署、出張所が996所、消防職員が4万5,357人であり、常備消防率は62.4%、だった。これに対して昭和49年の常設消防機関は、消防本部が848本部、消防署は1,230署、出張所は2,407所、消防職員は9万8,329人となった。この10年間で、ほぼ倍増である。常備化率は75.5%となった。
 常備消防機関の消防機械の推移は、昭和39年と昭和49年を比較すると、消防ポンプ自動車は1,751台の増加(71.8%)、水槽付ポンプ自動車は872台の増加(82.9%)、はしご付消防ポンプ自動車は512台の増加(483.0%)、救急自動車は2,250台の増加(741.0%)、化学消防自動車は508台の増加(705.6%)と、軒並み大幅に強化充実されているが、逆に三輪消防ポンプ自動車や手引動力ポンプなどは役目をまっとうし姿を消した。

救急車 昭和44年

(「炎」(横浜消防五十年)より)

水陸両用救助車 昭和42年

(「炎」(横浜消防五十年)より)

赤バイ 昭和45年

(「炎」(横浜消防五十年)より)

救助工作車(初代消防特別救助車) 昭和41年

「炎」(横浜消防五十年)より)

化学車 昭和45年

水槽1500リットル
薬液1300リットル(「炎」
(横浜消防五十年)より)

はしご車 昭和48年 40m

(「炎」(横浜消防五十年)より)

 消防団については、昭和39年には3,835団、141万3,285人であったが、昭和49年には3,682団、113万1,723人となっており、この10年間で153団、約28万人の減少である。減少の理由としては、消防の常備化の進行、消防団の再編成、消防団装備の機械化、近代化にともなう人員の削減もあるが、特に大都市及びその周辺部への人口集中による郡部人口の減少、郷土愛護、社会奉仕に関する意識の変化による入団希望者の減少もみのがせないところであった。