平成3年5月15日バングラデシュサイクロン災害

隊員の手記から

バングラデシュサイクロン災害

はじめに バングラデシュサイクロン災害の状況
国際消防救助隊の構成と携行資機材
行動日程 救助活動 各国救助隊の様子
隊員の手記から

6.隊員の手記から

快挙
自治省消防庁救急救助課
課長補佐 尾崎 研哉

バングラデシュサイクロン災害への国際消防救助隊の出動は、我が国で初めてヘリコプターを解体輸送した点で画期的なものであり、緊急援助史上に大きな足跡を残したものと言える。
ガンジス河の上空を日本の消防ヘリコプターが編隊を組み、被災地の救援に向かうなど今まで誰が想像しただろうか。
バングラデシュの任務を無事に終え帰国してから、たびたび、国会、政府関係の会議に招かれ、今回の活動内容を紹介しているが、いずれの場においても消防救助隊の迅速な活動に対し出席者から極めて高い評価が寄せられている。
帰国後も仕事に追われる毎日であるが、時々、バングラデシュでの胸が重苦しくなるような緊張感や手に汗握るようなスリリングなシーンが懐かしく思い出される。
5月9日、外務省から打診があってから、5月15日に出発するまで、消防本部間の調整や外務省、JICA、現地大使館などとの情報連絡に忙殺されながらも、現地でヘリコプターを組み立てることができるのだろうかという不安が常に心に重くのしかかっていた。過去に一度解体輸送訓練を実施しているとは言え、それは施設・設備・人員が揃っている新東京国際空港のことであり、通常ジャンボ機が降りないといわれている施設不十分なダッカ空港で果たして組み立てが可能かが出発までの最大の関心事であり、外務省主催による結団式が空港ロビーで行われている一方で、飛行関係者が現地の状況を電話で確認しつづける状態であった。
第1陣として勇躍、ダッカ空港に着いたものの案の定、荷下し用のメーンデッキローダーが小型のものしかなく、たまたま、空港内でハンガーを建設中の50tクレーンを見つけ早速工事関係者に頼み込み成功したものの荷降ろしが完了するまで8時間を要し、ヘリコプターの受入れ体制を整えるため悪戦苦闘、薄氷を踏む思いであった。また、空港では日本のテレビ局がほとんど顔を揃え取材合戦の様相を呈し、それへの対応に追われ一息つくひまもなかった。後は組立てるだけと万全の準備を整え、第2陣の到着を待ったのだが、徹夜で組立て作業を行う予定が不気味な昆虫の大群に襲われ、翌朝に延期したことは痛恨の一事であった。2機のヘリコプターが組立てられチッタゴンへ向かった時には、これから本格活動というのに、無事フライトさせた安堵感でひと仕事終えたという気分にひたっていた。
バングラデシュでの3週間の活動は、報告書に詳細に記録され、後世に残されることとなろうが、過酷な環境のなか、国民の期待を一身に背負って黙々と救助活動に従事した隊員の苦労は文章では到底言い現せるものではない。また、今回の成果は消防救助隊の活動を全面的に支援してくれた外務省、JICA、全日空整備の職員、さらに我々のために同行してくれた医師、看護婦の方々に負うところが大きく、この紙面を借りて心から感謝を申し上げる次第である。
さた、私にとって今回の出動は昨年のフィリピン地震に引続き2回目となるが、それらの経験から国際緊急援助隊におけるいくつかのポイントを紹介したい。第1に国際緊急援助活動は、被災国の要請から何時間後に活動を開始したかで評価が決まるものである。言わば各国救助隊とのタイムトライアルレースであり、このことは、被災国からの要請を早く取りつけることや、迅速な輸送手段の確保など、外務省、JICA側で考えるべき内容もあるが、消防としても外務省等と協力し、あらゆる障害を排除しながら一国も早く被災地での活動を開始する必要がある。
第2に国際緊急援助活動にセオリーはないということである。予定通り物事が進むことはほとんどなく被災地の国情、災害の態様を考慮し、その度にに対応策を決定していかなければならないものである。全員で最善策を考え、降りかかる問題を乗り越えていく場面が毎日のようにあり、固定観念に捉われず常に頭を柔軟にしておく必要がある。
第3に、国際緊急援助活動は、相手国の意思を尊重して行うことが基本ということである。国民感情、宗教がまったく異なる外国での救助活動はともすれば誤解を招き批判の対象となりかねず、常に外務省、JICA等の職員を通じ、被災国のニーズを確認しておく必要がある。
今後共、国際緊急援助隊のますますの充実と発展を望むものである。

ヘリコプターの海外派遣体制構築の経過について
東京消防庁
消防司令 大森 軍司

平成3年5月9日(木)17時50分頃、航空隊の勤務が終了し、帰宅準備など一日のうちで隊員が一番団欒の雰囲気がある事務室に、電話が鳴り響いた。
「警防課ですが、只今自治省からバングラデシュのサイクロン災害に対する救援活動として、ヘリコプターの要請があり、当庁として検討を開始した。」旨の連絡であった。
この時から、ヘリコプターを海外に派遣し救援活動を行うという、消防の歴史始まって以来の国際的に注目される活動の幕が切って落とされたのである。ヘリコプターを海外に派遣し救援活動を行うことの検討は、IRTの結成調査の段階から開始されており、航空隊においても、ヘリコプターを海外に派遣する場合の必要条件等について約5年間にわたり調査検討を重ねてきた。
ヘリコプターを海外に派遣し災害活動を行うことは、日本の消防界はもとより航空界においても初めての事案であり、この種のノウハウは無からのスタートであった。
今回のバングラデシュへの派遣から多大な功績を収めるまでには、数々の苦労話や、エピソードが多くあり、それらの裏話等について紹介することとする。
ヘリコプターを海外に派遣する方法としては、(1)被災地に直接飛んでいく方法、(2)ジャンボ機に搭載して被災地まで空輸する方法とがある。(1)については、被災地までの運航の危険が伴うという理由から、(2)について調査検討を開始した。

1 ヘリコプターの海外派遣手順と問題点

ヘリコプターを海外に派遣した経験がない我々は、新東京国際空港にある、貨物輸送を専門としているフライングタイガー社や、日本航空貨物部、航空公団、陸上輸送会社等に何回となく足を運んだものである。
そこで調査した内容は、(1)ヘリコプターを貨物機で空輸する手順方法、(2)貨物機に搭載する場合にヘリコプターを何処まで分解するか、(3)輸送するために必要な資器材、空港施設、(4)空輸する場合の法的手続き、(5)空港施設、運航情報、気象情報等の入手要領、(6)関係機関との連絡方法、(7)大型貨物を輸送する場合の法規制と道路状況等であった。調査の初期において我々に大きな衝撃を与えたのは、我々の計画があまりにも膨大かつ国際的であるため、各航空会社等が夢物語として相手にしてくれなかった。しかし、調査の後段の頃には、我々の計画に対する執念が理解されたのか、逆に航空会社の方から航空隊に足を運んでくれるようになり、ヘリコプターを海外に派遣するためのマスターライン作りがスタートしたのである。
この調査によって、ヘリコプターを海外に派遣するためには、次のような問題点があることが判明した。

  • (1)ヘリコプターを空輸するためには、ヘリコプター製造会社が分解する。
  • (2)輸送する被災地の空港には、機体(ジャンボ機)から降ろすための装置MDL(メインデッキローダー)と貨物陸上移動装置(ドーリー)があること。
  • (3)ヘリコプター1機につき、貨物機専用輸送板(パレット)が大型用(20フィート)2枚、小型用(11フィート)2枚の計4枚が必要であること。
  • (4)成田までの陸上輸送のヘリコプター専用輸送車2台と、一般の大型貨物車2台の計4台が必要であること。
  • (5)ヘリコプターは、貨物の輸出に準じた税関上の手続きが必要なこと。
  • (6)ガソリン等の危険物類の貨物機での輸送は、厳しい法規制(搭載前にヘリコプターの燃料を排出)があること。
  • (7)派遣空港の施設、管制及び飛行要領並びに気象情報の入手方法は、事前に把握しておくこと。

など、我々が今までに知らなかった数々の事実について知ることが出来た。
この調査結果のノウハウは、今回のバングラデシュ派遣に際して、日本を出発するまでの準備及び一次派遣隊が被災地に到着した後での準備の判断要素として大きく活用されたものである。

2 海外派遣に必要な資器材の整備

ヘリコプターを派遣するために必要な資器材の整備は、(1)ヘリコプターを貨物機に搭載して輸送するために必要な資器材、(2)ヘリコプターの分解組立及び災害活動に必要な資器材を区分する必要がある。
ヘリコプターを貨物機に搭載して輸送する資器材は、ヘリコプターの製造国から日本に送られてくる方法を応用するため、日本の整備会社のアドバイスを受け、製造会社に必要なリストアップを要求した。
ヘリコプターの分解組立及び災害活動用の資器材は、被災地において現地での手を借りずして活動できることを条件としているため、現地で機体等の吊り下げ用のクレーンが無いことを想定した少人数でも操作可能な4脚式機体吊り上げ装置の開発が必要である。また、航空界においても関心の持たれた資器材の一つである。さらに、資器材等の収納箱は、航空機に搭載するため、全て国際空港規格が適用されるのと、収納資器材の品名及び重量の表示が義務化されているなど、厳しい法規制が我々の頭を悩ませたものである。
派遣に必要な資器材は数百点になり、整備費用は派遣するヘリコプター本体を除いても、約1億4千万程の高額となる。そこで、早期派遣体制を確立する目的から、(1)緊急に整備しなければならない資器材、(2)派遣時に民間航空機整備会社から借用する資器材、(3)当庁航空隊から派遣時に持ち出す資器材等に区分けする必要がある。
しかし、(1)の整備が急がれている資器材の費用についても、約2千2百万円になるため、外務省及びJICAの予算査定は厳しいものがある。また、JICAの返答は、「必要性は十分に理解できますが、他に整備するものがありますから……」と繰り返すばかりで、今思えば丁重な断りであった。
ヘリコプターを活用した各種の訓練等で、外務省、JICAの方と接する機会ごとに、我々の要求している必要な資器材について、お願いはしていたが、外務省の厳しい壁を壊すことはできなかった。しかし、昭和62年に(1)の緊急に整備する必要のある資器材を調達でき、翌年、当庁のヘリコプターを使用して海外派遣を想定しての分解、輸送、組立訓練を実施した。

3 海外でヘリコプターを飛行させる場合の各種法的規制

日本国籍のヘリコプターが外国で飛行する場合には、数々の法的規制がある。一般に日本の航空機が外国で飛行する場合は、その国の領空を飛行する許可が必要なこと。さらに、(1)ヘリコプターの耐空証明(車でいう車検証)、(2)パイロット、整備士の技能証明(車でいう運転免許証)、(3)パイロットの航空身体検査証明などは、出発前に相手国から許可を得ることが絶対条件である。
何時あるか分からない派遣に際し、これらの問題解決のため、運輸省航空局(運航、乗員、検査課)の門を幾度となく叩くこととなった。
運輸省としても、事案が特異なケースであること、計画が壮大であることから、民間会社に訪れた時と同様に、初期の段階においては形式的な回答のみであったが、運輸省から「派遣する前に外務省を通し、相手国から前記の項目について了解を得れば問題ない。」と回答を得た。
今回の派遣に際しても、外務省からバングラデシュ日本大使館を通じて本国の了解を得たものである。
以上がヘリコプター派遣体制の構築に当たっての裏話の幾つかである。この他にも、資器材の保管場所の選定等、色々あったが、事前に一つ一つ問題点を解決していたため、今回の成功を導いたものと考えるのである。
今回のバングラデシュに対して、2機の消防ヘリコプターが孤立した島々に救援物資等を輸送し、多大な功績を収めることができたのも、当庁を始め外務省、自治省、JICA、民間の航空機整備会社等の支援の賜物と考える。
また、ヘリコプターを海外に派遣しての国際支援貢献策が全国的に認識されない時期に、難問が山積みされている計画を作成してきた努力の賜物と自負しているこの頃である。
救援活動を終了した2機のヘリコプターがチッタゴンから雨の雲間をぬってダッカに無事着陸したとき、長い間の悲願を完遂した充実感と今二度と異国の地で飛行することのない安堵感で全身の力が抜け、同時に目頭が熱くなった思いが未だに心の奥に焼きついている。