平成2年7月18日フィリピン地震災害

尾崎統括官に聞く

フィリピン地震災害

はじめに フィリピン共和国地震災害の状況
国際消防救助隊の構成と携行資機材
行動日程 救助活動 尾崎統括官に聞く 隊員の手記

5.尾崎統括官に聞く(雑誌“近代消防” 1990年9月号より)

フィリピン地震災害派遣
国際消防救助隊
尾崎統括官に聞く

 7月18日にフィリピン地震災害に出動した国際消防救助隊(11名)は、バギオ市を中心とした被災地の救助活動を終えて7月26日に帰国した。同日午後3時過ぎ、自治省消防庁において消防庁長官への帰国報告が行われた後、さっそく尾崎統括官に現地の状況等を伺った。
ーー大変ご苦労さまでした。さっそくですが、現地入り当時の状況はどうでしたか。
尾崎統括官。空港から被災地に行くまでに苦労しました。道路が至るところで寸断されているため、しばらく軍のヘリによる便待ちという状況で、約6トンの救助機材の搬入移動するのも大変なことでした。
ーーバギオ市での活動のもようは…。
尾崎。最初、ハイテク救助機材を持った救助チームが到着したということで、現地の救助隊からも大いに期待され、一番むずかしいところを頼むということで、バギオ大学、ネバダホテルなどに行ったのですが、全員避難済みだったり、他の外国救助チームが活動を終了した後だったとか、かなり情報が不確実な面がありました。
 ハイアットホテルには千人以上もの人が埋まっているという話しでしたが、いくら掘って捜索しても発見できませんでしたので、結局、多数の人が逃げたという気がしました。現地のボランティア等の救助活動はノミやオノで掘り進む作業ですが、我々は削岩機で穴をあけてファイバーで見て、それから穴を拡大して入っていくという救助作業を行いました。
 また、現地の救助隊に救助機器の貸与や救出のための技術指導も行ってきました。我々のチームワークも、全国救助大会で顔見知りだった人もいたりして、連携もうまくいきました。
ーー今回の経験を通じて、今後の課題等は。
尾崎。今後の問題としては、機材をもっと整理して軽量化を図るということと、人数も最低でも30人は必要だと考えます。
 いち早く現地へ飛べる専用機の確保や、機材をもっと整理して、動きやすい体制をとる。ということを考えなければならないと思います。

ーー大変お疲れのところ、ありがとうございました。

機国際消防救助隊統括官
自治省消防庁
救急救助課課長補佐
尾崎 研哉 氏

アキノ大統領に会い感謝の言葉を受けた国際消防救助隊のニュースは現地新聞にも大きく報じられた