平成11年9月21日台湾地震災害

個別活動状況(4)

台湾地震災害

地震の概要 被害状況 派遣要請 派遣期間等
派遣隊員等 活動概要 主な救助活動資器材
検索活動状況 活動完了 派遣別の内訳
個別活動状況(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
今回の派遣の特徴

11. 個別活動状況

(4) 9月25日 台中県東勢鎮王朝マンション倒壊現場での活動

 前日24日の午前中、台中県大里市のマンション倒壊現場で活動中、同県東勢鎮にあるマンション倒壊現場に日本人の小野義行氏が取り残されているとの情報が入り、台中王朝マンションで活動していた第3中隊から10名が派遣隊本部員とともに、東勢鎮に転戦し、情報収集を行った。
 情報では、地元の救助隊とロシアの救助チームが活動中であり、小野氏もまだ発見されておらず、他にもまだ数名取り残されている模様とのことであった。こうした状況であったことから、25日は、日本隊全隊が東勢鎮に出向き、現地対策本部とロシア救助チームに申し出て、協同で救助活動を行った。
 7時00分大里市台中王朝マンション・同奇蹟マンションを後にし、全隊、東勢鎮に向かった。途中、豊原市の台中県消防局に立ち寄り、12階建てのマンション倒壊現場の被害調査を行ったが、全て地元の救助隊により検索、救出済であったことから、再び東勢鎮を目指すこととなった。10時過ぎ、東勢鎮のマンション倒壊現場に到着した。
 日本人の小野氏が取り残されているというこのマンションは「東勢王朝マンション」と呼び、耐火造12階、地下2階の高層集合住宅で、3、4階あたりから座屈倒壊し、道路を分断するように横たわっていた。その南側に現地対策本部が置かれ、北側では外壁の穴に極太のワイヤーを掛け大型のクレーンで吊り、これ以上の倒壊を防止する措置がとられていた。
 現地対策本部やロシア救助チームとの交渉の結果、日本隊も協同で救助活動を行うこととなり、前日に続き国際間協力での活動が実現した。10時40分1・3中隊が倒壊し横たわった建物西側で検索を開始し、6階、7階、8階、9階と順次内部進入し、ボーカメを活用し、奥深く室内まで検索の手を伸ばした。この活動の途中で瓦礫の中にあった旅行鞄の中から、小野氏の名刺を発見したため、同氏の所有物と思われる品も数点持出して、その扱いについて白川団長に託した。
 北側地上部分では、1中隊1、3小隊が地階へ座屈した1、2階部分をボーカメによる検索活動を行ったけれども要救助者を発見することはできなかった。

ロシア救助隊(赤いヘルメット)からの状況説明

レスキューツールで安全を確保しての活動

 この現場での活動は当初、地元重機による取り壊し作業開始時間13時までとされていたが、ロシア隊が要救助者を発見していたことや、まだ数名が残されているとの理由から、取り壊しは結果的に翌日まで延期された。このため、13時20分活動を再開し、2中隊はロシア隊からの要請により、発見した要救助者を協同で救出するため選抜隊が内部進入し、また別件の要救助者有りとの情報に基づき、ロシア隊からの要請に備えた。これ以外の1、2、3中隊各小隊は、再び建物西側での検索活動を開始し、更にくまなく6階から9階の検索活動を実施したが、要救助者の発見には至らなかった。
 16時30分2中隊の選抜隊が進入した現場から、担架、救助ロープの応援要請があり、1中隊1小隊がこれに出場したが、発見した要救助者はロシア隊と日本隊により屋外へ搬出し、地上まで担架水平救出で降下させることとなった。日本隊は担架の両端に確保ロープを結着したが、ロシア隊はこれを離脱し、担架中央1ヶ所吊りでロシア隊員が担架とともに水平を確保しながら降下を開始、地上ではロシア隊と日本隊が受け継ぎ地元救急隊のストレッチャーに収容した。地元医師や警察による検死と身元調査が行われ、遺体が身に付けていた指輪を切断したところ、「ONO」と刻まれていたことから、この遺体が日本人、小野義行氏と判明した。救急車で搬送される際には日本隊全員が両側に整列し、敬礼で見送った。直後、ロシア救助チームからの要請により、南側地上部分のボーカメによる検索を行い、活動終了の後、17時40分日本隊は全隊、台中市内の宿泊地に向け帰路についた。

担架水平救出活動中のロシア救助隊

小野義行氏のご遺体に整列・敬礼