下巻

下巻


その一 本所深川十六ノ組火に迎之図

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江戸の大火は,江戸の町の拡張の大きな要因となり,人口増加,町並の発展は隅田川を渡り本所,深川辺に新開地ができて発展しはじめた。町の発展は火事につながり,本所深川一帯にも町火消が必要となり,16組の町火消が享保7年(1722年)に「いろは48組」の編成替えのときに組織された。本所深川の16組の町火消は1組から16組に分けられ,深川南組(5組)、深川中組(6組),本所北組(5組)に編成され,1,280人の火消が本所深川約200ヵ町の消火に従事していた。


その二 いろは組の内“を組”組を立て火に迎ふの景

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町火消が火事に出場する様子を画いたもので,いろは組の内“を組”というのは,浅草,下谷を受持区域とする十番組に所属する組で,289人からなり,浅草,阿部川町,浅富町,六軒町,大工屋敷,辻番屋敷,下谷小島町を受持区域としていた。“を組”の火消たちが竜吐水,青竹の梯子などを持出し,わらぢの紐をしめ,揃いの組名を染めぬいた火事装束の仕度をし,いざ出場という姿を画いたもので,この絵を題材にしたのも定火消同心の広重ならではの作品である。


その三 諸侯奥方御立退之図

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火事が大名屋敷に近づき危険が迫ると,大名の奥方たちは,この絵のような火事装束をして難をのがれたものであった。上屋敷が延焼しそうになると奥女中などの家臣に守られ,下屋敷へ逃げるのがこの頃の風習であったようだ。大名の奥方の火事装束は絵でもわかるように,赤いラシヤで作られた羽織と頭巾からなり,嫁入先の家紋を染めぬいて嫁入り道具の大切なものの一つで,現在,その実物が残されており実に華麗なもので,この時代の火事の備えが女性にまで及んでいたことを物語るものである。


その四 急火土蔵之戸前目塗之図

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火事が近づくと,家財,貴重品などを土蔵に入れ,この絵のように,扉や窓を閉めて目塗りをして難をのがれたもので,こうしておくと土蔵に火が入らず,中の家財は焼残ることから,江戸の町民の火事に対する生活の智恵を画いたものである。この目塗に使う土は,日頃から土蔵の前に山盛りにして準備しておいたものである。土蔵造りは今日の耐火建物の元祖で,都市に大火の多かったこの時代に考え出された防火都市造り政策から奨励されたもので,この目塗りこそ大火に処する庶民の生活の智恵であろう。


その五 火災家具持出之景

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火事が次第に大きくなり,自分の家も危険が迫ると,どうしてもこの絵のように,一つでも多くの家具を焼かないために持出すのが人情である。この絵は,まさに火事が近づき,あわてふためいて家具をかつぎ出している絵で,江戸の庶民の生活道具,小物類,生活用品を克明に画き,しかも,そのあわてぶりがよく表現され当時の庶民生活を知る上で貴重な資料となる絵である。江戸の華という火事絵巻物を21点の絵物語りに表現した広重の作品の中の一つのアクセントをつける絵である。


その六 牢払之罪人火に追れ逃行光景

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伝馬町の牢家に火の手が近づくと,収容している罪人が焼死することから,奉行の命令で,これらの罪人を解きはなすことが制度として定められていた。この罪人たちは、同心の命令で火事が収まったら指定の日時と場所に参集するよう言渡され,出頭すると罪一等を減じられたという。この絵は,開かれた牢屋から目付の悪い罪人たちが叫び声をあげて出てくる,すさまじい様相がよく画かれている絵で,明暦大火を記した〝むさしあぶみ〟にも,これと同じ内容の絵が残されている。(第1部 第1章参照)


その七 遊君別荘江立退之図

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「ヂャン」と半鐘が鳴り,風でも強ければたちまち燃え拡がり,大火になるというのは,火消時代の都市ではごく当り前の事だった。やがて火は延々と燃えさかると,風下の町の人々は安全な場所に逃げるしか手がなかった。この絵は,江戸でも特に大火の多かった吉原の遊女が燃えさかる大火を見て〝かご〟で逃げのびるところを画いたもので,江戸の華・下巻その三の〝諸侯奥方御立退之図〟と合わせてみることにより,武家と庶民の女性を通じて火事とのかかわりをみる興味深い火事絵である。


その八 四十八組之内壹番組いよはに万の五組火がか里の図

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江戸町火消は「いろは48組,本所深川16組」からなり,いろは48文字を組名にあて「へ,ひ,ら,ん」をきらい「百,千,万,本」を当てていた。この絵は,その万組を合せた5組の1番組が,火がかりをしている絵で,当時の火消は纏を定められた屋根に上げ,組の者が必死に水をかけることにより消し止め,「消口」をとることを名誉としたものであった。火炎の中で頑張る纏持の勇壮な姿を画いたこの絵は,広重が画いた江戸の華の火事絵のハイライトである。


その九 町火消弁當を送り来し図

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大火になると一日中燃えつづけ,翌日まで延々と燃えることは,この時代にはごく当り前のことであった。従って火事に出動した火消達に弁當を配って頑張らせたもので,各組の提灯を掲げて火事場の近くまで弁當を届け,自分の組の者をこの提灯で見つけだし組の者に給食した。火消達が働いている川を隔てゝ,提灯を掲げて弁當を持参している所を題材にしたこの絵は,前の“火がかりの図“とともに,江戸の大火における火消達の活躍を余すところなく画いた名作である。


その十 鎮火する否や板囲をするの図

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"江戸乃華"下巻の終りの2点は,火事もようやく収まった頃の様子を画いたもので,全21点は火事を発見して知らせる絵に始まる,江戸の火事の様子を一連の絵物語風に画いた作品である。この絵は,火事が収まり,焼跡の始末を始めたことを画いたもので,点々と見える札は〝消口〟をとった組の名を記した札で,鳶の者たちが早速板囲いや跡かたづけに精を出している様子が克明に画かれている。この絵のように,当時の火消たちは火を消すだけでなく,鎮火後も火事場の跡かたづけに働いたことがよくわかる。


その十一 火事場数丁を去る風上の所に於て空腹いやすの景

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火事は延々として燃えているが,風上側の町では延焼の危険も少いことから,火事場で働く人々,火事場から逃げてきた人々,火事見舞の人でごったがえしたようであった。これらの人々は長時間にわたって動き廻ったことから空腹を訴え,その需めに応じてこのように屋台の店やかつぎのそばやが集り,大いに繁昌したようで,大火の裏面を画いた江戸風俗をよく表現しており,〝立斉〟の記名は初代広重の作であることを証明し,この21点で終わっている。