上巻

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その一 毎町自身番屋火事を知らするの図

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自身番は,江戸の町の各町毎に1ヵ所宛設置し警戒にあたったもので番所ともいわれた。天保年間の文書によると,自身番は大きな町または2~3町の組合で設置したものには番人が5人(家主2人,番人1人,店番2人,昼は半減)いた。小さな町では3人,幕府から命ぜられた場所には7人の番人が勤務しており絵のような簡単な火の見櫓があり,火事や非常事態には規定の打方で半木を打ち町内の人々に知らせたものでその様子を絵にしたものである。


その二 御使番並諸侯手子火元見之図

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御使番は,若年寄配下で才知のすぐれた幹部候補級の旗本から選ばれた幕府の役職で,役高は千石位で60人が定められた持場で活躍した。火事のときは現場の様子を老中に知らせるため馬で火事場と城中を往復し,その報告次第では火消達の進退を左右するほどの力をもっていた。また,御使番は馬術の妙技が要求され,陣笠の裏に金を塗ってあったことから江戸の町民は“裏金が来たぞ!!”と道を開けたという。この絵は家来を引連れ火事場に急行する御使番の様子を画いたものである。


その三 御使番並火事場見廻役駈付之図

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火事場見廻役は,寄合席から選ばれる若年寄配下の幕府の役職で,天保7年(1836年)3月に10名が任命されたのが始まりで,同9年本所深川の2名が追加任命された。その役目は火事場において火消達の進退を左右するほどの力をもっており,御使番とともにその進退につき相計ったといわれるが,その様子を画いたもので,繰出する人員,火消の増強,消口の指揮などに当ったもので,役高は持高であったことから御役ではなく御奉公といったといわれる。


その四 御小姓衆君命により火所に迎ひ並大火に付要所警固之図

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江戸城を中心に配置された大名,旗本の屋敷は,火事になると夫々の役割が予め定められていた。火事場に駈付け老中に報告するもの,火消の進退を指図するもの,消火に従事するものなど戦場さながらに家来を引率してその任にあたった。特に大名には,幕府の重要施設の火消役が任命され,使いに出した御小姓の報告により受持ちの場所に火消道具一式を持って駈付け警戒にあたったもので,これを所々火消といいその様子を画いたものがこの絵である。


その五 十人火消勢揃之図

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“十人火消”とは,江戸城防禦のため旗本に命じて定火消隊を江戸城の周辺に配置していたがこれが10ヵ所であったことから定火消のことを十人火消ともいった。定火消は,火事の場合最も活躍した幕府が設けた火消部隊で,竜吐水,玄蕃桶,水桶などの火消道具を常備し,火消人足(ぐわえん)を常に待機させ,いざ火事となるとまっ先に駈付けたもので,町火消とともに火消時代の花形であった。この絵は定火消が勢揃いし道具を整え火事場に出かけるところを画いたものである。


その六 十人火消出馬之図

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十人火消といわれる定火消を命ぜられると幕府から屋敷が与えられ火消屋敷に住んでいた。この火消屋敷には3丈(約10m)の火の見櫓と半鐘が設けられ,他の武家屋敷と格差をつけられていた。いざ火事となるとこの絵のように美麗な火事装束で馬に乗り家来,火消人足を引率して出場した。このため門を出るときつまづかないため門に敷居のないのが特徴で,この絵は定火消が火消屋敷から出場する様子を画いたもので,定火消同心であった広重ならではといえる絵である。


その七 諸侯御見舞火消繰出之図

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幕府の政策で全国の諸侯は,江戸に屋敷を設け妻子を住まわせていた。これらの大名の屋敷は,上屋敷,中屋敷,下屋敷といわれて江戸市中,周辺にあったが,これらの諸侯は日頃から屋敷のある場所を受持ちとする火消達に,火事のときは宜敷く頼むと頼んであったものであった。この絵は,諸侯の屋敷の近くが火事になると火勢のいかんにかゝわらず駈付け,見舞ったり,警戒したり,火事が近づけば消火にあたるという諸侯と火消達のかゝわりを画いたものである。


その八 加州侯御火消大聖殿前警衛之図

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加州侯とは,加賀百万石の前田家の呼名で本郷に屋敷があった。現在の東京大学の赤門がその正門であり,有名な加賀鳶という鳶人足の私設火消組を抱えていた。その独特の風流さと意気込みは火消の中でも特に知られ,その出動の様は勇壮を誇り守備範囲も消火能力も抜群であったといわれている。この絵は湯島の聖堂が守備範囲であったことから火事になると加賀鳶は加賀藩の家来とともに出動し警戒に当ったもので,それを画いたものである。


その九 近火破眠之図

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“火事と喧嘩は江戸の華”といわれたように江戸は火事が多かった。この頃は,一度火事になると大抵は大きく燃え拡がり大火になることが多かった。また,火事は江戸の庶民を最も苦しめたものの一つで,当時は木と紙の町並で,これといった火消道具もなく,延焼を防ぐのに破壊以外有効な手段がなかった時代である。この絵は,「火事だ!」という声と半鐘が近火を知らせる音に目覚め,あわてふためいて家財道具,貴重品などをまとめている庶民の火事における姿を画いたものである。


その十 商店近火之見舞を受る之景

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火事が風向きが変わったり,雨になったりしてようやく収まると火事見舞は当時の風習の一つであり,商店は取引先を見舞うのが常であった。文化,文政の頃は,火事があると見舞の品々――鋤,鍬,なべ,釜などの日用品――を車に乗せたり肩にかついで見舞に出かけたもので,当時の火事の記録をみると,大丸屋、白木屋,三井呉服店,越後屋などが最も早く見舞にきたと記され,火事見舞も当時の商人にとっては大切な慣習の一つであり,焼残った商店はこの絵のように店先で挨拶をうけたものである。