〔其ノ拾〕「鯰退治」の話

〔其ノ拾〕「鯰退治」の話

 

「鯰繪」には、いくつかの図柄のあることを見て来たが、夫々に作者が図柄によって意図を表現し、少しでも人々の目につき、心をゆさぶって売上げをあげようとする、商魂があらわれている。その内容も単純な意図のものや、いくつもの意味を盛込んだものなど、いくつかに分類することができる。
この「鯰退治」という地震鯰繪は、地震を起こした元凶は鯰であるとして、これをこらしめるという意味と、地震から家内安全を守るための“お札”であるとして、この鯰繪を売らんとした意図で画かれたものである。
この絵の見所は、一般に地震を起こした鯰に対し、大儲けをした連中(材木問屋、大工、屋根屋、左官、鳶職)は、鯰を有難がって感謝している一方、大損をした金持、大家、芝居小屋、芸人などは、鯰を打ちのめして怨みを晴らすという設定の鯰繪が多いが、この「鯰退治」は、大儲け、大損の区別なく、地震を起こした大鯰を俎の上に乗せ、江戸の庶民の総てが、各自道具を手に鯰を打ちのめしているという珍らしい構図になっている点である。その理由は、総ての人々が地震鯰を、打ちのめして退治する図柄によって、この「鯰繪」を家内安全の“お札”に仕立てようとした作者の意図がはっきりと表現されている。
地震を起こした大鯰を、打ちのめしている人を右下から見ると、庖丁を手にした遣手婆さん、女形、芸人、材木屋、遊女、職人達、長屋の隠居、仲間、物売り、坊主、おかみさん、掛矢をふりあげた職人、庖丁で鯰の胴体を切る職人達などを画いて、江戸の庶民の総てが難渋した怨を、この大鯰にぶつけているもので、人相、風態、着物、職業など江戸時代の風俗の時代考証にも、大いに役立つ図柄である。
また、右上に鯰のおかみさんが子供を背にして助けをもとめているが、裸の職人がしたり顔で“かんべんならねえ!”と払のけているものを画きこんでこの鯰繪をしめている。
左上に画かれた東方、西方、南方、北方、中央という文字は梵語のまじないで、その左の文字を読んでみると、「東西南北天井へ このふだをはりおけハ、家のつぶるるうれひ さらになし」と書いて、この鯰繪を家内安全、地震除けに貼りなさいとした“お札”であると作者はいっているが、信仰的な根拠があるわけでなく、江戸の庶民のあらゆる階層の人々が大鯰を打ちのめしているという、単純なことでも、科学の未発達の時代に、地震は鯰が起こすものと信じていた人々の、心情に訴えて鯰繪を売らんとしたものである。
地震除けの“お札”といえば、やはりこのような安直なものでなく、鹿島太神宮と要石が地震鯰を押さえている図柄の方が、なんといっても極めつけで、主流をなすものであったが、このような図柄の鯰繪も結構売れたらしいということであった。