〔其ノ八〕「鹿島太神宮と要石と大鯰」

〔其ノ八〕「鹿島太神宮と要石と大鯰」

 

ここの“鯰繪”は、“鹿島太神宮”と“要石”とが大鯰を押えつけ、地震の元凶を鎮めるという典型的な図柄の絵である。
大地震後に売出された“鯰繪”を代表するような図柄だけあって、鹿島太神宮が雲の上に画かれ、お札を掲げた要石に紛する芝居役者の男が、大鯰を押えつけ、神の力を直線で画いてこれを示している。大鯰のまわりを囲んで、鹿島太神宮のご利益(りやく)を信じて、大地震に恨みのある者共が手に手に得物を持って、この大鯰をこらしめている図柄で、左上には小さく、大地震に恨みを持つことのできない者達を画がいており、ここにも、大損をした前者と大儲けをした後者が、別の意味の角度から画き出されているが“鯰繪”としては、家の中に貼る“お守札”の役目も果しうるように画かれたものであろう。
恨みある者共をみると、
商人 “土蔵のうらみ”は、営々として築きあげ、ようやく商売繁昌になった商人が、地震で壊された土蔵の恨み。
座頭 “金のかたき”盲人が、こつこつ稼いだ金を、地震で一遍に失ってしまった金の恨み。
武士 “主のかたき”武士が仕えている主家が倒壊した恨み。
子供 “親のかたき”地震で圧死、焼死した親の恨み。
親 “子のうらみ”地震で失った子供の恨み。
地主 “地面のうらみ”地震の地割れや流失によって、田畑を失った恨み。
坊主 “師のかたき”地震で多くの社寺が倒壊、焼失し、寺の坊主は路頭に迷ったことを“師”になぞらえた恨み。
芸人 “我身のうらみ”芸人達は、地震で芝居小屋が倒壊、焼失して休座したため、出場を失ったことへの恨み。
女房 “夫のかたき”地震で圧死、焼死した夫のかたきと、夫が職を失った恨み。
客人 “なじみのかたき”吉原の通いつめた女郎が死んだ恨み。
これらが、地震に恨みをもつ人人であり、これと反対に、地震に恨みを、もちえない人々として、つぎのようなものをあげているのが、対照的で面白い。
土方、吉原(女郎)、金物屋、材木屋、かや葺屋根(地震では潰れない)、名倉(なぐら)(接骨医)、大工、左官、屋根屋としているが、これらの職業で、第壹話の角力見立番附と比較してみると、全く同じであり、建築関係が目立つのと、骨継医を“名倉“といったのは、江戸時代から続いている、接骨医院の代名詞として有名な名前で、これを、地震によって繁昌した接骨医を、骨を直す者の繁昌を“世の中”を直す「世直し」の考え方に引っかけた例として、興味ある表現で、“鯰繪”の社会的な流行の意味をよく物語っている。
作者がこのような図柄で画いた真意は、大書したものよりも、隅に小さく画いた方が、読者により強い印象をあたえることを計算に入れて図柄を画いていると思われるのだが、併せて興味を引く点であろう。