(1)九月一日

(1)九月一日


(一)九月一日

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私は、あほむけになつて新聞をよんでゐた。正しい記録からいふと午前十一時五十八分、寝てゐる背中を三四回、グングンとこづかれるやうな感じがすると同時に、家はゆらゆらとゆれだした。たゞでさえ地震ぎらいな私は、いきなり玄関の処の広場へはだしのままで飛び出して、早く来い早く来いと家のものを呼びながら四方を見ると、ゴーツといふ恐ろしいうなりと木造の家がミシミシとゆすぶられる音と、瓦の飛び散るひゞきとが、耳を聾せんばかりであつたが、心の中では大変は来やしない、ただの地震の大きいのだ、我が一生に大変なんてあるもんかとはかなくもきめて居た。二人の子供を連れて、家内のものが二人、女中が一人飛びだして来て、一同そろつて木の幹につかまると、再び恐ろしいゆれが来て、私共は、はづみを食つてふりまされるやうな心持がした。
しばらくして、私は、すぐ前のお医者様の広場へ逃げた、一同もそこへ来た。余震は猶あとからあとから来た。ゆすれる度に、近所の家の男女は、ナムアミダブツナムアミダブツと一斉に念じた。六ツになる男の子は、「母さんもうこれからいゝ子になります!」といつた-すーッと涼しい風が吹いて、少し心が静まると、もう家の事が気になつた。あゝ簡易生活にがぎると私は思つた。
しばらくすると、東の方の青空にかつて見ない見異様の入道雲がもくもくとわき出した。南の方にもあらはれた。人々は、これが三原山の噴火であるといひ出したが見当がちがふといへば南のが本当で、東のは別のものだといふ。高架線の線路に上ると、市内各所に黒煙が見えたが、これがこうした悲惨事を生むとは全く考へだにしなかつた。私がこんな事を考へて居る間に、震災のはげしかつた市中では、幾多の人々の命が失はれ、黄金に代へられない芸術品が焼かれて、人々は、命を限りに逃げまどつて居たのである。