〔其ノ拾四〕“吉原に繰込んだ職人”の話(其ノ一)

〔其ノ拾四〕“吉原に繰込んだ職人”の話(其ノ一)

 

江戸の吉原といえば、日本を代表する遊廊として、余りにも有名な遊里であった。現在では、売春禁止法によって遊廓というものが無くなったが、江戸時代においては盛業を極め、庶民ばかりでなく、上は大名に至るまでもこの地に遊んだもので、現在は建前上は、完全に消滅したものの一つとなってしまった。
この地震鯰繪は、よくみると地震によって懐がすっかり温かくなり、沢山の手間賃を手にした職人達が、自分達をこんなに楽しいものにしてくれた地震鯰を伴って、吉原に繰り込み、それぞれ好みの女郎と楽しい一夜を過さんとする賑わいを画いたもので、絵の構成にせりふはないが、鯰と職人達、それに添え物の駕籠かき、店の主人と、どれ一人とっても好色そうな表情でうかれきっている。
これと対照的に“おいらん”といわれる女郎の表情は、この時代に沢山画かれた浮世絵と、全く同一の表情でとりすましており、お客(地震で儲けた職人と連れの鯰)と“おいらん”を対照的に画き出しているのが、この地震鯰繪の見所である。
題名にある「當世仮宅遊」とあるのは、この“仮宅”というのは、吉原遊廓が大火や大地震によって焼失した場香hA周囲が田圃であった田舎の吉原から、江戸の町はずれである近くに仮営業を許可したことから、これを“仮宅営業”と称したもので、吉原遊廓が復興出来るまでの間、この“仮宅”で女郎が営業を行ったといわれ、距離も近く、通う途中が安全なことから、本来の吉原にも優る繁昌をしたといわれている。
この地震鯰繪は、安政大地震ですっかり焼け落ちた吉原を他所に、“仮宅”を設けて遊女屋が商売を始め、大いに繁昌したという史実にのっとり、これを地震鯰繪の設定に盛込み、職人達が遊女を目当てに、吉原ならぬ仮宅に繰込んだ様を、賑やかに画いて痛烈な風刺画としたものであり、これがこの地震鯰繪の見所であるといえよう。