7.昭和30年代の消防

(1)災害の状況

昭和30年代の消防

(1)災害の状況

火災

 昭和30年代になっても大火は続いた。この10年間に15件の発生をみた。ほとんど毎年のように発生している。終戦後、大火のなかった年を数えると、昭和28年、34年、35年、38年と、ごくわずかである。
 昭和30年代の大火の中で、秋田県大館市は昭和30年5月3日(死者1人、負傷者20人、焼損棟数345棟、焼損面積3万8,211平方メートル)、翌31年8月18日(負傷者16人、焼損棟数1,344棟、焼損面積15万6,984平方メートル)と2年続けて大火に見舞われた。また、昭和36年5月29日に発生した岩手県新里村三陸大火は、死者5人、負傷者97人、焼損棟数1,062棟、焼損面積は建物5万3,047平方メートル、林野4万366haという非常に大きな被害が生じた。特に林野における焼損面積は過去最大のものである。この年は、青森県八戸市大火(焼損棟数720棟、焼損面積5万1,752平方メートル)、北海道森町大火(負傷者80人、焼損棟数554棟、焼損面積4万4,664平方メートル)が発生したほか、全国的に火災が多発した年であり、ほぼ愛媛県に匹敵する54万5,957haの林野を焼失した。
 この時代の主な建物火災は、昭和30年2月17に発生した横浜市聖母の園養老院火災(死者99人、負傷者9人)をはじめ、同年8月11日の岡山市工場火災(死者11人、負傷者24人)、昭和32年2月18日の鹿児島市市場火災(死者13人、負傷者2人)、同年7月15日の東京都大田区製薬工場火災(死者13人、負傷者20人)、昭和33年2月1日の東京宝塚劇場火災(死者3人、負傷者25人)、昭和34年1月27日の北海道美幌町銀映座火災(死者12人、負傷者23人)、翌35年1月6日の横須賀市衣笠病院火災(死者16人)、同年3月19日の久留米市国立療養所火災(死者11人)、昭和38年8月22日の東京池袋西武百貨店火災(死者7人、負傷者114人)、同年9月25日の神戸市ゴム工場火災(死者17人、負傷者8人)などがある。
 また、船舶火災には、昭和37年11月18日、川崎市京浜運河内タンカー火災(死者41人、負傷者10人)が発生し、林野火災としては三陸大火のほかに、昭和34年5月1日に発生した北海道別海村山林火災(焼損面積5,259ha)などがある。

川崎市京浜運河内船舶火災(昭和37年11月18日)

船舶の衝突から計4隻が炎上、死者39人
(「自治体消防四十年の歩み」より)

危険物施設、石油コンビナート及びその他の事故災害等

 危険物施設における火災には、昭和34年7月11日に発生した協和発酵宇部工場爆発(死者11人、負傷者40人)、昭和39年6月11日に発生した川崎市昭和電工kkの爆発火災(死者15人、負傷者122人)、同年7月14日に発生した東京都品川区勝島倉庫火災がある。この火災では硝化綿の爆発に伴い、消火活動を行っていた消防職団員19人が死亡、158人が負傷した。

夜空を焦がす巨大な火柱

(「東京の消防百年の歩み」より)

 また、石油コンビナート災害には、昭和39年6月16日に発生した新潟地震により、石油コンビナート地帯で発生した原油タンク火災がある。これに対応する化学消防自動車及び消火剤が新潟市では不足したため、東京消防庁から化学消防自動車5台と応援隊員36人が、高岡市消防本部から化学消防自動車1台と応援隊員7人が、さらに石油連盟からも化学消防自動車5台が応援出動した。消火剤はトラックにより陸送したが、それでも不足したため航空自衛隊、在日米軍の協力を得て空路による緊急輸送が行われた。この大規模油火災に出場した消防自動車は延べ255台、消火活動にあたった消防職団員2,173人、使用した消火薬剤はエアフォーム原液約100キロリットル、ドライケミカル消火剤約3,000キロリットルに達した。

自然災害

 台風などの風水害によって死者100人を超える大災害は、昭和32年7月の諌早水害(死者586人、行方不明136人、負傷者3,860人、建物損壊4,366棟)、昭和33年9月の狩野川台風(死者888人、行方不明381人、負傷者1,138人、建物損壊4,293棟)、昭和34年9月、台風がもたらした被害としては戦後最大のものとなった伊勢湾台風(死者4,697人、行方不明401人、負傷者38,921人、建物損壊15万3,890棟)をはじめ、8件発生している。また、特異な自然災害として、昭和30年5月11日に瀬戸内海を航行中の宇高連絡船紫雲丸が沈没し、死者166人を生じる事故が発生した。さらに昭和33年1月には、瀬戸内海を航行中の南海丸が風浪により沈没、死者174人、行方不明83人、負傷者8人の被害が生じた。
 地震災害については、昭和35年5月23日、チリ地震(M8.5)の影響で北海道南岸、三陸沿岸、志摩半島が津波に襲われ、死者、行方不明者139人、家屋の全壊・流失6,943棟の被害が生じた。また、昭和36年2月2日、長岡地震(M5.2)により死者5人、家屋の全壊220棟の被害を生じた。昭和37年4月30日には宮城県北部地震(M6.5)が発生し、死者3人、家屋の全壊369棟の被害が生じた。さらに昭和39年6月16日には新潟地震(M7.5)が発生し、液状化現象による団地の倒壊、道路の地割れなどが生じ、死者26人、家屋の全壊1,960棟、全焼290棟、焼損面積5万7,282平方メートルの被害が生じた。 なお、火山噴火災害は、昭和33年6月24日、阿蘇山大爆発があり、死者21人、負傷者28人の被害が生じた。また、昭和38年1月には豪雪により死者228人、行方不明3人、負傷者356人、建物損壊1,735棟の被害が生じる雪害が発生している。

雪害(昭和38年1月)

北陸、山陰、山形、滋賀、岐阜地方
死者228人、行方不明3人、負傷者356人、建物損壊1,735棟
(「自治体消防四十年の歩み」より)