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日本の火山情報

解説 山体写真 位置図 ハザードマップ 噴火実績図 出典
解説-有珠山(うすざん)-
1.火山の緒元
火山名 有珠山
地 域 北海道南部
標 高 732m
北 緯 42°32' 29''
東 経 140°50' 34''
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2.有珠火山の概要
北海道中西部、洞爺湖(洞爺カルデラ火山)の南側の縁に形成された有珠火山は、最近300年間に7回も噴火を繰り返してきたとても活動的な火山です。この火山は、直径6km、高さ約500mの頂部が崩壊した成層火山部とその山頂部や周囲に形成された寄生火山、溶岩ドームで構成されています。平坦だった畑が見る見る隆起して、火山ができて有名になった昭和新山も有珠火山の周囲の溶岩ドームの一つです。

3.有珠火山の形成史
有珠火山の形成は休止期を挟んで成層火山(外輪山)形成期と新規の活動の2つにおおきく分けられ、成層火山形成期の最後にはその山頂部が崩壊しました。このときの崩壊堆積物は南西側に広く分布しています(善光寺岩屑なだれ堆積物と呼ばれています)。新規の活動では火砕流を伴う大規模な軽石噴火や火山灰の噴火の後に溶岩ドームを形成する活動を7回繰り返しています。新規の活動の噴火には1663年、1769年、1822年、1853年、1910年、1943〜1945年、1977〜1978年の活動があります。

1663年(寛文3年)の活動
1663年8月12日から微動、鳴動が発生し、16日に大爆発をしました。付近の家屋が焼失または噴出物で埋没し、5名の死者が出ました。このときに小有珠溶岩ドームができたとされています(はっきりわかってはいない)。

1769年(明和5年)の活動
火砕流(明和火砕流)を伴う噴火で、南東山麓で民家が焼失しました。

1822年(文政5年)の活動
1822年3月9日から地震増加し、12日に爆発が発生しました。15日には活動さらに激烈になり、23日に激しい震動・鳴動と共に火砕流(文政火砕流)が流下しました。これらの活動で旧虻田(アブタ)集落が全滅し、死者50名、負傷者53名の被害が出ました。

1853年(嘉永6年)の活動
地震が次第に激しくなり、地震発生から10日くらい後に噴火が始まりました。噴火は数か月続き、降灰や火砕流(立岩火砕流)が発生しました。このときには大有珠の溶岩円頂丘が形成(あるいは成長)したと考えられています。

1910年(明治43年)の活動
1910年7月19日から地震が始まり鳴動、震動が頻発しました。その後、24日にはM5程度の地震が起こり、虻田村で民家の半壊、破損が15棟発生しました。25日に金毘羅山で爆発が始まり、ついで金昆羅山から東丸山の西に至る間に約45個の火口が次々に生じました。この火口から土砂・岩屑を噴出して、泥流も発生しました。さらに西丸山の東部が隆起して明治新山(四十三山)ができました。この噴火で家屋・山林・耕地に大規模な被害あり、泥流で1名の死者が出ました。

1943年〜1945年(昭和18年〜昭和20年)の活動
1943年12月28日から地震継続し、1944年1月末から南東側山麓で土地が隆起しました。4月以降・隆起は次第に北方に移動して、地別れ、地震が激しくなりました。6月23日にはついに噴火をおこして火山灰や砂を噴出しました。さらに7月2日、3日に爆発して多量の噴石、火山砂を放出して農作物に大きな被害を与えました。7月11日の活動では負傷者1名、家屋破損、焼失、農作物に被害が出ました。8月26日の活動では、幼児1名が窒息死し、家屋が焼失しました。その後10月31日まで数回の爆発がありました。この間も地面の隆起は継続し、10月下旬には高さ100m以上の小山に生長しました。その後大きな爆発ありませんでしたが噴気が続き、12月20日には黒色の溶岩の尖峰が出現しました。昭和20年に入っても尖峰は隆起を続け、9月には山頂が406.9mに達して上昇を停止し、昭和新山と命名されました。

1977年8月7日〜1978年10月27日(昭和52年〜昭和53年)の大噴火
1977年8月6日3時30分から有珠山付近で有感群発地震(体に感じる地震が多発する)が始まり、翌8月7日9時12分に外輪山内の火口原から激しい軽石噴火が起こりました。同年8月14日未明まで4回の大きい噴火を含む10数回の噴火が断続しました。噴煙の高さは最高で12,000mまで達し、火口周辺地域には多量の軽石・火山灰が堆積しました。降灰は道内119市町村におよびました。その後10月まで噴火はありませんでしたが、地震活動と火口原内の隆起現象は続きました。山頂部の大きな地殻変動は北麓から東麓にも及び、道路や建物、上下水道等に深刻な被害がでました。11月16日からは火山灰を噴出する水蒸気爆発が始まり、新しい火口を次々に生じて1978年10月27日まで継続しました。1978年10月24日には貯まった火山灰などが降雨で泥流となり(二次泥流)、死者2名、行方不明が1名、軽傷が2名、住家被害は196棟と大きな被害がでました。この活動によって、オガリ山と小有珠の東麓部は約180mも隆起し、「有珠新山」と命名されました。

4.最近の噴火活動
平成12年(2000年)有珠山噴火

(1)噴火開始前
2000年3月27日から有珠山付近を震源とする顕著な群発地震が観測され、伊達市付近の水井戸でも水位の上昇が観測され始めました。これらの前兆現象を受け、3月28日0時50分、室蘭地方気象台が火山観測情報第1号を発表しました。その後、有珠山付近を震源とする有感地震も洞爺湖温泉街で感じられるようになり、さらに地震回数も増加したため、2時50分、臨時火山情報第1号が発表されました。28日朝には、壮瞥市、伊達市、虻田町が火山災害対策本部を設置しました。3月29日、噴火予知連拡大幹事会は緊急火山情報第1号を発表し、「今後数日以内に噴火が発生する可能性が高くなっており、火山活動に対する警戒を強める必要がある」との見解を示しました。17時22分には、有珠山付近を震源とするマグニチュード4.2の地震が発生しました。有珠山の周辺では地殻変動が観測され始めました。3月30日夜から31日朝にかけて、JR室蘭本線でレールの湾曲が発生し、虻田町入江地区では道路縁石や側溝の挫屈変形や舗装面の変形が見られました。また、西山西麓〜金比羅山〜有珠山北山腹にかけて多数の地割れが出現しました。

(2)噴火開始〜終息
2000年3月31日13時7分、有珠山北西部に位置する西山の西麓から最初の噴火が発生しました。西山の噴火は、次々と新しい火口を形成し(西山西麓火口群)、黒色の噴煙は高さ最大3500mまで達し、千歳市から札幌市でも降灰が確認されました。噴火を受けて政府は有珠山噴火非常災害対策本部を設置しました。4月1日11時30分過ぎ、有珠山北麓の金比羅山西側山腹から新たに噴火が始まりました(金比羅山火口群)。西山西麓火口群、金比羅山火口群ともに黒色の噴煙を断続的に上げ、有珠山南東側に多量の降灰が降りました。また、西山火口群では火口から流下する熱泥流が見られました。4月2日には金比羅火口群でも、火口から溢れ出して流れ下る熱泥流が目撃され、その後、泥流は流路工を流れて、洞爺湖まで到達し、あふれた泥流が洞爺湖温泉街の建物に被害を与えました。4月3日、西山西麓火口群の周辺では隆起に伴う断層群が確認され、国道やその周辺の建物に壊滅的な被害を与えました。なお、西山西麓火口群北の隆起活動は7月上旬まで継続しました。4月4日には、有珠山から30km北方の倶知安測候所でも降灰が観測されましたが、4月6日以降、火口から10km以上遠方に降灰をもたらすような大きな噴煙は観測されなくなりました。その後、7月〜8月にかけて地殻変動は減退し、9月以降、地震活動は噴火前のレベルに戻りました。2001年5月28日噴火予知連は「2000年3月に始まったマグマの活動は収束した」と発表しました。

参考文献:広瀬ほか(2002)「有珠山2000年噴火の経過-特に降灰調査、噴煙遠望観測、地形変形、火口分布および亀裂について-」,北海道立地質研究所報告,第73号,1-50.

5.噴火様式と噴火災害の特徴
有珠山の噴火では、前兆現象として火山性の群発地震起こることが多く、溶岩ドームの成長に伴う地盤の隆起(溶岩ドームが地上に現れずに地形だけ隆起したものは潜在ドームと呼ばれています)や地形の変動が見られます。噴火は水蒸気爆発やマグマ水蒸気爆発による火山灰の噴出の場合と、大規模な軽石噴火、火砕流の流下に発展する場合もあります。また、堆積した火山灰等が降雨によって二次泥流となり被害が出た記録もあり、噴火中だけでなく噴火後にも十分な注意が必要です。

6.噴火実績図
1977年有珠山噴火の降灰深と主な被害分布

7.ハザードマップ
有珠山火山防災マップ

8.観測施設および付近の気象官署
観測機関
・北海道大学
・東京工業大学
・海上保安庁水路部
・地質調査所

付近の気象官署
・室蘭地方気象台



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