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宮澤清治の防災歳時記

悲しめる乙女の像

NHK放送用語委員会専門委員
元気象庁天気相談所長
宮澤 清治

南木曽町は土石流の本場

写真1 奈良井宿(信州・木曽路)
  長野県南西部にあって岐阜県との県境に近い木曽郡 南木曽 なぎそ 町は、かつて中山道の宿場としてにぎわった 妻籠宿 つまごじゅく をはじめ、水が澄んだ田立の滝などがあり、歴史と自然が美しい観光地である。
  木曽路の北の奈良井宿から木曽川に沿って南に下がると南木曽町である。名前のように木曽の南の果てだが、地形は険しい。
  南木曽町は、昔から地元の人が「 蛇抜 じゃぬ け」と呼ぶ山津波(土石流)に襲われてきた。現在でも蛇抜沢、押出沢、蛇抜橋などの過去の災害を物語る地名が数多く残っており、沢筋には大転石がやたらに目につく。同じ沢に山津波が40年に1度ずつやってくると言う。
  明治以来、人々の脳裏に残っている災害はおよそ19回。中で最も大きかったのは明治37年7月(死者39人、流失家屋78戸)、次いで昭和28年7月(死者3人、流失家屋8戸)など。近年は昭和40年7月、昭和41年6月(重軽傷者10人、家屋全壊流失38棟など)の災害がひどかった。
  これらの災害は、ほとんどが6月下旬から7月上旬にかけての梅雨前線豪雨がもたらす土石流によるものである。伊勢湾から流入する暖湿空気が、前線上の積乱雲を発達させ、集中豪雨を降らせる。わずか直径約15劼龍垢と楼呂帽澆覿秒蝋覬で、かつ山岳地形のため気象レーダーで探知するのが難しい。
  地質的にもこの地方は、節理のはっきりした 花崗 かこう 岩地帯で、石英の含有量が多く、風化しやすい。それが沢の岩盤の上にたまった表土層は崩れやすい。
  このような災害の歴史が町民を育てきた。常に災害から逃れることを念頭に、互いに助け合って生活している。小高い丘の上に住宅を建てるなど、災害に遭わないように過去の教訓を生かしているが、最近の町の発展は、このような住宅の選択も許さなくなった。

悲しめる乙女の像

写真2 蛇ぬけの碑
(前長野県砂防課長 堀内成郎 氏 提供)
  JR中央本線の南木曽駅下車徒歩15分の天白地先に、1953(昭和28)年7月20日の土石流の犠牲者3人の霊を慰める「悲しめる乙女の像(蛇ぬけの碑)」が建っている。流れ出した大岩の上に、像と碑文が刻まれている。このときの災害の状況はこうだ。
  昭和28年7月20日は、活発な梅雨前線が本州を横切って停滞していた。同日午前8時ごろ、始業直前の 読書 よみかき 中学校(現・南木曽中)を「伊勢小屋沢」の山崩れが襲った。学校の近くでは、1時間に50ミリを超すような非常に激しい雨が降り、辺りが白っぽく見えた。大きな雨滴が落下するとき、空気抵抗を受け、しぶきをあげるため白い雨のようである。
  沢近くに家を新築した土地の人が、傘をさして沢を見に行ったところ、流れが止まっていたので大急ぎで家に戻り、妻と2人の幼児を引きずるように飛び出した。その直後、家屋が土石流の中にのみ込まれた。
  教員住宅にいた新婚の教師は、水流が止まったのに気づいた。妻を校舎に避難させようと手を取り合ったところを、家もろとも土石流に押しつぶされ、妻は遺体となって発見された。
  南木曽町に「白い雨が降ると蛇抜けが起こる」「大雨の降り続いているのに沢の水が止まると蛇抜けが起こる」という言い伝えがある。死者1人、行方不明者2人をだした、この悲しい惨事はまさに伝承のとおりだった。
  沢の水が止まっているときは、上流で土砂のため天然のダムができつつある。やがてダムが崩れて下流に土石流が押し寄せるのだ。
  昭和35年8月に建立された「蛇ぬけの碑」に、次のような俚諺を刻んで後世への戒めとした。

白い雨が降るとぬける
尾先* 谷口 宮の前
雨に風が加わると危い
長雨後、谷の水が急に
止まったらぬける
蛇ぬけの水は黒い
蛇ぬけの前にはきな臭い匂いがする

*尾先(前):山裾で一段高く突き出している所。俚言に「尾前、谷口、宮の前」といい、こういう土地に住家を建てることを忌む(広辞苑)。