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宮澤清治の防災歳時記

身代わり地蔵

NHK放送用語委員会専門委員
元気象庁天気相談所長
宮澤 清治

北海道南西沖地震から10年
  1993年7月12日に発生した首題の地震からことしで10年になる。M7.8,死者・行方不明者230人。特に地震後間もなく津波に襲われた奥尻島の被害は甚大で、島南端の青苗地区は火災もあって壊滅状態。夜10時すぎの闇のなかで、多くの人名、家屋などが失われた。地震発生後まもなく大津波が押し寄せ、青苗市街地で津波の高さが10mを超えたところもあった(理科年表)。津波の恐ろしさを後世に伝えた大地震だった。

写真1  国道229線沿いの海岸(瀬棚町)


身代わり地蔵
 奥尻島のほぼ対岸の渡島半島に乙部町がある。積丹半島から南へ延びる国道229線が走り、美しい海岸には数多くの奇岩が連なる。町の鳥山から富岡に向かう途中に小高い山がある。ここに次のような昔話が伝えられている。
 ずっと昔、この小高い山に一体の地蔵さんが安置されていました。心やさしい慈悲深い地蔵さんは、"村人が毎日平和に暮らせるように"と山の上から見守っていました。人々はこれにこたえるように、お盆や春秋の彼岸のときなど、ことあるごとに地蔵さんの身体を洗ったり、周りを清掃したりしました。
 「こんなに平和に暮らせるのは、地蔵さんのおかげ、有り難いことだ。」
 と、村人は感謝しながら、災害のない穏やかな日を送っていました。
 ある年、お盆が近くなったのでいつものとおり、地蔵さんの周りの草を刈ったり掃き清めたりして、それぞれわが家に帰りました。

写真2  新潟市・信濃川をさかのぼる津波
(1964年6月16日新潟地震・筆者撮影)


 ところが、夕方になって不思議にも地蔵さんが、
 「この山のふもとに住んでいる鳥山の人たちみんな、急いでワシの前に集まれ」
 と手招きをしているではないか。 先程までにぎやかに静かにしていたのに一体何事が起きたのだろうと思い、息を切らしながらお年寄りから子供まで地蔵さんの前に集まりました。
 そのとき、人々は海岸を見てびっくり。さっきまで静かだった日本海一帯が山のように盛り上がり、モクモクとした大波が岸に押し寄せてくるではないか。ここ何十年、何事もなく暮らしていた鳥山の集落がすっぽり波の中にかくれてしまい、やがて大波が引いたとたん、家も納屋も船も網も何一つ残さず根こそぎ流れてしまいました。
 一体何が起きたのか、わけがわからず、人々はただぼう然とするばかりでした。
 「せめて一人の犠牲者も出なかったことは不幸中の幸いだった。地蔵さんがオラたちを助けてくれたんだ!」
 と口々に言って、気を取り戻しました。山に行ってみると、地蔵さんの姿が見えないではないか。村人たちはあちこち捜したが、見つけることができません。人々は驚いて、
 「大島の噴火によって津波が押し寄せることを知らせたんだ。地蔵さんはオラたちの身代わりになってきっと流されたんだ。不思議なこともあるもんだ」
 と語り合いました。人々は地蔵さんに感謝して、だれ言うことなく、この小高い山を地蔵(じんじょ)山と呼ぶようになりました。地蔵山は、いまも変わりなく鳥山地区の人々を見守っています。―
 (おとべのむかしばなし:葉梨孝幸著「乙部災害十話、1992」から)
 注):昔話にでてくる津波は、1741(寛保元)年の渡島大島の噴火によるもの。奥尻島の南約60キロの日本海に浮かぶ大島が、同年7月13日に噴火し、19日早朝に大津波が襲来した。北海道で死者1,467人、流出家屋729棟、船1,521隻破壊、乙部町で津波の高さ10〜15mに及んだ(理科年表など)。

 この昔話を読んで、かつて小学校の教科書に載った"稲むらの火"を思い出した。主人公の五兵衛が、収穫したばかりの稲束に火をつけ、多くの村人を高台に避難させて命を救った。1854(安政元)年の安政南海地震の際に、和歌山県であった実際の話である。
 乙部町の昔話は、これより約100年前の大津波を題材としている。多少の誇張もあるが、長い間の伝承に基く話である。これら2つの話の底に流れているのは、「揺れがあったら、直ちに高台や小高い山に逃げろ!」という津波の教訓である。
 子供たちへの防災教育のために、ぜひ読んでおきたい物語である。


消防科学総合センター季刊誌「消防科学と情報」2003年秋号より