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宮澤清治の防災歳時記

霜夜に冴える鐘の音

NHK放送用語委員会専門委員
元気象庁天気相談所長
宮澤 清治

霜夜に冴える鐘の音

祭り囃子の聞こえる夜

祭り囃子が,遠くから風に乗って,強くなったり弱くなったりして聞こえてくる。こんな幼いころの思い出がある。秋祭りの囃子のけいこをしている笛や太鼓の音を聞くと,心が浮き立つような気持ちになったものだ。
江戸の昔,秋の月の明るい夜,本所の町々でどこからともなく祭り囃子が聞こえてくる。あるときは,西から聞こえたり,あるときは東から聞こえたりする。こっちかなと東の方に行くとこんどは北から聞こえてくる。
音源探しに本所中をぐるぐる回り,気がついたらいつの間にか音は止み,へとへとになって道端で寝込んでしまったという笑い話もある。音に近づこうとすると,音が別の方向に逃げてしまうのだ。
あるとき,本所東駒形の殿様が,この「化け囃子」の正体をどうしても知りたいと思い,ある夜,家来たちを一度に四方八方に歩かせて,音の出どころを探したが,ついに探し出せなかった。
こんなことが何度かあって,あれはタヌキがどこかの森で腹づつみを打っているんだと,この界わいの江戸っ子は,タヌキのせいにして楽しんだ。そして「タヌキばやし」と名づけて,怪談「本所の七不思議」の一つにまとめた。


火の見やぐらの鐘の音

戦前,郷里の家はJR信越線の近くにあった。ある寒い風の落ちた夜のことだった。夜更けまで本を読んでいたら,約1キロメートルも離れた長野駅に汽車が止まる音,駅員が駅名を呼ぶ声,発車の汽笛などが駅のホームで聞くのと同じ明瞭さで聞こえた。あまりの不思議さに,今でもありありと覚えている。
もうひとつ。霜の降りるような冷える夜,火の見やぐらの半鐘の音が澄んで聞こえた。火事は近いなあと思いながら寝てしまった。翌朝になって新聞を見たら,あまりに遠い町の火事にびっくり。遠くの半鐘の音が意外に近くに聞こえたのだった。
このように音がよく聞こえる寒い夜,母は「明日は暖かくなるよ」と言った。

火の見やぐらの見える風景(新潟県弥彦村)

空から地面から「ザー」

25年も前の経済活動が盛んな時代の話。昭和47年10月3日午前0時20分ごろ,横浜市内の住民から「ザーという音が10分間も続いている、空からか地面からか,どの方向から聞こえてくるのかわからない」と奇妙な電話が110番などに,午前1時すぎまでに60本もかかってきた。
訴えは,海沿いの市内神奈川区大黒町から内陸の港北区に及んだ。県警などで羽田空港に問い合わせたり,爆発事故の有無を調べたりしたが原因はつかめなかった。真夜中の変な音に市民は不安のどん底に突き落とされた。
照会に応じた横浜気象台防災係のMさんは,「秋になると,ふだん聞こえない京浜工業地帯の24時間操業の工場の機械音が,10キロメートルも離れた港北区などで聞こえることがよくあります。タヌキばやしに似た現象でしょう」と説明した。
Mさんは,浅草の人で子供のころ,タヌキばやしの話を聞いたことがあるという。それにしても,とっさの名解説には脱帽した。
幽霊のうらめしやを思わせる怪音の正体は,枯れ尾花ならぬタヌキばやしで一件落着。
「馬肥ゆる夜々聴く狸囃子かな 三汀」
天高くの秋の俳句にこんな句があった。


気温の逆転層のいたずら

このような音の不思議な現象は,現代の科学では「音の異常伝播」という。秋から初冬にかけて,静かな夜に地面付近の空気が冷え込むと,上空の暖かな空気との間に気温の逆転層ができる。
この逆転層の面で,音が反射して伝わるので,音が遠くまで伝わる。また,地形に応じて,うねる逆転層の面で,音が反射するので,あらぬ方向から音がやってくるように聞こえる。不思議な現象は逆転層のいたずらだ。
逆転層は,低気圧が近づいて上空に暖気が入ってもできるので,音の異常伝播は悪天の兆しともなる。
近ごろは,騒音が多すぎたり,住宅がサッシ窓などで密閉されがちなので,「タヌキばやし」が聞きとれないのは寂しい。
天気のことわざに次のようにある。
○遠寺の鐘の音がはっきり聞こえれば晴れ
○電車の音(汽車・船の汽笛,川瀬などの音)が近くに聞こえると雨



消防科学総合センター季刊誌「消防科学と情報」1997年秋号より