防災展示場
消防防災GIS
災害写真データベース

宮澤清治の防災歳時記

白い雨と山崩れ

NHK放送用語委員会専門委員
元気象庁天気相談所長
宮澤 清治

十津川大水害

  毎年8月19日が近づくと、奈良県南部の十津川村の古老たちは思わず空を見上げる。
  「今年も無事に済めばよいがのう」――
  明治22年(1889)8月18〜19日、紀伊半島の秘境そのものの奈良県十津川郷は、大型台風の影響で滝のような雨と土砂崩れに襲われ、一夜にして家や田畑が押し流された。
  村の4分の1にあたる620戸が全半壊、死者168人にもおよぶ大惨事となった。住む所をなくした約600戸、2,500人は2か月後、厳冬を迎える北海道空知へ集団移住した。
  血と汗で原生林を切り開き、その地を新十津川村と名付けた。風雪と闘いながら、困苦に耐えた結果、いまでは農業経営で地域の模範である新十津川町に発展した。
  かつてのNHK連続テレビ小説「チョッちゃん」の舞台の滝川市は隣町で、共演のコメディアンのレオナルド熊さんは新十津川町の出身であった。熊さんは昨年12月、若くしてこの世を去った。

破雲雨

 奈良県五条市に住む児童文学者の川村たかしさんは、路傍の石文学賞を受賞した『新十津川物語』に、このときの雨の状況を次のように書いている。
  「明治22年8月、十津川郷では連日の日照りで作物が枯れかかっていた。17日の午前中から降り始めた雨を、村民は祝杯をあげて喜んだ。
  18日になって雨足は強まり、19日にはバケツの水をひっくり返したような豪雨となった。20日までの雨量は年間降水量の半分の1,300ミリ以上にも達し、十津川の水位は大きく上がり、多くの湖が出現した。
  異変は19日夕方から起こった。雨を含んだ急傾斜地の地盤が1,080か所で幅90m以上にわたって崩れ、斜面に、はいつくばるように建てられていた家を押しつぶした。
  土砂は川をせき止め、満水になると決壊し、濁流が鉄砲水となって人や家を押し流した……」
  水害をもたらした台風は、四国東部に上陸し、岡山県を通り鳥取沖にでて北東進した。十津川流域の雨量はわからないが、和歌山県田辺の日雨量は18日に368ミリ、19日に902ミリ、19日の1時間雨量170ミリは日本一に匹敵する豪雨だった。死者は和歌山県で1,221人、奈良県で250人余、そのうち十津川村では169人に達した。
  和歌山県日高郡誌には、「海上から侵入した黒い雲が、奈良県吉野郡にそびゆる4千尺の釈迦ケ岳に遮られ、直行突進することは能はず、縦横頓狂噴瀉して降らせた豪雨で、“破雲雨"なり」とある。
  破雲雨とは、気象用語ではない。明治20年ごろに香港の気象学者が現地の大雨のときに用いた言葉で、まさに天や雲が破れて降る豪雨のことである。

図1  天気図(明治22年8月19日午前6時)

山地災害の姿

 十津川村の災害は次の順序で発生した。まず、集中豪雨と洪水による第1次災害、次に山地崩壊(土石流、山津波)による第2次災害、続いて新しく出現した湖(堰止湖、天然ダム)の水位上昇、湖の決壊による第3次災害だった。
  新湖の多くは21日にかけて次々と決壊し、被害を増大させた。
  決壊しない新湖や池は、ますます水かさを増した。村落は水没し、下流ではいつ決壊するかわからないので、人々はみな、山頂へ避難した。陽にさらされ、雨にぬれ、しかも食料はほとんど無かった。
  川の水はいつまでも濁ったままで、臭気も強く飲料水にはきわめて苦労した。その困苦の状況は言いようがなかった。

白い雨と山崩れ

  筆者の郷里の信州に「白い雨が降ると“蛇抜け"が起こる」という言い伝えがある。
  蛇抜けとは、谷や沢に降った雨水が一時せき止められて、しばらくして水を含んだ土砂が押し出してくる土石流や鉄砲水のことを言う。
  抜けとは、山などの崩れる現象やその場所を指す。山が崩れることを“山が抜ける"と呼ぶ地方は各地にある。

  白い雨とは、白雨(はくう)とも言う。白く見える雨のことで夕立、にわか雨のことである(国語辞典)。
  大粒の雨が激しく降るときは、飛び散る水しぶきで、まっ白に見えてあとは何も見えない。激しい夕立を白い雨と言いたくなる。
  なだれ落ちる滝さらがらに、大地をたたくすさまじい大夕立、視界のすべてを白一色にとじこめてしまう。
  筆者がかつて勤務していた広島県には次のような伝承があった。
  「視界がきわめて悪くなり、あたりが降る雨で白っぽくなり、棚田の畦(あぜ)を越して一面、滝のように水があふれるときには山が抜ける」
  土砂災害に注意を呼びかける昔からの言い伝えである。
  山から噴き出す濁流が、のたうちながら大蛇か竜のように下がってくる。土砂の中の岩がぶつかり合って発する火花と稲妻が交錯し、落ち葉の腐ったような臭いを辺り一面に発散しながら流れる―これが土石流の姿だ。
  この故事から、1時間に50ミリ以上も降る“猛烈な雨"を「滝のように降る。雨のしぶきで辺り一面が白っぽくなる。土石流が起こりやすい」と表現することにしている。
  8月から9月にかけては台風シーズンである。台風が引き起こす土砂災害と洪水災害を少しでも軽減したいものである。


写真1  熱風をもたらした台風11号(1994年8月2日13時)



消防科学総合センター季刊誌「消防科学と情報」1995年夏号より