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宮澤清治の防災歳時記

山が落ちる

NHK放送用語委員会専門委員
元気象庁天気相談所長
宮澤 清治

豪雨は深夜に降りやすい

  旧聞に属するが、昭和63年(1988)7月19日、広島県北部の三次市を訪れた。三次市付近は、昔からしばしば洪水に見舞われ、昭和47年7月の豪雨では広島県だけで、死者・行方不明者39人をだした。「中国太郎」の異名のある江川が三次市付近で、多くの小河川の水を集めて氾濫するのである。
  訪れたときは、梅雨末期であったので、「豪雨は深夜から早朝にかけて降りやすい。夜間は防災活動が手薄になりがちだから注意してほしい」と、地元の防災関係者に訴えた。
  不幸にもこの訴えが現実のものとなり、2日後の21日午前3時ごろ、広島県北西部の加計町を豪雨が襲った。加計町は、三次市の南西約50kmの山地にある。梅雨前線の活動で、わずか5時間に300ミリもの豪雨の降った所もあり、広島・島根県では山崩れや土石流が相次いだ。両県で夏休み入りしたばかりの小・中学生を含む死者・行方不明者15人をだした。



山が落ちる!
写真1 山形県新庄市郊外を流れる最上川
写真:広島呉市の土石流
(昭和42年7月豪雨:中国新聞社提供)


  以下は被災者の話(中国新聞)である。
  「7月21日午前3時過ぎ、加計町では暗い空から滝が落ちるような、ひどい雨の降り方となった。こんなすさまじい雨が、すでに3時間も続いていた。
  『これほどの雨は覚えがない。ひょっとしたら大ごとになるぞ』
  と人々は降るしきる雨を凝視していた。そのうちに裏の田んぼの水があふれて、家の中に流れ込みそうになった。わずかの間に、一抱え二抱えもある流木が背丈よりも高く積み重なってきた。
  自宅に流れ込む濁流を防ごうと、小溝を板でせき止めている時だった。ズズーンと地面が大きく揺れた。
  上を見た。稲光と電線がショートして放った青白い光の中に電柱が抜けて空に舞い、後から眞っ黒な山がのしかかってきた。
  『山が落ちる!』
と叫んだ。足元に倒れていたボンベからガスが漏れていたので、急いで栓を閉めて高台に登った。
  夜が明けた。集落の姿は一変していた。昨夜まであった家々は消え、がれきの山。岩と流木が重なっていた。
  『つえだ!』
  谷川が氾濫して家が流される洪水のことしか頭になかったのが悔やまれた。
  『つえと分かっていれば一緒に逃げたのに…』と、みんな同じ思いだった。」


恐ろしいつえの姿

  つえとは、島根・山口・広島県などの方言で、山やがけが崩れることをいう。つえぬけとは、山やがけなどが崩れること、また、つえこむ(遺込)とは、土などが崩れ込む、崩壊すること。「土が家の中につえこんだ」(島根県)という言い方もある。
  恐ろしいつえ(山崩れ)の正体は次のようなものである。
  激しい雨は、積乱雲から降るので雷を伴うことが多い。雷を伴わない雨は、まず豪雨になることはない。
  雨と雷が一段と強くなると、山やがけが崩れて、4,50トンもあるような岩が流れだす。岩は互にぶつかり合って火花を発し、これに稲光が交錯する。岩は木の幹の皮を削り、大木を倒し、根こそぎにする。
  木や岩などを抱え込んだ土砂は、巨岩を先頭に、のた打ちながら、まっしぐらに下がってくる。それは天から駆け下る竜さながらの恐ろしい姿である。
  山やがけが崩れて生じた多量の土砂が、泥流となって段波状に、津波のように流下する現象を、土石流または山津波という。鉄砲水は、土石流を指す場合が多い。
  中国地方は、風化した花こう岩(マサ土)の所が多く、地質学的にも山崩れや土石流の多い所である。
  今から200年前の寛政8年(1796)7月9日、梅雨末期の豪雨が降り、広島藩全体で死者169人をだした。
  8日から降りだした大雨のため、9日午前8時には広島市を流れる太田川から濁流があふれ、辺り一面が泥の海となった。10時ごろからつえがそこかしこに発生した。
  「昼間というのに、おぼろ月夜の如くして、雨しきりに降り、諸方の山川どろどろと鳴り申し候。これ大石の流れ崩れる音なり」と土石流のすさまじき様子を活写している。そして、
  「家を建てる時は、雪押し、水押しの場所をよく見立てるべき…」
  と、防災の教訓を古文書に書き残した。
  山崩れは、狭い範囲に降る大雨だけにその予測は難しい。山やがけに異変を感じたら、「無駄足覚悟で、早目の避難」を心がけたい。

消防科学総合センター季刊誌「消防科学と情報」1997年夏号より