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宮澤清治の防災歳時記

笄(こうがい)の渡し

NHK放送用語委員会専門委員
元気象庁天気相談所長
宮澤 清治

笄(こうがい)の渡し

笄(こうがい)の渡し


笄(こうがい)

“矢切の渡し”という有名な演歌がある。渡しとは、舟で人や物を対岸に運ぶことで、渡し舟が往来する場所が“渡し場”である。
昔、信州で橋が少なかったころ、渡し場がたくさんあった。そのひとつ、長野県上山田町と対岸の坂城町を結ぶところに「笄の渡し」と呼ぶ渡し場があった。今はその場所の千曲川に笄橋という橋が架かっている。
かつて放映されたNHK大河ドラマ「武田信玄」を思いだすことにしよう。
ーいまの戸倉・坂城の町境にあった葛尾(かつらお)城の城主村上義清は、武田晴信(信玄)の大軍に攻められて孤立無援となり、1553年(天文22年)ついにその城を放棄するに至った。
義清は、越後春日山城の長尾景虎(上杉謙信)に救援をもとめ、自分の妻と娘を春日山城に落ち延びさせようとした。
妻子は、葛尾城の下の渡し場にたどり着いた。ところが、慌てていたため渡し銭の持ち合わせがなく、気があせるばかりで困ったことになった。このとき、妻はとっさの判断で自分の髪にさしていた笄を舟賃代わりに船頭に差し出し、やっと川越えをして、越後に向かうことができた。ー
笄とは昔、婦人の日本髪のまげにさす装飾品で、金・銀・べっこうなどで作り、高価なものもあった。
近くの村の人たちは、いつのまにか、この渡しを「笄の渡し」と呼ぶようになった。s

綱の張り具合で天気を予知

渡し場の近くに住む人々は、次のような天気ことわざを後世に残した。
「渡し場の綱が水面に垂れ下がると雨、引き締まれば晴れ」
船頭は、両岸を結ぶ綱を繰り、対岸に舟を進める。綱はおそらく麻の太いロープだと思われる。空気中の水蒸気が増えて雨が近くなると、ロープはたっぷりと水蒸気を吸うので伸びて垂れ下がる。反対に空気が乾くと、ロープは縮んで引き締まるというわけ。
それにしても村人が、綱の張り具合を注意深く観察して、天気を予知した知恵は大したものである。ロープの代わりに人間の毛髪の伸び縮みを利用するのが、今の気象観測に使用している毛髪湿度計である。
湿度計の原点は、渡し場のロープにあるということができる。

毛髪自記湿度計の仕組み


毛髪自記湿度計

人間の毛髪は、一段に空気が乾いていると縮み、湿っていると伸びる性質がある。毛髪の長さは、湿度が100%のときは、0%のときの長さの約1.5%伸びるといわれる。このわずかな伸び縮みを拡大して、湿度を自動的に記録紙に書かせるのが、毛髪自記湿度計である。近ごろは、博物館の重要展示物のコーナーに空調の監視用として置かれているのをよく受ける。
図のように、約20本ぐらい束ねた毛髪の両端を固定し、毛髪に適当な張力をあたえる。湿度による毛髪の伸縮の程度は、拡大機構を通してペン先に伝え、自記円筒時計に巻き付けてある記録紙に描かせる。
毛髪湿度計は、1783年(天明3年)、ソシュール(スイス)が発明し、婦人の頭髪が湿度計に最も適しているとの提案をした。その後の研究では、毛髪の色は黒でも縮れていても、ほかの動物の毛でも化学処理で使用できるようになった。しかし、あまりに太い日本人の髪は適さないそうだ。フランス婦人の金髪が適しているという昔のロマンチックな提案は、今でも語り継がれている。
春は、山火事の発生件数が多い。この原因としては、(1)この時期の森林には、枯れた下草や落葉など燃やすいものが多く存在している。(2)移動性高気圧に覆われると、しばしば晴天が続くので空気や樹木などが乾燥する。また、日本海で低気圧が発達して強風が吹き、フエーン現象も加わって一層乾燥する。(3)春には、山菜取りやハイキングなどで山に入る人が増える。
などが挙げられる。
昔も、渡し場の綱がピント引き締まったときは山火事が多かったことであろう。

消防科学総合センター季刊誌「消防科学と情報」2001年春号より