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宮澤清治の防災歳時記

雪爭い

NHK放送用語委員会専門委員
元気象庁天気相談所長
宮澤 清治

雪爭い

震源地はどこだ

気象や地震のデータを公表すると、その信ぴょう性をめぐって爭いが起こることがある。これは昔も今も変わらない。気象庁の前身の中央気象台の第4代台長岡田武松博士の著書「測候瑣談(1933年3月刊)」に次のような話がでている。

震源爭い

震源について大学の先生は某地だといい、気象台の地震掛は某地だと発表する。すぐに新聞に震源爭いなんて見出しで大々的に出る。すると訳のわかるはずの知識階級人まで釣り込まれて何んだかんだと批判する。今の所は震源というのは、こういう材料から、こういう計算でこのように出したというのであるから、震源を爭うたって爭えるものではない。実に馬鹿げた話だ、と結んでいる。
今では、震源爭いは起こらないように地震業務の体系ができているので、このようなことは昔話となってしまった。しかし、マグニチュードの発表の数値が大きすぎるのではないかとの指摘が専門家の間から出ることがある。これは爭いというより提言であろう。
ついでもうひとつの爭いをどうぞ。

大雪はしんしんと降る


写真1 雪に埋もれた保育園
(長野県飯山市提供)

豪雪地新潟県高田(現上越市)の1927(昭和2)年の豪雪は有名だ。当時80歳になる古老もこんな大雪は初めてで、そのときの状況を次のように語った。
「(昭和2年)2月に入ると連日の降雪で、特に9日は聞いたこともないほどの大雪で、10mぐらい離れた人でもボンヤリとしか見えなかった。雪の重みで市内の橋は落ち、家の壁は亀裂を生じ、ミシミシと家鳴りがする。非住家はどしどし倒壊する。外に出れば10m近くも雪が積もり、所によっては2階家より高くなった。朝、外へ出ようとするときは、雪の中をもぐって身体を回しながら、ようやくはい上がった。」
また、文人は大雪の降り方について次のように描写した。
「1月下旬から2月の降雪は、風勢著しく弱く、ことに2月6日からまったく無風状態の下で降雪す。四隣寂として声無く、ただしんしんとして天地白雪に満つ。雪は六花を通り越し、あたかも綿打ちのそれの如し。これ形容に非らず特筆すべき事実なり。」
2月6日から11日までの間、1日に60〜90cmの新雪が積もり、特に9日には無風下で1日に176cm(観測史上最多)のドカ雪が降った。

雪爭い


写真2 北信濃の大雪
(長野県飯山市上境付近、斉藤正義氏撮影)

昭和2年の高田の最深積雪は375cm(2月9日、観測史上2位)。上越地方を中心に死者82人、民家の全壊250戸に達し、鉄道は1〜2か月間も不通となった。
2月13日には同県中頸城郡寺野村(現、板倉町字寺野)で2丈7尺(818cm)を観測し、当時の新潟測候所長佐々木蔵は、明治以降の最深レコードだと発表した。
これに対して県外の知識人は、
「町村役場に照会して入手したこのような観測値は疑わしく、比較の基準とすることはできない。」と批判した。
これに対して、佐々木所長は次のように反論した。
「この論は誠に一笑に値すべきものである。寺野村において再三調査をして、村長名で小職に公文で報告してきた観測値である。この値について、とやかく評するのは批評をせんがための批評で、一片の悪口に過ぎない。」
県外の観測データについて、自ら調査をし、自信をもって公表した。ここに昔の測候所長の強い気骨がこの論爭にみられる。
2月13日、隣りの長野県北安曇郡小谷村中土でも742cmという積雪を観測した。3.5mの観測ボールを何本かクギ付けでつなぎ、これをまだ雪の来ない秋に家の横に立てておき、積雪を待った。家が3階建てなので、6m、7mと雪が積もっても楽に測定できたと、当時の観測者は語った。

消防科学総合センター季刊誌「消防科学と情報」2000年冬号より