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宮澤清治の防災歳時記

雁木(がんぎ)が見える風景

NHK放送用語委員会専門委員
元気象庁天気相談所長
宮澤 清治

雁木(がんぎ)が見える風景

雁木は雪国の知恵


写真1 雁木の見える風景
(新潟県直江津)

雪国で雪が降るのは防ぎようがない。この地方に住む人々は、冬には雪下ろし、道路除雪という人命にかかわる、避けて通ることのできない試練を背負っている。昔から、つらい除雪作業から解放されたいと願い、工夫や発明を重ねてきた。雁木、流雪溝、スノーダンプ、消雪パイプなどはその代表的なものである。
雁木とは、東北や信越地方などの雪の深い地方で、軒から庇(ひさし)を長く突き出して道を覆い、積雪中でも通行できるようにしたもの。通りに面した家々が同じ庇を出し、その下を家々をつなぐ道路にし、街路が雪に埋まっても、歩くスペースを確保するという雪国の知恵である。
新潟県上越市の高田地区(旧高田市)は、古くは「この下に高田あり」という高札を掲げたほどの雪深い町である。高田から約6km北の同市直江津地区(旧直江津市)は、鉄道・海運の要衝で、ひとたび大雪ともなると交通がまひして、人々は生活不安のどん底に落ちてしまう。高田も直江津も昔から雁木で有名である。

   新潟県南魚沼郡塩沢町で生まれた鈴木牧之の雪の随筆「北越雪譜」は、1835年(天保6年)に刊行され、今も読まれているロングセラーである。その一節に次の文がある。
「宿場と唱える所は、家の前に庇を長くのばし架ける。大小の人家もすべてかくのごとし。雪中はさらなり、平日も往来する」
「江戸の町にいう店下(たなした:店の軒下の意)を越後で雁木又は庇という。雁木の下は広くして小荷駄をも引くべきほどなり。これは雪中にこの庇下を往来するためなり……。高田の城下では商工軒をならべ百物備わざることなし。両側一里余庇下つづきたるその中を往くこと甚だ意快なりき」
このように雁木は江戸時代からあったが、それ以前のいつからつくられたかは明らかではない。
近年は、街路の近代化によって背の低い木製の雁木は、背の高い鉄製のアーケードに姿を変えている。また、「火災のとき、火の通路になる」「店内が暗くなり、じめじめして不衛生」などの理由によって、雁木は年々その姿を消しつつある。また戦後、雁木の少なくなったのは、雁木の所有区分があいまいだったのを私的なものと認めてしまったからだと言う建築学者もいる。
自分の屋敷を解放し、通行人に便宜を与えるという相互扶助の気持ちから出発した雁木は、いつまでも残してもらいものである。

へとへとに疲れた雪下ろし

雁木の下を歩けば、大雪のときの通行は確保できるが、屋根の上に積もった雪を下ろさないと雪の重みで家がつぶれてしまう。次のような筆者の経験がある。
1960年(昭和35年)12月29日から1月2日にかけて北陸地方に降った雪は、沿岸・平野部に多く降る里雪(さとゆき)型の豪雪であった。北陸地方の沿岸に北陸不連続線という局地的な前線ができて大雪が降った。新潟市付近では、大みそかの31日から元旦かけて雪が強く降り、新潟市の31日の積雪量は79cmとなり12月としては気象台観測開始(1886年)以来の最大記録。 また元旦から2日朝にかけても降雪が続き、2日の積雪量は105cmという観測開始以来4番目の大雪となった。 正月に信州へ帰省しようと新潟駅に駆けつけたが、大雪のため列車が至る所で立ち往生したので、やむをえず新潟市で雪の正月を送った。

ところが、大量の雪が屋根に積もったため、昼夜を問わずにミシミシと家が鳴り、やがて戸障子、ふすまの類が開かなくなってしまった。そこで、危険を冒して屋根に上がり、スコップで雪下ろしをした。屋根の上は一面の雪原で、大量の雪にびっくりした。地面に投げ下ろした雪が軒下に積まれ、部屋は昼でも夜のように暗くなってしまった。
正月の休みに、3回も雪下ろしをして、へとへとに疲れてしまった。
雪下ろしなどの労働に耐える雪国の人々は、明るい春の到来をじっと待つのである。

写真2 屋根の雪下ろし
(上越市、新潟日報社提供)

消防科学総合センター季刊誌「消防科学と情報」1999年冬号より