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防災講演録

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防災講演録(5)
東海地震及び南関東直下地震などを巡る最近の情況と防災対策


溝上 恵
東京大学名誉教授


  溝上でございます。どうぞよろしくお願いいたします。きょうはお手元の資料の81ぺージ「東海地震及 び南関東直下地震などをめぐる最近の情況と防災対策」という見出しがありますが、それ以降、110ペー ジまでの文章及び図面に沿ってお話しさせていただきます。

<”地震大国”日本>

  日本は世界有数の地震大国です。日本の国土の面積は地球全表面のわずか0.3%ほどに過ぎませんが、そこで放出される地震エネルギーは全地球の10%を越えます。火山噴火のエネルギーについてもほぼ同様です。このことから、日本では地震と火山の活動が大変に活発なことが分かります。日本列島は、地震や火山噴火を伴って誕生し、成長してきました。日本の国土のそのような特異性を考えれば、私達は、日頃から大地震に備えておく必要があるのは当然のことでしょう。
  この図は、西暦599年から現在までに日本に被害を及ぼした地震の分布を示した地図です。日本列島の太平洋沿岸に沿って大きな丸印で示した地震が多数並んでいます。これらは地震の規模を示すマグニチュードM(以下単にMと記します)が8クラスの巨大地震です。それらに比べて小さな丸印の地震も内陸部を中心に多数見られます、このような被害地震の発生状況を見ると、日本中どこへ行っても地震から逃れることはできないと悟るしかありません。それでも比較的に被害地震の少なそうな地域といえば、北海道北部、壱岐・対馬、山口、岡山、香川、佐賀、富山、群馬などの各県です。これらの地域では、1400年ほどの歴史に限って見れば、確かに被害地震が少ないのですが、はたして本当に足元で被害地震が起きないのかというと、必ずしもそうではありません。
  1995年1月17日の阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震、M7.3が起きるまでは、神戸市民の多くが「神戸では大地震は起こらない」と思い込んでいました。兵庫県南部地震のように内陸直下で起きる地震を内陸地震と呼びますが、この内陸地震が同じ場所で繰り返す間隔は、千年、二千年、数千年、場合によっては数万年と大変に長いのです。このこと事実から、歴史上ある地域で被害を伴うような大地震が起きていないからといっても、決して安心できません。歴史上、神戸では直下地震が発生していませんでした。しかし今回の地震は、約二千年に一度の割合で繰り返す直下型の大地震が再来したというわけです。
  日本全国では、いたるところで大小の地震が度々起きていますが、もっと広い目で日本列島の地震が起きている様子を見るとどのようなことが分かるでしょうか。
  この図は、日本列島を含んだ地球の半球での地震の震央分布を示した図です。赤い小さな点の一つ一つがそれぞれの地震の震央の位置を示しています。この図から地震が集中して発生する場所は幅が狭くて長い帯状の地域を形作っていることが分かります。このように地震が集中する帯状の地域を地震帯と呼びます。日本列島の周辺を見ると、地震帯はアラスカからアリューシャン列島、そしてカムチャツカ半島から千島列島をへて北海道の根室半島沖・浦河沖を通り、それから本州に沿って東北地方の三陸沖、宮城県沖、福島県沖、茨城県沖から関東地方の沖合へとつながります。もちろん地震は太平洋沿岸だけでなく日本列島の内陸部にまで広がっています。さらに関東地方から南へ、伊豆・小笠原諸島からマリアナ諸島へとつながっています。一方、伊豆半島から西では、東海、中部、近畿地方から四国、九州、南西諸島を通って台湾、フィリピン諸島へとつながります。このように日本列島は地震帯とぴったり重なり、しかも関東地方周辺は地震帯の交差点になっています。ではこの細長い地震帯は、どのような原因によって形作られているのでしょうか。

<地震帯形成のしくみ ープレートテクトニクスー>

  地球の表面はあたかも敷石を敷き詰めたように、十数枚のプレートと呼ばれる巨大な板上の岩盤で覆われています。この敷石にあたるプレートは厚さ約100キロメートルですが、その大きさは径が数百キロメートルのものから一万キロメートルを超えるものまでさまざまです。これらのプレートは地球の表皮にあたるリソスフェア(岩石圏)という強くて固い層を構成しています。リソスフェアの下には、流動性の高いアセノスフェア(岩流圏)があり、その上を各々のプレートは異なる方向に異なる速度で移動しています。そのため隣り合ったプレートの境界ではずれが生じます。このずれは、プレートの境界面やその近傍のプレート内部の歪となって蓄積され、その歪は長い時間の経過とともに増大していきます。やがてこの歪が限界レベルに達すると、プレート境界やプレート内部で急激な断層運動による岩石の破壊すなわち地震が発生して、長年にわたって蓄積された歪が一気に解放されます。地震集中して発生する細長い地震帯は、まさにこのプレート境界と一致しています。
  日本列島は、北海道と本州東北部が北アメリカプレートという大陸プレートの上に乗っており、本州西南部、四国、九州、南西諸島はユーラシア大陸という大陸プレートの上に乗っています。日本列島を乗せたこれらの大陸プレートの下に、太平洋プレートとフィリピン海プレートという海洋プレートが沈み込んでいます。日本列島とその周りではこれら4枚のプレートが接し合い巨大で複雑な力を及ぼし合っています。そのため日本列島とその周りでは地下の岩石に歪が蓄積され、それが原因となって活発な地震活動を引き起こします。こうしたプレートの動きは宇宙観測技術によって実測することができます。日本列島に向かい太平洋プレートは西方へ1年間に9〜11センチメートルの速度で移動し、日本海溝から日本列島の下に沈み込んでいます。またフィリピン海プレートは北西方向へ1年間に3〜4センチメートルの速度で移動し、相模トラフ駿河トラフ・南海トラフから日本列島の下に沈み込んでいます。日本海溝から日本列島の下に沈み込んだ太平洋プレートは日本海の下をくぐりウラジオストクの直下の深さ約600キロメートルにまで達し、そこで太平洋プレート内部の地震を引き起こします。ウラジオストク直下でM7クラスの地震が起きるとウラジオストクで有感になるかというとそうではなく、日本列島の北海道、東北、関東地方の広い範囲にわたり帯状に震度1〜2ないし3の揺れになります。これは、日本海溝から沈み込んだ太平洋プレートの固い岩盤の中を地震波があまり減衰しないで日本列島にまで伝わることを示しています。ウラジオストクからその直下の震源までの間には、高温で柔らかく地震波を伝えにくい部分があるため、ウラジオストクでは地震の揺れを全く感じません。

<兵庫県南部地震を引き起こした断層>

  さて、再び兵庫県南部地震の話に戻ります。皆さんの中にはテレビ番組でご覧になった方々がいらっしゃると思いますが、地震が発生すると同時にコンビニの棚が激しく揺れて、それが一瞬止まったかと思ったら再び二度目の強い揺れが襲い、棚の商品がほとんど全部床に落ちて店内がメチャメチャに壊れる状況の映像が、店内に設置された盗難防止のための監視カメラが捉えていました。地震計の記録にも二度続けざまに大きな振幅の揺れが読み取れます。また各地点の地震計の記録を解析し、震源から放出されたエネルギーの時間系列を見ても大きなエネルギー放出のピークが二度あったことが明らかになりました。この二度にわたる揺れのピークを含み、この地震の揺れの始めから終わりまでの時間間隔はたったの10秒間でした。一体これは何を意味しているのでしょうか。
  地震は断層破壊に伴って起こりますが、その断層破壊には必ず破壊の開始点があります。兵庫県南部地震を引き起こした断層の破壊開始点は、明石大橋の直下に位置の海底下の岩盤、深さ数キロメートルの地点でした。断層破壊は、この破壊の開始点から一方は北東方向へ向かって西宮付近にまで達し、他方は南西方向に向かって淡路島の北淡町に達しました。断層破壊が進行する速度は毎秒約3キロメートルですが、明石海峡直下から始まった断層破壊は、北東と南西に向かって一気に駆け抜けて約10秒間という一瞬の間に、全長約40キロメートルに及ぶ断層運動となって終結したのです。この「魔の10秒間」に大都市神戸が壊滅的な被害を蒙りました。この膨大な地震エネルギーは約2000年間で蓄積され、それがわずか10秒間で放出されたわけです。この約10秒間に二度大きな揺れが襲ってきたのは、兵庫県南部地震を引き起こした断層で、断層面を挟んで両側の岩盤が特に強くくっつき合った部分が二箇所あり、それらがごく短い時間をおいて次々とずれ動いたためと考えられます。
  兵庫県南部地震は約2000年に一度の割合で繰り返し発生しますので、兵庫県南部地震を引き起こした六甲淡路断層系では、百万年、二百万年の間に何百回も何千回も今回と同様な地震が繰り返し発生することになります。地震が一回起きる毎に1〜2メートル地殻が隆起するので、それが度重なると山や谷といった大規模な地形の起伏を形つくります。実際に今回のような地震が起きる度に、縦方向と横方向への断層ずれが積み重なって行き、長い地質時代が経過するとどのような地形が生まれるでしょうか。これは神戸付近の現在の地形ですが、これが六甲山と淡路島、それから明石海峡と大阪湾です。これが六甲・淡路断層帯です。いま大阪湾の海水を全部汲み出し、海底にたまった厚いヘドロも取り除くとすると、大阪湾の深い海底の谷が現れます。この図はその地形の姿です。大阪湾の海底から六甲山の頂上までは急峻な崖の壁になっていてその高度差は約3000メートルもあります。この急峻な崖地形は地震に伴う地殻の上下変動が、百万年といった長い期間にわたり積み重なって出来上がったものです。日本列島の各地で、これと同様に地震に伴う地殻変動の累積によって形作られた特徴的な地形が見られます。

<内陸型地震と海溝型地震>

  日本列島では、様々なメカニズムやタイプの断層運動による色々な種類の地震が発生します。その一つが兵庫県南部地震のように内陸直下の浅い部分にある断層がずれ動いて起きる内陸直下地震あるいは内陸型地震といわれる地震で、図のい卜禺┐垢訝録未任后それとは別の種類の地震であるに例示する海溝型地震があります。すでにお話しましたように、海洋プレートつまり海底を覆う板状の岩盤が太平洋沖から日本列島に押し寄せてきて、海溝の谷筋に沿って日本列島の下に沈み込んでいます。日本列島を乗せた陸のプレートあるいは大陸プレートが上盤となり、その下に沈み込む海洋プレートが下盤となります。この海溝軸に沿った陸と海のプレートの境界、つまりプレートの境界面がずれ動いて発生する地震のことを海溝型地震といいます。プレートの境界面では上盤と下盤が摩擦力で固着していますから、上盤の下に下盤が沈みこむと、上盤が下盤によって下方に引きずり込まれます。この引きずり込みによって上盤が押し縮められて歪みます、この歪が時間とともに蓄積されると、上盤の反発力が増大してきます。その歪が限界に達すると、プレート境界面の摩擦力に抗して上盤が急激に跳ね返ります。この時、上盤と下盤の境界、つまり海溝軸に沿うプレート境界面で断層運動が起こり、海溝型地震が発生します。上盤の先端部は沿岸の海底に位置していますから、上盤が急激に跳ね返ると海底の岩盤が何メートルも隆起・沈降し大規模な地殻変動が起こります。それと同時に海底で地殻変動が起きた場所の真上の海水が大きく持ち上げられたり下げられたりします。この海水の運動が津波となって沿岸を襲います。

<近年日本で発生した被害地震>

  日本では、今世紀に入ってからほぼ30回大きな被害地震に見舞われています。平均すると10年間に3回程度になります。このうち2回は海域を震源域とする地震で、図の´↓のような断層の破壊過程により、1回は内陸直下を震源域とする地震で図のい里茲Δ蔽覗悗稜鵬過程によるものです。内陸直下地震としては、兵庫県南部地震が神戸市を壊滅させたと同様に、1943年鳥取地震(M7.2)は鳥取市を壊滅させ、死者行方不明1,083名がでました。1945年三河地震(M6.8)は死者行方不明2,306名、1948年福井地震(M7.1)は福井市を壊滅させ、死者行方不明3,769名がでました。こうして見ると、M7クラスの内陸直下地震によって県庁所在地のような大きな都市が壊滅するという事例はさほど稀なことではないといえます。
  最近に起きた大きな規模の海溝型地震は1994年12月28日に発生した三陸はるか沖地震です。この地震はM7.5で、青森・岩手県境の沖合の日本海溝付近から沿岸近くまでの東西に延びた広い範囲にわたり、太平洋プレートと北アメリカプレートとのプレート境界を震源域として発生しました。青森県八戸市付近を中心に強い地震動が生じ、八戸市では震度6が観測されました。検潮所で観測された津波の高さは岩手県の宮古市の55センチが最大で、三陸沖で発生した被害地震による津波の中では小さいほうであり、津波による大きな被害は幸いにもありませんでした。しかし地震動によって、八戸市を中心に建物の倒壊などの被害が生じ、全体として死者3名などの被害が生じました。この地震の発生の20日後の翌年1月17日兵庫県南部地震が発生しました。三陸はるか沖地震が起こり、その余震が翌年1月に入ってもまだ続いている中で、青森県や岩手県の太平洋沿岸の地域では津波対策を深刻にとらえて、「津波計を設置してほしい」という要望が出されました。しかし、直後に起きた兵庫県南部地震に世の中の注目が移ってしまい、三陸はるか沖地震のことは忘れ去られてしまいました。
  日本では比較的短い期間に、一定の地域に集中して大地震が立て続けに発生することがままあります。例えば最近の1990年代には、北海道から東北地方北部にかけて,離織ぅ廚龍路沖地震(M7.8)が、1993年1月15日に発生し死者・行方不明230名を出し、それに引き続いて◆↓の複合したタイプの北海道南西沖地震(M7.8)が1993年7月12日に発生し、次に△離織ぅ廚遼務て仕貶沖地震(M8.1)が翌1994年10月4日に発生し、さらに先ほど述べたのタイプの三陸はるか沖地震(M7.5)が1994年12月28日に発生しました。これらの大きな被害地震が立て続けに発生したため北海道から東北地方は地震活動の活動期に突入したのではないかと思っていた矢先に、神戸でい離織ぅ廚諒叱妨南部地震(M7.2)が1995年1月17日に発生し、死者行方不明6,435名という大被害となりました。

<被害地震のタイプ>

  これらの地震はそれぞれタイプの異なる地震でして、タイプが異なるだけでなく災害の模様も大きく異 なっています。大都市の直下で起きて家屋、建物の倒壊や火災による大被害を伴った地震、太平洋沿岸や日本海沿岸の海域を震源域として起きて地震の揺れだけでなく津波による大被害を伴った地震など様々です。これら日本の各地域で発生する地震に対しての防災対策を考えるには、各地域で起きる代表的な被害地震がどのようなタイプの地震であるか予め十分に調べた上で対応を講じることが大切だと思います。奥尻島で津波による大被害を生んだ北海道南西沖地震の震源の破壊過程を見ると、断層破壊が拡大しながら幾度も繰り返し、その度毎に強い地震波のエネルギーが震源から放出され、その結果強い揺れが繰り返し約80秒間も続きました。これに対して兵庫県南部地震による強い揺れは約10秒間という短いものでした。地震による強い揺れの続く時間の長さばかりでなく、揺れの強弱の度合い、揺れの周期なども震度と被害の大きさを左右します。
  日本の代表的な大規模地震といえば、M8クラスの海溝型巨大地震ということになるでしょう。M8クラスの巨大地震はM7クラスの地震の10倍から30倍あるいは数十倍のエネルギーを放出します。駿河トラフおよび南海トラフでは、海溝型巨大地震が繰り返し発生してきたことが歴史記録から読み取ることができます。これらの海溝型巨大地震の最も古い歴史記録は、684年天武天皇・白鳳時代の地震についてのものす。その語、887年仁和の地震、1096年・1099年康和・永長の地震、1361年正平の地震というように遡ることができますが、時代を古くまで遡るほど地震の記録は不確実さが増えてきます。15世紀以降については、確かな歴史記録から1498年明応地震、1605年慶長地震、1707年宝永地震、1854年安政東海・南海地震、1944年・1946年昭和東南海・南海地震などが発生しました。1707年宝永地震の49日後に富士山が大噴火し江戸の空も暗闇となり、大凶作が起きました。1854年安政東海地震・南海地震は開国前夜で、黒船の来航と幕末の政情不安の時代と重なりました。1944年東南海地震と1946年南海地震は、1945年の敗戦を挟んで起きました。このように、南海トラフの巨大地震は100年ないし150年の間隔で規則的に繰り返し発生します。
  では、次の南海トラフの巨大地震は何時起きるかといいますと、ここに書いてありますように今世紀の半ば、およそ2040年前後に起きるだろうと予測されます。

<東海地震 ー発生のしくみー>

  では、東海地震はどうかというと、実はちょっと事情が違いまして、1944年東南海地震の時、浜名湖以東の東海地方では断層破壊が起きなかったため、1854年安政東海地震から現在まで148年間も地震空白域として取り残された状態が続いています。そのため、東海地震はいつ起きても不思議ではないということで、気象庁は東海地方の地殻活動について24時間連続の監視観測を行っています。東海地震の発生の仕組みを考えるとき最も重要なことは、この地震が海溝型地震であるということです。海溝型地震は、上盤の下に下盤が沈み込んで行くというプレート運動によって発生します。このような地震発生の仕組みを手がかりにして、地震発生の直前に確実な前兆シグナルを検知し、東海地震が目前に迫ってきたことを知らせる警報を発信する。そのような手法によって地震の被害を出来る限り軽減しようということが、東海地震の直前予知の手法と目的です。
  東海地震の仕組みというのは、また繰り返しになりますが、東海沖から沈み込んでくるフィリピン海プレートが上盤である東海地方を乗せた陸の岩盤をグッと内陸の方へ押し縮め上盤の先端部を下方へ押し下げています。なぜこのように引きずり込まれるかと言いますと、ここに矢印を書きました海底の岩盤が沈み込むときに、上盤側との間に固着域というものがありまして、上盤と下盤はこの固着域によってしっかりとカップルしている、すなわち咬み合っているわけです。この咬み合った状態が続く限りは、ここの矢印に書きましたようにこの上盤側をグッと引きずり込みますから、上盤側の先端部が1年に5ミリ程度の割合でゆっくりと沈み込んでいきます。それと同時に、内陸側にも押し込まれる。そういう地殻変動が現在まで148年間もずっと続いてきたわけです。そういう状態がいつまでも続くはずはなく、この地殻変動によってひずみが限界レベルにまで溜まってくると、上盤側には跳ね返ろうとする力がどんどん増してきます。やがてこの固着域の一部分に緩みが生じプレート境界が剥がれてきます。そういう状態になると、下盤側は沈み込んでいっても上盤側はもう下盤によって引きずり込まれなくなり、上盤の先端部が沈み込まなくなる、つまり沈降がストップしてしまうわけです。そして、やがてこれが反転して隆起に転じます。その後、数時間か数十時間かすると上盤の先端部が急激に跳ね返って東海地震が発生します。
  こういう状況の進み方は、モデルの数値シミュレーションをやってみると「なるほどな」ということが描き出せるわけですが、しかし、モデルによるシミュレーションはあくまで単純なケースについての推論であり、実際にはそれぞれ地域によりまた個々の地震により差異があり、そのときそのときの状況を観測によって、どういう振る舞い方をするか追跡する必要があります。88ページにそのシナリオを示してあります。
  東海地震の監視観測や被害想定を行う上で重要なことは、東海地震の震源域がどのような形状をしているかということです。これについては非常に詳しい調査が行われて、最近見直されました。実際に東海地震説が出た20年ぐらい前には、まだ観測データはほとんどないわけで、駿河湾を中心に空白域があるいうことで、とりあえず長方形の断層を前提に各地の震度予測などを行ってきました。その後観測が積み上げられてきた結果、もっとリアルな震源域が浮き彫りにされてきました。その結果、実はこういう茄子形をした震源域の断層が大きくずれ動き東海地震が起きるのだということがわかってきたわけです。こういうことがわかってくると、かなり現実味を帯びた形で、戦略を立てられるようになるわけです。

<東海地震 ー近づくとどうなるかー>

   もう一度話を戻しますが、東海地震が近づいてきたらどうなるのだろうかということが大変気になるわけです。一つは、先ほど先端部がずっと引きずり込まれていって沈降していくという話をしました。実のところ、上盤が太平洋に突き出した場所というのは東海地方の御前崎に限ったものではなく、房総半島の野島崎とか、三浦半島の先端の油壷、それから潮岬、室戸岬、そういったところは皆太平洋のほうへ突き出しています。これら上盤の先端の部分は、太平洋の沖合からやってくる海の岩盤が目と鼻の先で沈み込んでいきますから、それに引きずられて1年間に5ミリメートル程度の割合でゆっくりと沈み込んでいくわけです。ですから、これは次の巨大地震に向って歪のエネルギーをどんどん蓄えているという状況を示しています。その状況が続いている限り、ひずみを蓄えている段階ですから地震は起きてこないわけです。
   例えば関東地震の場合どうだったかと申しますと、当時のかなり素朴な観測、検潮儀によって観測したデータがありますが、それによると油壺はこのように、年間数个把盛澆靴討い襦ところが、ある時点まで来ると沈降が止まってしまう。つまり、上盤側はひずみをたくさん蓄えてしまって、もう下盤と一緒についていけなくなって跳ね返ろうとしている兆しなのです。そしてやがて反転し跳ね返って、関東地震が発生しました。こういう状況を念頭において、いま実際に観測されている東海地方の御前崎のことを見てみますと、このようにずっと沈降が引き続いています。これが少しこのようになってくると、ボンと跳ね返るということで、この御前崎の沈降は非常に気になる点の1つです。そういうものについて、いろいろな方が最近のデータを使って解析した事例をご紹介します。
   この2つのグラフを見ていただきます。上のほうは五十嵐さんという方が、実際の粒々と丸を書いたのが実際の観測データですが、御前崎の沈降のデータに合わせて予測モデルを当てはめてみたわけです。そうすると、データの当てはめ方にもよりますが、ここでこのように沈降してきたものが、ある時点になると沈降が停滞しその後急激に跳ね返ります。ここに矢印がついています。ここで東海地震が起きるという意味ですけれども、これをこうやると2003年ぐらいになるでしょうか。これをこのまま信用したら真っ青になってしまうわけですけれども、とにかくそういう状態、長期間続いてきた緩慢な沈降がいったん停滞してから急激に跳ね返って隆起する、そういうプロセスを念頭に置きながら監視する必要があります。その一方で海溝型地震が繰り返し起きる状況シミュレーションの結果と観測事実と比較して検討することもできます。88ページの左下の「地面の上下変動の時間変化」と書いてあるのがここに述べた話に対応するものです。

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