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防災講演録

防災講演録


防災講演録(2)
鳥取県西部地震を体験して

ーその復興と教訓ー

片 山 善 博(鳥取県知事)


皆さん,こんにちは。今日は皆さん方の研修の場に私にこうして話をさせていただく機会を与えていただきましたことを,主催者の皆さんと話を聞いていただける皆さんにまず御礼を申し上げたいと思います。

<地震のとき、とっさに思ったこと>

今日はお手元のテキストの中に若干のレジュメを用意しています。鳥取県西部地震を体験してということですが,ご承知いただいているように昨年の10月6日に鳥取県は大変大きな地震に見舞われました。約1年前のことです。
振り返ると,当日ちょうど今頃ですが,10月6日午後1時30分に発生をしました。私は当時県庁の中の知事室にいましたが,本当に県庁舎が倒れてしまうのではないかと思うほどの大きな揺れを感じました。鳥取県庁をご存じない方が殆どだろうと思いますが,私の知事室は3階の一番はずれにあります。建築の専門家に言わせると知事室が一番危ないところだそうです。なぜならば知事室の下は全部空洞で,1階のロビーみたいなところの上がすぐ知事室になっており,2階が抜けているものですから,構造物が何もなくて柱だけなので一番危ないところで,したがって一番よく揺れたと後で聞かされましたが,とにかく本当に恐怖感を感じるほどの揺れを覚えました。震源地は県庁から西にだいたい110キロくらい離れたところにあるので,震源地はさぞかしだったろうと後で思いました。
その時,私は何を考えたかと言いますと,2つ考えました。1つは,ああ,とうとう来てしまったか,やっぱり来たかとすぐに思いました。なぜそんなことを思ったのかは後でお話しますが,とにかくその時は来てしまったかと感じました。もう1つは,その時に,これはきっと鳥取県で震源地は西の方だろうと。何の理由もなく,何の客観的な判断の材料もないですが,とっさにこれは米子の方面だろうなと。米子は鳥取県でも一番西の方にあります。県庁のある鳥取市は一番東で,兵庫県に近い方にありますが,その時にきっと米子の方だろうなと思いました。まったくのあてずっぽうですが,でもそれも結果的に当たっていました。なぜ当てることができたのかも後でお話しますが,その2つを思いました。すぐに災害対策本部を作らなければいけないということで,それから作業に入ったわけです。

<選挙公約と防災>

先ほど司会の方からご紹介いただきましたが,私は平成11年4月の統一地方選挙に立候補をして,生まれて初めて選挙というものに挑んだわけです。いろいろな事情があって選挙に出ることになりましたが,選挙に出る,すなわち鳥取県という地方団体の長を目指そうというからにはやはり自分なりに是非やってみたいことを真剣に考えました。もちろん多くの人から出ろと言われて引っ張り出されたのが現実でしたが,しかし実際に自分で出ようと決断した以降は自分の問題になりますから,自治体の首長,県の首長を目指すからには本当に真剣にこれとこれとこれはやらなければいけないということを考えました。
いくつか考えましたが,例えば1つは今の我が国の行政はどうも透明性に欠けている。最近の例えば外務省の不祥事,とんでもない事件があるわけです。政府はいま地方団体に対して地方分権でもっとしっかりしろと。市町村は今の市町村の規模は小さい。もっと大きくなって実力を蓄えなければ国は権限を委譲できない。だから合併でもして,もっとシャンとしなさいということを政府は考えているし,言うわけです。しかし,我々から見ると,それはたしかにそうかもしれません。政府に比べたら都道府県だって市町村だって規模は小さい。けれども,あんな外務省のような変な金の使い方をするところはたぶんどこにもないはずです。少なくとも私の鳥取県にはありません。競馬馬を買ったり,愛人の生活費に公金を回したり,あんなのはないです。ちょっと政府の方にもしっかりしてもらいたいと思っています。話が横道にそれましたが,とにかく透明性を確保していないから,あんなことになるんです。情報をちゃんと公開していれば,あんなことは起こりっこありません。情報を公開しないで秘密の中でグチグチやっているから,あんなことが起こってくるわけです。
ですから私は選挙に出ようと思った当時,とにかく日本のこれからの行政は透明性を確保する必要がある。というのはそれまで私も政府の一員であって,そのことを痛感していました。ですから,鳥取県でこれから行政をやっていく上では必ず情報公開をしようということで,情報公開は絶対いたしますということを大きな公約の1つに掲げました。
もう1つは鳥取県は東京や大阪や横浜のように人口が非常に多くて産業が活発なわけではありません。どうしても元気がない面がありますから,これは仕方がないですが,元気でにぎやかにしたい。いろいろな意味で,農業も含めて産業も振興したいし,先端産業もリッチにさせたいし,情報通信の基盤整備もしたいし,そんなこともひっくるめて元気にしたいということを1つ公約にしました。
3つ目が実は防災でした。平成7年に阪神淡路の大震災を見ていまして,あの頃兵庫県がというわけではなく,日本どこでもそうだったと思いますが,危機管理がきちんとできていなかった。危機管理の意識もなかった。したがって体制もない。そういうところにある日突然阪神淡路の大震災が起きて,これは地元の地方団体も政府もオロオロしオタオタして対応を誤ったこと。当事者の皆さんには大変申し訳ないかもしれないけれど,しかしどうみてもそうだろうと思います。もっと準備をしていれば被害を少しは小さくすることができたかもしれない。政府も地方団体も,どこもそうです。兵庫県だけではありません。どこでもそうですが,準備を怠っていたためにいたずらに被害が大きくなってしまった。生じさせなくてもいい被害を生んでしまったことは,大変失礼かもしれないけれども言えると思います。
そんなことを私も見ていましたから,私が自治体の首長を目指そうというのであれば,絶対にそういうようなことだけはしたくないと真剣に思いました。もちろん災害ですから被害を皆無にするとか,そもそも被害がまったく出ないですむとか,災害が起こらないようにすることは無理な話です。天変地異は必ずあるわけですから。けれどもその被害を最小限に食い止める。不必要な被害を生じさせない。これは自治体の責務だろうと私は思います。ですから,選挙に出ようと思う時に鳥取県はこれから防災安全の地域づくりを心がけますと公約の1つに掲げました。この3つを言って,実は立候補の表明にしました。
ところが正直言って,最初の2つはいいです。情報公開と言って,みんなそうだと言って応援してくれますし,それから鳥取県をこれから元気でにぎやかにしようと言うと,それは是非そうして下さい,子供の就職先もなくて困っているからどうかやって下さいとみんな支援してくれました。安全防災の地域づくりなんて言うと,誰も関心がないです。選挙をやってみてわかりました。そんなことを考えているのは役所だけで,選挙の準備のためにいろいろな話をしても安全防災と言っても殆ど誰も関心がないです。これが世の中の実態だということがよくわかりました。

<まず組織、そして点検>

わかりましたが,実際に当選してみて本当に必要なことですから,選挙の際にはあまり公約として打ち出しても大した反応もなかったのですが,でも大事なことですから,これは着々と公約通りやりました。私が当選したのは平成11年4月です。その頃,鳥取県の防災の組織は消防防災課があります。皆さん方のところもそうだと思います。消防防災課がだいたい総務部にあります。鳥取県の場合は生活環境部にありました。その中に防災係という係が1つあります。通常の火災,火事,救急は市町村の仕事ですから別にして,これがいわば県のレベルでの防災の責任者,そのことを専門でやっている職員で一番の責任者は鳥取県の場合は生活環境部消防防災課防災係長さんです。これではいかにも貧弱なわけです。防災という地域の根幹,地域の安全を守るという大変重要な仕事の担当が一係長さんだというのは,やはり組織としては脆弱だと言われても仕方がないと思います。思いますが,これは鳥取県だけがそうだったわけではなく,全国的にそうでした。今でもそういう県がたぶんあるのではないかと思います。私はそれではいけないと思いました。
防災というのは本当に起こってからもそうですが,起こる前が大切ですから,その時に訓練も含めていろいろな準備をする。それは全庁的な仕事なわけです。ですから,本来はトップが率先して自らリードしていくことが必要だと思います。私もそれを心がけました。でもだからといって知事が毎日防災のことばかりやっているわけにもいきません。いろいろな仕事がありますから,防災も重要な仕事だけれど,それだけやっていればいいというものではありませんから。さすれば防災というものを私と共に,ないしは私に代わってやってくれる,かなりクラスの高い職員が必要になってくるわけです。私はさっそく防災監という,これは兵庫県に防災監という職を作っておられたので,その職をただちに作って任命をしました。これが当選してから3ヶ月後の平成11年7月の人事異動で,防災監という部長次長級のものを作りました。その下に防災系の組織を充実して強化をしました。そこから始めることにしたわけです。
まずやってもらったことは点検です。その時の鳥取県の防災体制はどうなっているのだろうかということを点検してみました。いろいろな問題点が出てきました。問題点が出てきたと言うよりも,問題だらけだったわけです。これを一つひとつ改善していこうではないかと,私は防災監と相談をして,そこから作業を始めていったわけです。いろいろな検討を加えて,そしてこれからの方向性を決めるのに何ヶ月かかかりました。7月に防災監を任命して,3〜4ヶ月くらい点検にかかりました。手始めに明けて12年の1月に県内の防災関係機関と意見交換会をやろうとしました。1月17日,この日は阪神淡路の大震災があった日なものですから,象徴的な日だから,これからの鳥取県の地域の防災安全を考えるにはふさわしい。そう言うと兵庫県の方に怒られるかもしれないけれど,記念になる日だからこの日にやろうというので,県内の自衛隊の機関,陸上と航空自衛隊,海上保安庁,当時の建設省,気象台,消防,警察,他にもありますが,そういう防災や地域の安全に関与している関係の深い機関に集まっていただいて,意見交換会にしました。その目的は,実は県も防災をやっているし,市町村の消防もある,警察もある。これくらいは常に顔見知りになる機会は多いです。しかし,自衛隊の皆さん,国土交通省,気象台や海上保安庁など,そういうところと普段から顔なじみになって何でも相談できるとか,お互いが相手のことをよく知っているとか,そういう関係になっているかというと全然そうなっていなかったわけです。恐らくは災害があって,さあ大変だ,自衛隊にものを頼まなくてはいけない。そうなった時に初めて,どうもどうもと言って名刺交換をする。こういう事になりかねません。皆さん方のところはいかがでしょうか。少なくとも私が当選をして点検をした時にはそういう状態でした。それではいけない,やはり災害があった時にはすぐにものを頼んだり頼まれたり,頼まれなくても応援の手をさしのべる,平時,通常の時からそういう関係になっていなければならない。いざという時に名刺を交換しているようでは絶対ダメです。失格です。
それで集まって,お互いがどういう機能を持っているのかということからやりました。例えば県はこんな体制で,こんなことができます。消防機関はこんなことができます。警察もそうです。こんな資機材を持っています。自衛隊の皆さんも全部発表紹介してもらいました。その時に非常に印象に残ったことは,陸上自衛隊の皆さんが,自分のところにはお風呂のセットがあります。入浴設備があります。ホーッと思いました。考えたら当たり前です。自衛隊にはいざとなった時には野戦がありますから,旅館やホテルに泊まるわけにはいかないので,自分で陣を張って,そこでお風呂に入る。考えてみたら当たり前です。でも,ちゃんとお風呂を持っていますというから,そうなのかなと。それから,食糧を供給する施設もあります。それは温かいご飯を炊飯しながら現地に赴く,コンクリートミキサー車のようなものです。お米を入れて炊飯しながら現地に行く。現地に行った時には温かいホカホカのご飯になっているという設備もあります。これも考えたら当たり前です。自衛隊はいざという時には外でご飯を食べなければいけないわけですから。そんなものがあるんですかと言って,その時に非常に印象深かったことを覚えています。
その時には当時の内閣の危機管理室からも1人来てもらって,政府の方針も全部話してもらいました。そうやって県も含めて関係の機関がみんな防災に対して意識を持とう。それからいざという時にはお互いがパッと連係プレーがとれるように準備をしておこう,普段から顔なじみになっておこうということをやったわけです。
これが後から振り返ると本当によかったです。それから9ヶ月後に実際に地震がありましたが,その時に振り返って本当にあの時に県内の防災関係機関が集まっていてよかったなというのが私の印象です。私も実は参加していたものですから。



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