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8. 「津波防災の町宣言」の取り組み


岩手県田老町総務企画課企画防災係
山崎正幸


はじめに

  田老町は、岩手県沿岸のほぼ中央に位置した人口4,900人の漁業の町です。陸中海岸国立公園の中では北部に属し、南部のリアス式とは正反対の隆起式海岸線となっており、高さ100m以上の断崖が連なります。市街地は、田代川、長内川等によって開かれた地盤の低い土地に形成され、全人口の約7割が暮らしています。このようなことから津波の被害を受けやすく、特に慶長、明治、昭和の三陸大津波の際には市街地が壊滅的な被害を受けました。昭和8年の三陸大津波以降(当時、田老村)は、大防潮堤の建設、市街地計画推進、河川護岸建設、防潮林養成などの大事業に次々と着手し、昭和19年3月には津波復興を評価され町制移行を果たしました。その後も様々な津波対策を実行し、住民対象の津波避難訓練なども毎年行っていますが、年々参加者が減少し、また、大きな地震があっても避難する住民が少ないという現実への対処に迫られています。
 このような、災害記憶の風化対策のほか、文化文明の移り変わりに伴う災害想定の見直し、災害弱者対策と地域防災力向上などをねらいといて、昭和三陸大津波から70年目の平成15年3月3日に「津波防災の町宣言」を行いました。


 津波防災の町宣言
 田老町は、明治29年、昭和8年など幾多の大津波により壊滅的な被害を受け、多くの尊い生命と財産を失ってきました。しかし、ここに住む先人の不屈の精神と大きな郷土愛でこれを乗り越え、今日の礎となる奇跡に近い復興を成し遂げました。
 生まれ変わった田老は、昭和19年、津波復興記念として村から町へと移行、現在まで津波避難訓練を続け、また、世界に類をみない津波防潮堤を築き、さらには最新の防災情報施設を整備するに至りました。
 私たちは、津波災害で得た多くの教訓を常に心に持ち続け、津波災害の歴史を忘れず、近代的な設備におごることなく、文明と共に移り変わる災害への対処と地域防災力の向上に努め、積み重ねた英知を次の世代へと手渡していきます。
 御霊の鎮魂を祈り、災禍を繰り返さないと誓い、必ずや襲うであろう津波に町民一丸となって挑戦する勇気の発信地となるためにも、昭和三陸大津波から70年の今日、ここに「津波防災の町」を宣言します。

平成15年3月3日
  田 老 町



1 今までの取り組み

 明治29年6月15日午後7時22分頃に発生した明治三陸地震による津波は、最大波高15m、田老村、乙部村、摂待村での死者行方不明者総数1,859人の大きな被害となりました。さらに、昭和8年3月3日午前2時31分頃に発生した昭和三陸地震による津波では、最大波高10m、同三村での死者行方不明者総数911人となり、37年後に再び襲った大災害は復興を成し遂げたばかりの住民生活を奪いました。
 明治の大津波より前には、大きな津波は100年以上ありませんでしたので、過去の教訓を伝えるものもなく為す術もなく被災してしまいました。また、震度が小さくゆっくりとした地震(ヌルヌル地震)だったことも油断の原因となりました。その後の田老町(村)も復興には着手しましたが、「100年に1度の災害」ということもあり従前の町並みを取り戻すに止まりました。それから37年後のまだ記憶が新しいうちに再び大津波に襲われ、教訓を生かすことなく大きな被害を受けてしまったとの思いから、今度こそはと大事業に動き始めることになります。
(1) 復興期の取り組み
‖臻苗堤築造
 昭和9年、国が高地移転を唱えるなか「漁師が高台に移っては仕事にならない」と防潮堤の築造に単独で着手。
 翌年には県施行に切り替わり、途中、戦争で中断しながらも昭和32年度に完成。拡張も行い、昭和53年度までに二重目の工事が終わり総延長2,433m、海抜10mの大防潮堤が完成した。
田代川水門整備
 昭和53年度に完成。役場に隣接する遠隔操作所から操作する。
市街地計画
 昭和8年、防潮堤用地の確保、避難しやすい道路整備などを行うため「耕地整理法」に基づく市街地計画を策定し実施。
 町内どこにいても避難路が真っ直ぐ見えるような町並みとなった。また、交差点の隅を大きめに切り、見通しを改良。
げ論邯邊濱鞍
 市街地計画に関連して実施。昭和32年に完成した防潮堤の外側を流れるよう切り替えも行った。
ニ苗林養成
 農耕地に関しては、海岸線に赤松や黒松を植栽した。
Δ修梁
 備蓄倉庫の建設、診療所の建設、教員住宅の建設、住宅資金の運用、隔離病舎の建設等々。
※これらは、被災者に対して仕事を与えることにつながりました。

(2) 近代化への取り組み
)漂匚埓無線(固定系)
 昭和55年度に完成。基地局3カ所、子局37局、戸別受信機17台。
 その後平成12年度に改修し、基地局5カ所、子局49局、戸別受信機1,580台(全戸貸与)となる。
 ※Г龍杁涵霾鷄卆影永鷦信装置と連携し震度速報等の自動放送を行う。
∨漂匚埓無線(移動系)
 平成2年度〜4年度に整備。車載14台、携帯4台。
D吐犯鯑駭
 昭和61年以降、平成5年度までに第1避難場所13カ所を津波避難路として整備。手すり付き階段、誘導標識、太陽電池式照明灯を備える。
つ位監視システム
 平成3年度、東大地震研究所により設置。田老新港に超音波センサーを備え役場からモニターにより監視する。
 ※津波襲来時に消防団員が津波を観測する危険を軽減する。
ツ吐抜兮システム
 平成3年度〜4年度に整備。照明付き高性能監視カメラを役場屋上と漁港に2基設置。役場からモニターにより監視する。録画可。
 ※安全な場所から津波を監視し、住民に情報伝達する。
δ吐藩渋システム
 平成4年度、東大地震研究所により設置。単独設置した地震計の情報を役場内の端末で分析し、地震発生から2分程度で津波の予測(到達時間など)を行う。
Ф杁涵霾鷄卆影永鷦信装置
 平成6年度に整備。気象庁が気象衛星を通じて発表する地震情報を受信する。防災行政無線(固定系)に接続し自動放送を行っている。
第1回全国沿岸市町村津波サミット
 平成2年11月に田老町を皮切りにスタートしたが、現在は途絶えている。
明治三陸地震津波100周年追悼式典
 平成8年6月に実施。追悼するとともに津波対策への決意を新たにする。
津波避難訓練
 昭和9年以降、平成11年まで毎年3月3日に実施。役場からの情報伝達の他、消防団による水ひ門の閉鎖、避難誘導訓練も併せて行う。年々参加者が減少している。現在は総合防災訓練として9月上旬に実施している。

2 これからの取り組み

 以上のとおり、昭和8年の大津波災害を契機に本町の津波防災が推進されてきました。ハード、ソフトの両面から取り組んできましたが、ソフト面である住民避難や避難誘導、弱者支援などにおいてまだまだ不十分であり、今後とも取り組みの強化が求められます。
 そこで手始めに、「津波防災の町宣言」により住民の関心を引き、同時に自主防災組織に関する啓発パンフレットの作成配布や、(財)消防科学総合センターや岩手県からの協力をいただき防災安全地方研修会を行いました。現在では、複数の自治会から自主防災組織を旗揚げしようかとの話を聞くことがあり、上々の成果があったと評価しています。期を逃さず、さらに進めていきたいと思います。
 また、「津波防災の町宣言」を行ったことにより新たな津波防災の推進が求められています。(以下に列挙)

(1) 情報の共有化

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 今までに整備した各種の監視システム等をインターネットでむすび、住民との情報の共有化を図る。潮位観測、津波監視、津波予測、震度情報、気象観測などの情報を過去に遡って検索できる。
避難所等情報システム
 住民の避難行動に至らない理由の中には「テレビによる情報入手」も挙げられている。情報入手が早い反面、頼りがちになり行動が遅れる。そこで、避難路までの経路にしたがい文字情報板を整備することにより「逃げながらの情報入手」が可能になる。
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 ホームページを活用した安否情報データベースシステム。携帯電話からもアクセス可能で輻輳回避。
と鷯鏤バックアップ体制の確立
 ギガビットネットワークを活用した通信実験を行ったが、さらに活用することにより遠隔地の機関とバックアップサーバーを持ち合うことが可能。
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 当初は密漁(不審船)監視システムとして検討したもの。登録船舶には専用GPS携帯電話を持たせ測位サーバーで監視し、同時に監視レーダー画像と重ね合わせ不審船を割り出し自動通報する。監視センターからGPS携帯電話に対し、津波情報等の同報送信を行い海上や遠隔地への地元情報の自動送信が可能になる。測位サーバーは陸上にも使えるので、山火事での消防団員の効果的配置や除雪作業にも応用できる。
ξ閘自動閉鎖装置
 ´↓イ料信部分をトリガーとする陸閘の自動閉鎖装置を検討する。
津波伝承館、津波防災まるごと博物館
 津波伝承館は、津波防災意識の風化を防ぐため、防災に関する資料や資機材などを展示、伝承・研究機能も備えた施設を建設する。まるごと博物館は、町内に複数の案内板を設けてオリエンテーリング形式で防災施設等を案内するもの。ブルーツーリズムへの応用もあり得る。

(2) コミュニティの強化

ー主防災組織の組織化
 田老町の各自治会は、福祉や保健体育、環境美化など多方面の活動を行っており、比較的よくまとまった活動を行っている。一方で、消防団の区域と自治会区域が重なることも多く、双方の役職も同一人物により重複することもあり、「防災は消防団で」ということがあったように思われる。しかし、現実をよく見ると、自治会、消防団の他、PTA、中には議員や町職員が兼ねる場合もあり、災害時には職場での対応を優先することになるであろうから、残された方々による自主防災という点で不安がある。
 これらを改善に向けるためのきっかけづくりとして、自治会ごとの図上訓練が有効であるように思われる。あくまで自主的な活動としていくことに難しさがあるが、広域的な災害に対応するためには是非必要なことであり取り組みを強めていきたい。
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 自治会ごとの図上訓練により、地域内のどこにどの程度の災害弱者が存在するのかが明らかになり、どのように支援していくかが話題となる。
F常的なトレーニング
 これらのコミュニティが災害時にうまく機能するかどうかは、日頃からの訓練や積極的な活動によるものと思われるが、それはコミュニティだけではない。各種防災施設、設備はもとより、安否情報システムのようなものまで、日常的に使用していないと災害時も使用できない。逆に、日常でどのように使えるかという視点でシステム設計することが求められているのかもしれない。

おわりに

 昭和三陸大津波の体験者が、自分の孫に体験を伝承するため紙芝居を作成しました。これがあちこちで話題となり、今では学校や保育所での講演の他、修学旅行生からも要請があるとのこと。お会いするたびに新しいことを話され、当時の状況に身近に触れることができ大変為になります。このような方々とできるだけたくさん話す機会を設け、次世代なりの方法で伝承活動の一翼を担っていきたいと思います。

津波前の田老(昭和7年)
津波の日の朝(昭和8年3月3日)