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まさかの噴火−「雲仙・普賢岳 噴火災害を体験して」より−

2大惨事発生

初めて知った火砕流

  火砕流という言葉が初めて新聞に載ったのは、火砕流発生から2日後の平成3年5月26日だったそうです。しかし、すでに土石流を警戒して避難をくり返していた私たちは、6月3日まではほとんどその難解な言葉を意識していませんでした。火砕流はあまりにも恐ろしい現象で、専門家は私たちに知らせることをためらっていたようですが、実際には私たちはその危険性をまるで理解していませんでした。
  その当時は、いつ発生するか分からない土石流のことで頭がいっぱいで、火砕流に対する関心や警戒心はほとんどありませんでした。火砕流によって5月26日に地元の一人がやけどをし、その3日後の29日に山火事が発生しても、あまり大きな不安はありませんでした。この時期、専門家はかなり危機感を持っていたようですが、その感覚は私たちにはまったく伝わりませんでした。
  後で聞いてみると、上木場地区で土石流警戒にあたっていた消防団員にも火砕流の危険性については決して十分には知らされていなかったということでした。また、消防団員には情報の伝達に不可欠な個別の無線機なども支給されていませんでした。
  大きな火砕流が発生したのは、平成3年6月3日で、このときには43人の死者・行方不明者を出し、家屋も147棟が焼失しました。火砕流の恐怖をはっきり感じたのは、このときが最初でした。
  5日後の8日にも大火砕流が発生しましたが、この時点では警戒区域が設定されていたこともあって、人的な被害はありませんでした。
  火砕流がもっとも頻繁に発生したのは平成5年7月までで、最後に観測されたのは平成8年5月1日でした。
  平成3年、この災害がきっかけになり、火砕流という言葉は国民に広く知られるようになったといわれています。


広域農道から見た火砕流(H3.9.27 撮影・古瀬孝一)

安中公民館から見た火砕流
(H4.6.30 撮影・杉本伸一)
深江町岩床山から見た夜の火砕流
(H3.12.23 撮影・杉本伸一)

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