防災展示場
消防防災GIS
災害写真データベース
今日は何の日?
2017年10月20日(金)
過去の災害
全国統一防災標語
消すまでは 心の警報 ONのまま (平成25年度)shimもういいかい 火を消すまでは まあだだよ (平成26年度)shim無防備な 心に火災が かくれんぼ (平成27年度)shim消しましょう その火その時 その場所で (平成28年度)shim火の用心 ことばを形に 習慣に (平成29年度)shimあなたは火事の恐ろしさを知らない (昭和43年度)shim今捨てたタバコの温度が700度 (昭和44年度)shim防火三百六十五日 (昭和45年度)shimいま燃えようとしている火がある (昭和46年度)shim慣れた火に 新たな注意 (昭和47年度)shim隣にも声かけあってよい防火 (昭和48年度)shim生活の一部にしよう火の点検 (昭和49年度)shim幸せを明日につなぐ火の始末 (昭和50年度)shim火災は人災 防ぐはあなた (昭和51年度)shim使う火を消すまで離すな目と心 (昭和52年度)shimそれぞれの持場で生かせ火の用心 (昭和53年度)shimこれくらいと思う油断を火が狙う (昭和54年度)shimあなたです! 火事を出すのも防ぐのも (昭和55年度)shim毎日が防火デーです ぼくの家 (昭和56年度)shim火の用心 心で用心 目で用心 (昭和57年度)shim点検は防火のはじまりしめくくり (昭和58年度)shim“あとで”より“いま”が大切 火の始末 (昭和59年度)shim怖いのは「消したつもり」と「消えたはず」 (昭和60年度)shim防火の大役 あなたが主役 (昭和61年度)shim消えたかな! 気になるあの火 もう一度 (昭和62年度)shimその火 その時 すぐ始末! (昭和63年度)shimおとなりに あげる安心 火の始末 (平成元年度)shimまず消そう 火への鈍感 無関心 (平成2年度)shim毎日が 火の元警報 発令中 (平成3年度)shim点検を 重ねて築く“火災ゼロ” (平成4年度)shim防火の輪 つなげて広げて なくす火事 (平成5年度)shim安心の 暮らしの中心 火の用心 (平成6年度)shim災害に 備えて日頃の 火の用心 (平成7年度)shim便利さに 慣れて忘れる 火のこわさ (平成8年度)shimつけた火は ちゃんと消すまで あなたの火 (平成9年度)shim気をつけて はじめはすべて 小さな火 (平成10年度)shimあぶないよ ひとりぼっちにした その火 (平成11年度)shim火をつけた あなたの責任 最後まで (平成12年度)shimたしかめて。火を消してから 次のこと (平成13年度)shim消す心 置いてください 火のそばに (平成14年度)shimその油断 火から炎へ 災いへ (平成15年度)shim火は消した? いつも心に きいてみて (平成16年度)shimあなたです 火のあるくらしの 見はり役 (平成17年度)shim消さないで あなたの心の 注意の火。 (平成18年度)shim火は見てる あなたが離れる その時を (平成19年度)shim火のしまつ 君がしなくて 誰がする (平成20年度)shim消えるまで ゆっくり火の元 にらめっ子 (平成21年度)shim「消したかな」 あなたを守る 合言葉 (平成22年度)shim消すまでは 出ない行かない 離れない (平成23年度)shim消したはず 決めつけないで もう一度  (平成24年度)

信州地震大絵図

1.松代藩の災害絵図

 災害の様子を絵や図としてあらわすことは災害の様子を伝える手段として有効でした。そうした意味から、善光寺地震では災害の様子をあらわした災害絵図が多く描かれました。こうした災害絵図にはさまざまな用途がありました。

  松代藩がつくった災害絵図の代表として「信濃地震大絵図」があります。これは、地震の最終的な被害状況を示すもので、火災・山崩れ・水害の発生した箇所が色分けされて描かれています。横幅が4メートルをこえる大作です。この災害絵図は単に松代藩の被害を示すのみではなく、南は松本藩からはじまり、北は飯山藩にいたる広大な地域を含んだものです。

  この絵図がどのような役割を果たしたかはよくわかりませんが、鎌原桐山著の「地震記事」には雇足軽で大岡村の生まれである、新左衛門が変災の絵図を差し出したとあります。この絵図は、松本・飯山あたりまでも詳細に彩色分けしてあると書かれています。また、藩主・真田幸貫は参府のときにこの絵図を持っていったとあります。これを裏付けるかのように「御側御納戸日記」嘉永三年九月十二日の条に、田安家から「地震之御絵図」が返されたとあります。これらの記事が、「信濃地震大絵図」そのものを指すのかははっきりしませんがその可能性は高いと思われます。これを制作した意図は、震災の様子を江戸において訴えるために藩主が作らせたものと想像されます。

  このほか、松代藩が所有する災害絵図には、村からの災害報告をもとにしたと思われるものも含め、断片が数多く残されています。藩の命令で村役人が作るなど公的な目的で作成され、活用されたものと思われます。

出典「震災後150年善光寺地震ー松代藩の被害と対応ー」


2.信州地震大絵図

  善光寺地震の被害状況を彩色で示した絵図。絵図は川中島平と松代を中央部に配置し、左端は松本城下、右端は飯山城下までを収めている。松代藩領の中央部山地には、岩倉山の大崩壊をはじめとする山崩れ箇所が克明に描かれ、長野盆地から下流には岩倉山崩壊堰き止めの決壊による洪水域が描かれている。藩主が参府のとき持参し、江戸で震災の様子を訴えるために作られたものと考えられている。

出典「ドキュメント災害史1703-2003」


画像をクリックすると別ウィンドウで大きく表示します。