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2017年12月18日(月)
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火は消した? いつも心に きいてみて (平成16年度)shimあなたです 火のあるくらしの 見はり役 (平成17年度)shim消さないで あなたの心の 注意の火。 (平成18年度)shim火は見てる あなたが離れる その時を (平成19年度)shim火のしまつ 君がしなくて 誰がする (平成20年度)shim消えるまで ゆっくり火の元 にらめっ子 (平成21年度)shim「消したかな」 あなたを守る 合言葉 (平成22年度)shim消すまでは 出ない行かない 離れない (平成23年度)shim消したはず 決めつけないで もう一度  (平成24年度)shim消すまでは 心の警報 ONのまま (平成25年度)shimもういいかい 火を消すまでは まあだだよ (平成26年度)shim無防備な 心に火災が かくれんぼ (平成27年度)shim消しましょう その火その時 その場所で (平成28年度)shim火の用心 ことばを形に 習慣に (平成29年度)shimあなたは火事の恐ろしさを知らない (昭和43年度)shim今捨てたタバコの温度が700度 (昭和44年度)shim防火三百六十五日 (昭和45年度)shimいま燃えようとしている火がある (昭和46年度)shim慣れた火に 新たな注意 (昭和47年度)shim隣にも声かけあってよい防火 (昭和48年度)shim生活の一部にしよう火の点検 (昭和49年度)shim幸せを明日につなぐ火の始末 (昭和50年度)shim火災は人災 防ぐはあなた (昭和51年度)shim使う火を消すまで離すな目と心 (昭和52年度)shimそれぞれの持場で生かせ火の用心 (昭和53年度)shimこれくらいと思う油断を火が狙う (昭和54年度)shimあなたです! 火事を出すのも防ぐのも (昭和55年度)shim毎日が防火デーです ぼくの家 (昭和56年度)shim火の用心 心で用心 目で用心 (昭和57年度)shim点検は防火のはじまりしめくくり (昭和58年度)shim“あとで”より“いま”が大切 火の始末 (昭和59年度)shim怖いのは「消したつもり」と「消えたはず」 (昭和60年度)shim防火の大役 あなたが主役 (昭和61年度)shim消えたかな! 気になるあの火 もう一度 (昭和62年度)shimその火 その時 すぐ始末! (昭和63年度)shimおとなりに あげる安心 火の始末 (平成元年度)shimまず消そう 火への鈍感 無関心 (平成2年度)shim毎日が 火の元警報 発令中 (平成3年度)shim点検を 重ねて築く“火災ゼロ” (平成4年度)shim防火の輪 つなげて広げて なくす火事 (平成5年度)shim安心の 暮らしの中心 火の用心 (平成6年度)shim災害に 備えて日頃の 火の用心 (平成7年度)shim便利さに 慣れて忘れる 火のこわさ (平成8年度)shimつけた火は ちゃんと消すまで あなたの火 (平成9年度)shim気をつけて はじめはすべて 小さな火 (平成10年度)shimあぶないよ ひとりぼっちにした その火 (平成11年度)shim火をつけた あなたの責任 最後まで (平成12年度)shimたしかめて。火を消してから 次のこと (平成13年度)shim消す心 置いてください 火のそばに (平成14年度)shimその油断 火から炎へ 災いへ (平成15年度)

解説



安政二(一八五五)年十月二日の地震は、江戸開府以来の大地震で、震源地は本所深川であったといわれている。当時の記録によると入間(いりあい)の鐘が鳴り夕食もすんで、これから読書でもしようという四つ頃、大きくゆれて忽ち倒壊家屋が出た。同時に約三十二箇所から火の手が挙ったが、誰一人手の下しようもない。家の下敷となった人は見殺しで、助かった人は右往左往するばかり、火に逐われて、大川へ飛込んで死んだのも数知れず、といわれている。吉原では遊女を地下室に入れて蒸焼きにしたのもあり、宿直がえりの旗本主従が、崩壊した土蔵を被って埋れてしまったのもあった。

地震はその後も小ゆれが続き、七日にはまた中位のが襲った。生き残った人は皆野宿をしていたが、あわてふためいて仮小屋から飛び出すものもあった。この時、また半壊の土蔵が崩壊した。しかし小ゆれは、なお十一月に入っても時々あって、人心旧に復したのは師走に近い十一月末頃であった。

この大震火災の損害は、まちまちで確かなことはわからない。一番おそく発行されたとおもわれる一枚摺には、死亡十二万人弱とあるが、「安政雑記」に残っている亡霊の供養員数だけでも、各宗派合計二十一万九千九百余人となっているから、この外に一家全滅も相当あろうし、供養の出来なかった家もあろうから、死亡実数はもっと多かったとみて間違いはあるまい。崩れた土蔵は少いのが八百四十七万、多いのは七億二万などと書いてあって、問題にならない。

地震は、ところにより強弱があって、強かったのは、本所・深川・鉄砲州・築地・浅草・富沢町・村松町辺で、本芝・田町・高輪・品川等之れに次ぐ。日本橋・神田・両国辺は、またその次ぎで、麹町・四っ谷は弱かった。吉原は地震前に失火があって全焼、焼死・圧死千五百六十人、負傷二千三百余人と記されててる。

地震の錦絵では、鹿島大明神と鯰と要石(かなめいし)が題材に用いられているが、地震は地中の鯰の仕業で、それをおさえつけるために鹿島大明神が要石をのせておくというのが、古くから日本の伝説になっているからで、此地震に限ったわけでなく、ずっと以前の地震のときも、この伝説を絵にしたものが発行されている。しかし、この時ほど沢山にこれを題材にした錦絵が出たことはなかった。早く出たものは、右のように鹿島大明神を拝む絵とか、鯰をいじめる絵とか、鯰が鹿島大明神に叱られている絵などであるが、後には鯰を主題にした戯作漫画が沢山に発行されている。そのうちには鯰にせなかをさすられて、小判を吐き出している持丸長者の絵もある。これは救済のため御用金を出させられた諷刺である。それはまだしも、後になると、「鯰のちょぼくれ」「すちゃらか」「地震けん」と云ったような諧謔が飛出して来た。また白黒の木版摺の読売も出て、そのうちには「新板道化百人一首」「夜中笑いの種」「江戸大火地震くどき」「大地震やけっぱらくどき」などという不まじめなものもあった。江戸始まって以来の大悲惨事を馬鹿にしたようなものであるが、始終火事に見舞われている江戸っ子には、あきらめの精神の徹底していたのであろう。これを買い、これを口誦んで新らたな生活へ踏み切ったのである。宵越しの金を持つのを恥とした江戸っ子以外には、了解の出来ない境地である。


「かわら版物語」小野秀雄 雄山閣出版より