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2017年10月17日(火)
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鳶頭政五郎覚書

鳶頭政五郎覚書

6. 階子乗り
(1) (2) (3) (4)

(4) 階子乗りの芸と訓練
  階子乗りの芸のなかで最初にやるのが“遠見(とおみ)”となる。頂上技(ちょうじょうわざ)といって、階子のてっぺんまでのぼりきってやる最初の芸が“遠見”、初めに遠くを見るわけだ。原則的にはそれから“邯鄲(かんたん)”という技に入る。中国のことわざの“邯鄲夢の枕”からとった腕枕をした型を決めて横一の字に体を伸ばす技。それからもう1つが、“八艘(はっそう)”といって、源義経の壇の浦での八艘跳びをイメージした型で、1本の竹の先端に膝頭をのせて全身を支える技。この“遠見”“邯鄲”“八艘”の3つが階子乗りの基本技になっていて、あとはこれをもとにしての連続技になってくる。

一本遠見 二本遠見
社団法人  江戸消防記念会  第六区乗友会蔵版
著作者  佐山英雄氏


  階子の稽古というのは、私ら第一区では、組合へ登録して若い者になって、それから道具持になるまでの期間の何年でも、“地階子”といって地面から4尺の長さで、先端だけを本物とおなじに作った階子で練習させている。そこでは全員が、いずれ階子乗りやる者もやらない者も、組合の半纏を着たら、かならずその地階子で稽古をさせられる。
  なぜかというと、好むと好まざるとに関係なくこの稽古しないと、階子乗りのつらさや上でやっている人の痛さとか気持ちが通じない。あの芸はこわい、危険だ、この芸は背骨が痛い、腹筋が痛い、足が絡むからこれはきついといった、そういう乗っている者の痛みがわからないと、下で支えている者も他人事になってしまう。自分も痛い思いをしているから人の痛みもわかるようなもので、上と下が一体にならないとだめ。50キロ、60キロある体重を、接点が直径3寸ぐらいの竹の灰吹(はいふき)のところへ掛けるわけだ。腹とか背中とか膝とか、そういった一点へ重心を絞るわけだから当然痛い。下で支える側も意味がわかってないと、上でやっている者の苦痛が伝わらない。だから私の組では、階子乗りの稽古は強制的にやらせるわけで、そのなかから秀でた者とか、それに適した者が階子乗りの選手として5年、10年と活躍することになる。
一本邯鄲 二本邯鄲

  階子乗りには、頂上技と途中技っていう分け方があって、頂上技というのは階子のてっぺんでやる技、途中技はその何段か下で掛ける技のこと。階子の途中に“輪っぱ”といって、麻でつくった輪を縛りつけて、それに足首なんかを入れてやる技のこと。ほかの区ではこの途中技を数多くやっているけど、私の第一区ではやらせないことにしている。なぜかというと、最近あちこちで階子乗りが行われるようになって、一種の競争心が出てきて、いろいろ特色を出そうとして“輪っぱ”とか“角柄(つのがら)”(階子の幅より長い甲)を出すようになってきた。こうなると、火事場道具という階子乗りの本来の形ではなくなってしまって、サーカスの曲芸みたいになってしまう。階子乗りはあくまでも火事場道具を使っての余技なんで、そこをわきまえていないといけないと思っている。
枕邯鄲 膝邯鄲

  もう1つ、我われの階子乗りは“江戸前の階子乗り”を心がけている。どういうことかというと、“ずんと立ったる階子乗り”という小唄があるように、いきのいい技をやる。とんとんとんと軽快に階子をのぼって、小気味よく芸をやって、さーっと下りてくる、という調子。だから、うちの階子乗りは動作が早い。足早にのぼって、3つ、4つ技かけて、すぐにさーっと下りてくる。
  階子はゆっくりのぼるものじゃない、それやると、“あのやろう怖がっているじゃないか”と思われてしまう。こんなものは、てめえのところの階段を上がるのとおなじで、何も怖くないんだというのをまわりに思わせるためには、素早くのぼらなきゃいけない。
  それから、のぼってから半纏を直してみたり、手を拭いてみたり、階子をこちょこちょ直したり、あれをやるとリズムがこわれて間延びしてしまう。自分がやりやすいようにやるのはしょうがないけど、その決め手は、下で支える者との呼吸で即座に決めなくてはいけない。前にかぶってもいけないけど、後ろにかぶってもいけない。だらだらやっていると、なおさら決まらなくなる。垂直がでていない階子を直すにしても、下の鉤持(かぎもち)との呼吸になる。

膝八艘 一本膝八艘

  それで乗ったら、“一本遠見”“二本遠見”といって、遠見からまず入るわけなんだけれども、一旦のぼってしまったら何が何でも技を掛け、無心で乗らなくてはだめなんだね。調子が悪いとか、こわいとか危ないとか思いはじめると、これはもういけない。これがあんがい厄介なんだ。のぼってしまったら度胸をすえて虚心で乗ること。そのためには自信がないと乗れないことになる。その自信というのは地階子で、がっちりと基本を覚えておくこと。地階子で、きちんと1、2、3、4、5、6と、踊りの所作とおなじで、振りの基本をおぼえ、体が自然に1、2、3で動いていくぐらいマスターしていれば、上へ行ってもおなじことができるようになる。基本がしっかりしていれば、応用は何でもできる。こうやればまちがいない、基本のとおりやっていけばまちがいないと、自分に教えこんでしまうことが大切だ。

  階子ってのは2本で立っているから、左右にはあまり揺れないけど、前後には揺れる。この揺れにたいする対処の方法を体におぼえさせることが、もう1つ上達するための条件でもある。それがうまくこなせないと、兄イにはなれない。階子乗りの基本技の1つの“ハ艘”、またの名を“膝どめ八艘”という技は、この揺れを消す方法をうまく使わないと決まらない。1本の竹の灰吹の頭に自分の片方の膝をのせて、あいてる手足を前後に伸ばして決める技で、膝頭が安定していてもなかなかむずかしい。そこに揺れが入れば、なお厄介になってくる。片方の膝頭1点で自分の重み全部を支えているわけだから、技の出来不出来は、階子の揺れが一番の敵だ。

  で、どうするかというと、前に揺れたときに手を出すようにすると、揺れが静まる。後ろへ揺れたときに手を出すと、もっと揺れが大きくなってしまう。要するに振り子の原理というか、振り子を止める理屈ということになるんだろうけど、自分の前側に揺れたときにすーっと手を出せば揺れはおさまってくれる。支点がずれて揺れがなくなるということなんだろう。それを体でおぼえられるかどうかということが大切になる。階子の上では理屈はいらない。揺れている方向にタイミングを計って手を出せば、揺れは静かになると体に染み込ませる。それを反対にすると、てっぺんから落っこっちゃうことにつながってしまう。

  それから、整体でも指圧でもそうなんだけれども、人間の体にはつぼがあって、強く押しても全然痛くないところがある。もちろん逆に痛点もあるけど、階子乗りはその痛くないつぼをうまく使っていることになる。たとえば、“邯鄲”という技のときに全身を支える鳩尾の斜め横あたりは、いくらやっても痛くない。横っ腹を竹の上にのせて、腕枕した恰好で体を伸ばす型を支えているのは、その脇腹のつぼ1点だけ。
  “八艘”のときの膝のお皿の下もつぼの1つ。お皿は駄目だけど、その下は痛くないつぼで、自分の家で稽古するときはお茶の缶を立てて、そこに膝下の窪みを当てて練習する。
  それからけつも、階子乗りには重要な支点になる。よく言うんだけれども、階子にのぼって最初にやる“遠見”のとき、
「どこやるんですか」
と言うから、
「何でもいいから、上がったときにけつめどを締めろ」と言う。締めて乗っけろという。それが自分の体重の当てどころになる。要は、自分で痛くないところを探しながら、自分の技を磨いていくことが大事になる。

  階子乗りでもって、てっぺんで逆立ちする“鯱(しゃちほこ)”という大技がある。この技は、なかなかできるもんじゃない、おぼえるまでには時間がかかる。稽古しているうちにぱっと壁が抜けて会得するといった種類のもの。けん玉とおなじようなもんで、力が入るとできないけど、突然あるとき軽く決まってしまう。
  私の鯱は、力なんかちっとも要らない。逆立ちして灰吹の上へ肩を乗っけて、脚とけつでバランスとっちゃう。そうすると重心が全部肩口にかかって、手を放しても大丈夫となる。逆立ちは、頭の位置と脚が弓状に反っていないと駄目で、真っ直ぐでは決まらない。できないやつというのは真っ直ぐになっていて、腕の力で逆立ちしている。これじゃ疲れて次の技へ移れない。もう何回も何回も反復して練習する以外に方法はなく、とにかく癖をつけて、体におぼえさせろというわけだ。
  次に、階子乗りの下で支えている側はどうかというと、長鉤(ながかぎ)といって長い鳶口で支えているけれども、鉤は全部で12本。根絡みで4本と上競り(うわぜり)で4本、前と後ろで2本ずつで、計12本になる。根絡みは、地面に着いている2本の竹の足を、4本の鉤で固く固定させるように挟む。鉤を挺(てこ)みたいに掛けてお互いで競り合う。4本を交差させて、根っこが外に出ないように互いに競って固める。これが一番大事なところ。
  上競りは下から5段目の甲に鉤を4本入れて、これも梃仕掛けで競って固める。残りの4本は、階子の前後に別れて、前鉤と後鉤を2本ずつ6段目の甲にかけて決める。
  12人の掛ける場所は予め決めておくことが多い。やさしい所とむずかしい所があって、先輩やベテランが上競りだとか根絡みという面倒なところを受け持ち、前鉤や後鉤のような楽なところは新入りが受け持つ。お前とお前は根絡みだ、お前とお前は上競りだ、根絡み4人、上競り4人、前鉤2人、後鉤2人と、持ち場をしっかり決めてやって、はじめて上で乗る者が安心する。
鯱 二本鯱
膝立鯱 一本鯱