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2017年10月24日(火)
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鳶頭政五郎覚書

鳶頭政五郎覚書

5. 纏
(1) (2) (3) (4)

(3) 纏と詰所
  江戸町火消の纏は奉行所管轄のものだったから、全部奉行所へ登録されていた。我われが現在維持している纏の形の原型ができたのが天保2年(1831)と言われていて、町火消創設の享保3年(1718)からおよそ120年下がったころ。それまでの纏は竿の先に旗印をつけた纏幟であったから、原型の形に決まるまでには奉行所のさまざまな指導があったと思われる。もともと纏は全部奉行所で管轄していたものだから、纏そのものも、その組のシンボルではあっても、頭取個人のものではなかった。
  これは明治になってからの話だけれども、うちのほうの第一区あたりは少し規律がやかましいところで、たとえば、不幸にして組頭が今日亡くなったというときは、組の道具持がまず最初にやることは、組頭の家から纏を下げることだった。死んだ家から纏は出せないから、纏を移すことになる。どこへ移すかというと、すぐ次席の所に下げてしまう。それはもう約束事で、すぐに移さなくてはならなかった。
  纏というのは、1つの組に何本かあるわけで、その組内の詰所に置いてあった。江戸時代なら自身番所、明治以降は消防屯所とか、後になると消防分遣所といった、町内の詰所に纏が置いてあった。纏は個人のものじゃなく組のもので、奉行所からあずかっている印であって、その責任者はその町の名主であり、大家であり、その下に火消の頭取がいた。火消の長(おさ)は頭取だけれども、管理職は大家であり、名主となる。火消の諸掛かりや費用は全部名主・大家持ちと決められていた。雇用している者とされている者の主従関係で、名主・大家が管理職で、現場の担当責任者が頭取ということになる。そういう関係があるから纏は頭取のものではなく、あずかっているだけだった。

「江戸消防」(江戸消防記念会)より

  火事場で使うから2本3本の替え纏がいるわけで、そういうものが自身番や詰所に置いてあり、頭取のところにも1本置いてある。置いてない頭取もあるけれども、たいがい飾り纏といって組内に1本は置いてある。その纏というのは、頭取が自分でプライベートで作っても組のものだった。だから、死ぬとすぐに纏を下げちゃうことになる。
  最近、我われの江戸消防でも組頭のお葬式なんかがあると、纏を祭壇のわきに立てて、生花とおなじような意味でもって喪章をつけて飾ることがある。私たちはそれを絵としてやっているけれども、本来の姿は絶対に纏に喪章なんか付けちゃいけなかった。火事場道具だからその次の次席のところに、死んだ日に下げてしまわないといけない。死人というか、喪がかかっているところから火事場へは行かれない。極端な話が、火事場は戦場だから、そういうところからは出られない。
  明治の消防組は警視庁の拝命だから、署長が上申書を書いて組頭が決まる。次席が決まらないとか適任者がいないときには、半年とか1年ものあいだ組頭が空席のときがある。適材の人がいないと、死んだからといって明くる日すぐ誰でもいいから代わるというわけにいかなかった。江戸時代でも、その地域の顔役の名主・大家の推薦がなかったら、頭取にはなれなかったんじゃないかな。
  我われは今でも、纏のことを当番という場合がある。これはどういうことかというと、1つの小組合のなかにいくつかの町内があって、月毎に月番の町内へ纏が順々にまわってきた。たとえば、千組のなかに18ヵ町あるわけだけれども、今月は富島町(とみしまちょう)が月番だとすると、富島町の詰所に纏がまわってくる。そして、その月が終わると次の町内へ、富島町から濱町へ当番が移動する。月番が移動して、それと一緒に纏がそっちへ移るから、このことを俗に当番という。「あっ、当番が来たよ」ということになる。


い組の纏  「江戸の花子供遊び」  歌川芳虎 画
  い組の纏は、天辺に丸坊主をいただく。丸は即ち天を象どったもの。その下に置かれた四角な台は、地を表徴したもの。即ち天地陰陽の理が馬簾に乗った勇で、一説には丸は芥子玉で、四角は桝、なまって「消します」といふのが縁起であるとも伝へられている。


ろ組の纏  「江戸の花子供遊び」  歌川芳虎 画
  ろ組の纏は、将軍家のお膳をにぎわす魚河岸の兄い連のもので、纏の天蓋は、大漁を狙ふ銛の三ツ羽根へ駿馬を見せた駒の縁起であると伝へられている。


は組の纏  「江戸の花子供遊び」  歌川芳虎 画
  は組の纏は、二ツ車輪の紋所であるが、一説には伝馬町(は組の管轄)に住んでいた車善七が、め組の喧嘩の仲裁に入り、うまく収めたところから、車の紋所を用ひたといふ。