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2017年12月15日(金)
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鳶頭政五郎覚書

鳶頭政五郎覚書

4.半纏
(1) (2) (3) (4)

(1)江戸期の半纏
我われから見ると、日本の社会のなかには、大きく分けて長着の社会と半纏着(はんてんぎ)の社会というのがあって、長着というのは着物の生活。我われも着物も着るけど、鳶のほとんどは半纏を着ている。いろんな職方が半纏着ているけど、半纏そのものは印物(しるしもん)というぐらいだから、そこの家の看板を背負っていることになる。我われ町鳶はお出入り先のお店(たな)とか自分のお得意先の半纏を着る場合があって、そのときは、そこの家の屋号なり家紋をおあずかりして、そのお店を背負っている。お店の主人から許可されておあずかりしたもので、それを着たときにはそれなりの誇りもあれば、立場もあることになる。
半纏にかけてとか、半纏のために体張るというのがあって、これが町火消の場合は組を背負っているものだから、そこに半纏の重みがある。江戸町火消の半纏は、大きくわけると、江戸期のものと明治以降のものとある。享保年間からの歴史がある江戸時代の町火消の半纏と、明治に入ってからの東京警視庁の消防組としての半纏とある。明治5年を境として、それまでの江戸町火消が東京府の所属となる警視庁市部消防組に改組されて、組織編成も変わり、半纏のデザインも一新した。
まず江戸期の半纏から見てみると、これはまた実に合理的にできていて、相手の着ている半纏を一目見れば、どこの組の、どういう役の火消かということがわかるようになっていた。火消全体の組織は一番組から十番組、加えて本所深川の南、中、北組という大組合と、そのなかの“いろは組”の小組合があって、頭取(とうどり)、町頭(ちょうがしら)、纏持(まといもち)、階子持(はしごもち)、それと人足若衆のそれぞれの半纏が決められていた。たとえば、私の組でいえば、江戸時代は大組二番組のなかの千組で、頭取の半纏の腰には二番組を表す“二の字木形(きぎょう)”のつなぎが大きく入っている。二番組のほかの組もこの腰の柄はおなじとなる。各組のちがいはどこで出すかというと、背文字で分けた。各組の印である“ろ、せ、も、め、す、百、千”の字を背中に鏡白(かがみじろ)で入れて、それぞれの組がわかるようにした。千組の頭取の背文字は、丸紋鏡白に、千の文字が地色で入っている。ほかの組もおなじ入れ方で、自分の組名が入った鏡白となっていた。この、腰の柄と背中の文字で、二番組千組頭取とか町頭がわかるようになっていた。鏡白というのは、背中の丸い窓の地色が白いことで、この地色が朱になると朱鏡といって、江戸時代の半纏では人足半纏の背中が朱鏡になっている。

二番組千組の半纏から 頭取襟

「江戸町火消合印控」より
二番組千組の半纏から 朱鏡の背文字

「江戸町火消合印控」より

二番組の纏持と階子持の半纏は、二の字木形の総型半纏(半纏全体に模様の入った半纏。この場合は二の字木形が全体に入っている半纏)に、背文字は“加護字(かごじ)”で纏と階子と入る。とくに階子は2文字を1字にした“抱文字”というのを工夫した。加護字というのは“籠字”とも書き、丸紋のなかの墨文字のまわりを白で隈取りした文字で、火消の生命を守るという祈りの意味で使われていたという。
人足半纏や若衆半纏のほうは、各組独特の総型の模様で、それぞれの組の象徴となる柄でできていた。我われの千組のは大型の釘抜(くぎぬき)紋で、これこそどんな遠くからでも見分けがつく柄だ。当時は文字なんか読めない連中がいっぱいいたんだから、そういう集団にはこれが一番わかりやすい。

一番組の半纏から
纏持半纏の背文字

「江戸町火消合印控」より
一番組の半纏から
階子持半纏の背文字(抱文字)

「江戸町火消合印控」より