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2017年10月19日(木)
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あなたは火事の恐ろしさを知らない (昭和43年度)shim今捨てたタバコの温度が700度 (昭和44年度)shim防火三百六十五日 (昭和45年度)shimいま燃えようとしている火がある (昭和46年度)shim慣れた火に 新たな注意 (昭和47年度)shim隣にも声かけあってよい防火 (昭和48年度)shim生活の一部にしよう火の点検 (昭和49年度)shim幸せを明日につなぐ火の始末 (昭和50年度)shim火災は人災 防ぐはあなた (昭和51年度)shim使う火を消すまで離すな目と心 (昭和52年度)shimそれぞれの持場で生かせ火の用心 (昭和53年度)shimこれくらいと思う油断を火が狙う (昭和54年度)shimあなたです! 火事を出すのも防ぐのも (昭和55年度)shim毎日が防火デーです ぼくの家 (昭和56年度)shim火の用心 心で用心 目で用心 (昭和57年度)shim点検は防火のはじまりしめくくり (昭和58年度)shim“あとで”より“いま”が大切 火の始末 (昭和59年度)shim怖いのは「消したつもり」と「消えたはず」 (昭和60年度)shim防火の大役 あなたが主役 (昭和61年度)shim消えたかな! 気になるあの火 もう一度 (昭和62年度)shimその火 その時 すぐ始末! (昭和63年度)shimおとなりに あげる安心 火の始末 (平成元年度)shimまず消そう 火への鈍感 無関心 (平成2年度)shim毎日が 火の元警報 発令中 (平成3年度)shim点検を 重ねて築く“火災ゼロ” (平成4年度)shim防火の輪 つなげて広げて なくす火事 (平成5年度)shim安心の 暮らしの中心 火の用心 (平成6年度)shim災害に 備えて日頃の 火の用心 (平成7年度)shim便利さに 慣れて忘れる 火のこわさ (平成8年度)shimつけた火は ちゃんと消すまで あなたの火 (平成9年度)shim気をつけて はじめはすべて 小さな火 (平成10年度)shimあぶないよ ひとりぼっちにした その火 (平成11年度)shim火をつけた あなたの責任 最後まで (平成12年度)shimたしかめて。火を消してから 次のこと (平成13年度)shim消す心 置いてください 火のそばに (平成14年度)shimその油断 火から炎へ 災いへ (平成15年度)shim火は消した? いつも心に きいてみて (平成16年度)shimあなたです 火のあるくらしの 見はり役 (平成17年度)shim消さないで あなたの心の 注意の火。 (平成18年度)shim火は見てる あなたが離れる その時を (平成19年度)shim火のしまつ 君がしなくて 誰がする (平成20年度)shim消えるまで ゆっくり火の元 にらめっ子 (平成21年度)shim「消したかな」 あなたを守る 合言葉 (平成22年度)shim消すまでは 出ない行かない 離れない (平成23年度)shim消したはず 決めつけないで もう一度  (平成24年度)shim消すまでは 心の警報 ONのまま (平成25年度)shimもういいかい 火を消すまでは まあだだよ (平成26年度)shim無防備な 心に火災が かくれんぼ (平成27年度)shim消しましょう その火その時 その場所で (平成28年度)shim火の用心 ことばを形に 習慣に (平成29年度)

鳶頭政五郎覚書

鳶頭政五郎覚書

3.江戸鳶の木遣
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(2)木遣の継承

ところが、明治に入って木遣の世界に大きな転換期がくる。明治に入り、江戸が東京になって、鳶や火消の仕事の内容が大きく変わってきて、作業にはさまざまの文明の利器が入ってくるようになって、それまでの木遣調子が合わなくなってきた。また、江戸町火消も明治の市部消防組となって、ポンプ車などの新しい消防機械の導入で、やはり実際の消化活動と合わなくなってきた。その結果、それまでの実用の作業唄としては役に立たなくなって、それでもこのまま消してしまってなるものかということで、保存継承に多くの人たちの情熱が傾けられていくことになる。
明治の中頃から、江戸消防の各区で同好の有志が集まって江戸木遣の睦(むつみ)が多数作られたのも、そういった社会的背景があったからで、このままではせっかくできあがっていた江戸木遣が、次第に消えていってしまうといった危倶があったのだろう。
明治に入ってから、江戸木遣がもっとも盛んだった時期は日清・日露戦争前後と言われている。日清戦争が明治27、28年(1894ー95)、日露戦争が明治37、38年(1904ー5)で、戦争景気と無関係ではないことも多分にあったけれども、もう1つ忘れてならないことは、江戸時代のことを知っていた木遣師が、まだ大勢いたということが大きな力になっていた。それとは逆に、大正から昭和にかけて、いくつかの会が離合集散するという苦しい時期を迎えることになったのは、時代の流れもさることながら、そういった先人がどんどん亡くなってしまっていたのが一因とも言える。

「木遣定本」より
戦時中はこれといった活動もできないで、休眠状態を余儀なくされていた各区の木遣会も、ようやく昭和26年に活動再開。戦後も少しずつ落ち着きが見えはじめ、復興の兆しもあっちこっちで出はじめたこの年、江戸消防記念会が再興し、それに力を得て木遣会も再び活動を開始した。
そしてまずやったことが『木遣定本』の制作。準備開始からおよそ10年かかって、昭和28年に完成したこの定本は、袋綴じの和本で308頁、104曲の木遣唄の歌詞を収録し、それに棒印を朱で入れた、木遣唄の定本としては最初で最後の本となり、現在まで我われの唯一の教本となっている。この本の編纂にあたったのは、第一区六番組南八三事(みなみはちさんこと)橋本喜三郎、第一区四番組鞘町事松田久吉、第三区五番組納戸町事(なんどちょうこと)村松喜三郎、第四区五番組錦二事(きんじこと)増岡吉五郎、第四区三番組吉野屋事(よしのやこと)久保半次郎、と編輯人に小平勝次郎各氏が当たり、必死になって江戸木遣を守ろうとした当時の関係者のただならぬ執念みたいのが、その本にはこめられている。

このように、戦後、我われの先輩たちの努力によって再興した江戸木遣は、昭和31年に東京都の無形文化財に指定されるという幸運にめぐまれ、それが会員たちの励みにもなって、各方面で老いも若きも集まって練習に励んでいる。現在、東京都無形文化財に指定されている“江戸鳶の木遣”の数は110曲となっている。

江戸町火消関係資料2 町火消用各種火の見櫓

「江戸町火消合印控」より