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2017年10月18日(水)
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鳶頭政五郎覚書

鳶頭政五郎覚書

3.江戸鳶の木遣
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(1)起源は全国の労働歌

そもそも“木遣(きやり)”という言葉が“木を遣(や)り渡す”、すなわち“木を運ぶ”とか“木を移動させる”という意味であることはよく知られている。『人倫訓蒙図彙(じんりんくんもうずい)』(元禄3、1690刊)や『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』(正徳2、1712)などの昔の本にも、リーダーが采配を振るようすとか、大木を大勢で曳いている図が入って説明されている。木遣唄(きやりうた)とはその作業のときに声をそろえて歌う唄で、大木や岩石を運搬するときに、みんなの力を1つにするために歌わなくてはならない労働歌だった。
徳川家康による江戸入府以来、江戸の建設のために全国津々浦々から労働者たちが集まってきた。幕府による江戸城下町の建設には、江戸城の改築よりはじまって、大名屋敷や寺院の建立など、多くの土木建築の工事がおこってきて、そのためにあらんかぎりの職人が江戸に入ってきた。江戸に行けば仕事がある、食うには困らないということで、建築・土木ほか、あらゆる職種の人びとが、江戸に向かって移動してきた。
そういった人たちが、自分の国から、いろいろなものを江戸にもちこんできたものの1つが労働歌だった。自分の地方で仕事しながら歌っていた唄、田植えとか稲刈りなんかのときに歌っていた地唄を、そのまま江戸にもってきて、江戸の仕事をしながら歌っていた。そのなかで、とくに山から木を伐り出すときとか、重い物を移動したりするときにみんなの力を1つにするための素朴な掛け声のような歌が、建築の基礎を固める地形(じぎょう)のための鳶の作業唄として歌われるようになった。重い材木を運びだすときに唄われた“木遣唄”が、江戸における土木作業での鳶の“木を遣る唄”となった。そして、享保年間以降は鳶が町火消も兼ねることになったことから、鳶と火消が歌う“江戸木遣”となって幕末までつづいていったと考えられる。
全国の労働歌が江戸に集まってきて、だんだんと整理されてできた江戸木遣だから、私らが現在歌っている曲の題名にも、“田唄”“日光”“酒田”“越後”“軽井沢”など作業の名前や地名のがたくさんある。源をたどれば、その地方からもってきた歌が今に伝わって、江戸木遣として残っているんだろうから当然のことなんだけどね。


木遣定本の
表紙から
木遣定本の目次から(地名が多い)
木遣定本は、昭和28年6月に第1回発行。
その後昭和35年、36年にも発行された。

いまでこそ江戸木遣はご祝儀や祭礼に歌われているが、元来は地形のときに鳶が歌う作業唄だった。“木遣地形”とか“櫓地形”っていって、櫓を組んだ上に鳶が何十人も乗り、長さ何間といった欅でできた“真棒(しんぼう)”を、縄で曳っ張り上げては落とす作業の調子とりに歌われたもので、まる1日つづく作業のあいだじゅう歌いつづけられた。このことから、木遣は鳶職の商売道具ともいわれ、かならず習得しなければならないものになっていった。木遣のことを“ずん”、ともいうんだけど、この“ずん”ができる者とできない者では出面(でづら)(日当)がちがったほどだった。

町火消となってからの鳶職は町抱えとなって、その町の名主や大店(おおだな)との関係を強くしていって、火事のときだけでなく、町のさまざまな行事に参加したわけだけど、その最たるものがお祭りとなる。このときの準備や警護、片付けといったものすべてが鳶の仕事となったが、ここで出る山車(だし)とか獅子頭が練り歩くときの先導役として、木遣がそのまま使われるようになった。山車の前方に鳶たちが並んで、そろいの半纏、花笠、黒骨牡丹の扇子などをかざして木遣を歌いながら町じゅうを練った。江戸時代、鳶の世界を中心にして木遣が唄われ、維持継承されたのも、このような町鳶と町火消の不離の関係があったればこそということになろう。本来は作業唄であった木遣が、江戸時代においては鷲職のたしなみとして、労働唄としてのみならず、儀式の音楽として伝承されてきたといえる。


深川八幡祭り 連合渡御
江戸消防記念会の木遣で送られる。
下町情報誌 深川 2002年別冊号より