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2017年10月20日(金)
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鳶頭政五郎覚書

鳶頭政五郎覚書

2.町鳶・町火消と江戸の町
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(2)江戸町火消の創設

いっぽう、このような生業の鳶のほかに、かつては我われのもういっぽうの稼業だった町火消の流れというのがあった。
ご存じのとおり、徳川様が天正18年(1590)に江戸にご入府なされてから、だいたい100年下ったところが元禄、それからさらに約30年たったとこが享保年間となり、その享保3年(1718)に、名裁きで知られた南町奉行の大岡越前守がこの町火消の制度を創設した。去年(1995)、NHKの日曜大河ドラマで、八代将軍『吉宗』というのをやってましたが、あそこらへんの時代に町火消の制度ができたわけです。
いろは四十八組(創設当時は47組だったという説もある)、隅田川の川向こうの本所深川十六組、計64組の町火消のはじまりで、実は、これ以前にも“店火消(たなびけし)”というのができていた。これは、大店(おおだな)の番頭だとか丁稚(でっち)、また裏の長屋にいる大工、鳶、左官といった、いろんな稼業が寄り集まって小さな組織をつくり、一朝火事が出たときは消火にあたったわけですが、所詮は寄せ集めの火消ですから、いざとなると烏合の衆でなかなか消火もうまくいかない。そこで、その代わりにできたのが江戸町火消となる。
もちろん、武家のほうにも以前から武家火消というのがちゃんとあって、藩の上屋敷なんかで自警的に組織されていた消防組で、大名火消とか奉書火消、あるいは江戸城の警護にあたる定火消(じょうびけし)なんかがあったが、こちらは城内の火災や自分たちの屋敷とか神社仏閣といった所しか消火にあたらない。町家の火事なんか、そんなもんはものの数に入らなかった。とはいっても、江戸開府以来、八百八丁といわれる町並が形成されていくなかで、火事は武家からも出れば町家からも出る。とくに有名になっている明暦の大火(1657)は、開府以来70年のところで起こり、かなり町の形が整ってきたときに江戸じゅうがそっくり灰になっちゃった。そういったときに、これはうちじゃない、武家だ町家だって言ってられなくなった。

加賀鳶繰出之図(1)
(加賀鳶は江戸の前田藩の火消組織で大名火消の代表的存在であった。)

加賀鳶繰出之図(2)

加賀鳶繰出之図(3)

加賀鳶繰出之図(4)

加賀鳶繰出之図(5)

だいたい都市というのは、ご存じのとおり大きな火事があるたびに整備され、また大きくなっていくわけで、この明暦の後、元禄時代をへて享保年間のころには、とてもそれまでの火消組織では間に合わなくなってきた。商業も発達して、京大坂に負けないような大商人も出てきていた。大店の数も増えてきた。そうなると、おまえたちの所はおまえたちでやれよ、というんで店火消や町火消ができてきた。
そのように町火消は制度上できたけど、じゃあ誰がそれを専業でやるんだとなると、その町のことは諸事万端知っていて、仕事がら高い所は大丈夫ということになって、大岡様のお考えもあり、鳶の者が選ばれることになった。
当時は、五郎兵衛(ごろべえ)町っていえば五郎兵衛さんの町内、久世町といえば久世様のという、全部俺の町内という意識が強かったから、自分の所は自分たちで守らなければいけないということになり、町内の仕事師、鳶の者に白羽の矢が当てられた。それに沿って、それぞれの地域の親方が若い者をまとめて、町火消を組織、普段は鳶の仕事やりながら、いざ町内に火事が出たときは、即座に火消となって火事場に駆けつけるという形ができあがった。

町火消「ま組」の勢揃い
鎮火安心図巻より

いろは四十八組および本所、深川十六組の纏(かわら版)

江戸町火消は都合あわせて64組という大きい組織になっていくわけだけど、この“いろは”組の名前の由来について伝えられてきている話がある。1つは祐天上人(1637ー1718)という方がいて、芝の増上寺(ぞうじょうじ)に御成になったとき、それまで何かと火災の多かった境内の防火のために一計を案じて、建物一切に“いろは”番付けで名前を付け、それぞれの防火責任者をおいた。責任者はこの建物だけ気をつければいいというので効果抜群、火災が激減したということから、大岡様がその“いろは”を江戸町火消に使ったという。また一説には、幕府に仕えた儒者の荻生徂徠(おぎゅうそらい)(1666ー1728)が建議したともいわれている。ただ、いろは48文字のなかで、へ(屈)・ひ(火)・ら(魔羅)と、んの4文字は火消組の名前としては適切でないということで、代わりに“百、千、万、本”の4組を当てた。いずれにしても、江戸町火消という組織は、大岡越前守によってつくられたことはまちがいない。

江戸町火消関係資料1 町火消道具その1 大指俣・大鋸・火事頭巾
「江戸町火消合印控」より
(監修 山口政五郎 原筆 浮島彦太郎 発行元 (財)日本鳶伝統文化振興財団 以下同じ)