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2017年10月21日(土)
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鳶頭政五郎覚書

鳶頭政五郎覚書

1.町鳶に生きる
(1) (2) (3)

(2)親父の思い出

うちの親父は、本当に火事というか鳶が好きで、もう好きで好きでやってる人で、ほかの事は何にも考えないって言ってもいいほどの人だった。戦前、非番のときは、詰所に行かず家にいるわけだけど、
「政、今夜あたり、こりゃーアレだぞ、ガーっとなったらかなり燃えちゃうぞ」
なんて言って張り切っちゃってる。枕元に、ちゃんともう自分の着る物は真田紐(さなだひも)で結わえて、ひとっこぎにしてあり、そこに鳶口がさしてある。詰所に行くときの恰好なんだけどね。いつもそうやって置いてあった。冬、今日おかしいなっていうと、親父は股引の上に刺子の股引をはく。刺子の股引っていうのは、はくのがなかなか大変なんだよ。それで岡足袋(おかたび)をはき、サッと出られるようにわらじはいて寝てるんだからね。また、わらじはいたまま寝てもいいような家なんだよ。詰所がそうだから、家でも詰所の恰好でもっているわけよ。それはもう段取りなんだね。親父がよく言ってたけど、ぎっくり腰で寝てるやつが、「火事だ」って言ったら治っちゃったっていうんだけど、うちの親父もそういう人だったよ。
正月6日の出初式なんていうと、もう5日の夜から一睡もしないというくらいに緊張して6日を迎え、体を清め、あらす(新品)の半纏、股引、腹掛(はらがけ)、わらじばきと、準備万端ととのえる。そして、夜中の2時、3時になると、もう戸あけっぱなしにして、打ち水して、ガンガン焚き火して、朝の4時になるのを待っていた。うちのまわりはみんな長屋住まいだったから、近所の人たちは何ごとかと思ったろうね。

明治時代の出初風景 風俗画報 江戸の華より

火消の仕事となると、隣近所への迷惑なんかそんなこと全然おかまいなしの親父だった。それで、さっきの記事にも書いてあったように、朝の6時には宮城前にみんな集まってきていた。そうやって、火消として1年の初仕事の出初めに行って、帰ってくる。そういうのに、私は2歳のときから毎年連れて行かれていたんだから、途中戦争のために中断した年を除いて、65歳の今日まで、出初式無欠勤ということになる。
いま振り返ってみて、そういう親父はそれなりに偉かったんだと思うようになってきた。私にも伜(せがれ)もいれば孫もいるけど、自分の子供たちに親父が私にしてくれたようなことはできなかった。毎日の生活から1年間の組合の行事、そして身につける衣装まで、あれだけ火消の仕事に徹しきって、私にたたきこんだ執念みたいなものに、自分が親父の立場になってみて、よくやったもんだと感心している。
新聞に出ていた私が着ていた半纏にしたって、江戸消防第一区十番組の大人の半纏とおなじ柄で、それをわざわざ6歳の私の体に合わせて仕立てたもの。子供に半纏、それも自分とこの組半纏作って着せるなんての、そう簡単なことではなかった。毎年どんどん背が伸びるから、その度に特別注文になってしまう。大人の半纏も子供の半纏も値段はおなじ、実際は子供のほうが高くつく。背文字にしても腰模様にしても、子供用にわざわざ小さい型を起こさなくてはならないわけだから、生地は少しで済むけど、それがかえってやっかいのもとになる。大量生産の安い祭り用の子供半纏とちがって、私たちの稼業だけの半纏で、紺屋(こうや)にしても、だからといって大人ものより高くとるわけにもいかない。