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2017年12月16日(土)
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全国統一防災標語
生活の一部にしよう火の点検 (昭和49年度)shim幸せを明日につなぐ火の始末 (昭和50年度)shim火災は人災 防ぐはあなた (昭和51年度)shim使う火を消すまで離すな目と心 (昭和52年度)shimそれぞれの持場で生かせ火の用心 (昭和53年度)shimこれくらいと思う油断を火が狙う (昭和54年度)shimあなたです! 火事を出すのも防ぐのも (昭和55年度)shim毎日が防火デーです ぼくの家 (昭和56年度)shim火の用心 心で用心 目で用心 (昭和57年度)shim点検は防火のはじまりしめくくり (昭和58年度)shim“あとで”より“いま”が大切 火の始末 (昭和59年度)shim怖いのは「消したつもり」と「消えたはず」 (昭和60年度)shim防火の大役 あなたが主役 (昭和61年度)shim消えたかな! 気になるあの火 もう一度 (昭和62年度)shimその火 その時 すぐ始末! (昭和63年度)shimおとなりに あげる安心 火の始末 (平成元年度)shimまず消そう 火への鈍感 無関心 (平成2年度)shim毎日が 火の元警報 発令中 (平成3年度)shim点検を 重ねて築く“火災ゼロ” (平成4年度)shim防火の輪 つなげて広げて なくす火事 (平成5年度)shim安心の 暮らしの中心 火の用心 (平成6年度)shim災害に 備えて日頃の 火の用心 (平成7年度)shim便利さに 慣れて忘れる 火のこわさ (平成8年度)shimつけた火は ちゃんと消すまで あなたの火 (平成9年度)shim気をつけて はじめはすべて 小さな火 (平成10年度)shimあぶないよ ひとりぼっちにした その火 (平成11年度)shim火をつけた あなたの責任 最後まで (平成12年度)shimたしかめて。火を消してから 次のこと (平成13年度)shim消す心 置いてください 火のそばに (平成14年度)shimその油断 火から炎へ 災いへ (平成15年度)shim火は消した? いつも心に きいてみて (平成16年度)shimあなたです 火のあるくらしの 見はり役 (平成17年度)shim消さないで あなたの心の 注意の火。 (平成18年度)shim火は見てる あなたが離れる その時を (平成19年度)shim火のしまつ 君がしなくて 誰がする (平成20年度)shim消えるまで ゆっくり火の元 にらめっ子 (平成21年度)shim「消したかな」 あなたを守る 合言葉 (平成22年度)shim消すまでは 出ない行かない 離れない (平成23年度)shim消したはず 決めつけないで もう一度  (平成24年度)shim消すまでは 心の警報 ONのまま (平成25年度)shimもういいかい 火を消すまでは まあだだよ (平成26年度)shim無防備な 心に火災が かくれんぼ (平成27年度)shim消しましょう その火その時 その場所で (平成28年度)shim火の用心 ことばを形に 習慣に (平成29年度)shimあなたは火事の恐ろしさを知らない (昭和43年度)shim今捨てたタバコの温度が700度 (昭和44年度)shim防火三百六十五日 (昭和45年度)shimいま燃えようとしている火がある (昭和46年度)shim慣れた火に 新たな注意 (昭和47年度)shim隣にも声かけあってよい防火 (昭和48年度)

6.昭和20年代の消防

災害の状況消防制度消防機関の状況予防

昭和20年代の消防

(4)予防

占領下の東京で始まった火災予防
 火災予防業務の必要性は、明治末期のころから提案されてはいたが、建築、保安、風俗等の諸行政の中に包含され、それぞれを主管とする部局の仕事となっていた。しかし、成果はあまりみるべきものがなく、一方、消防も、事実行為として各種調査や指導、注意あるいは防火講演などを行ってはいたが、積極的なものではなく、年中行事的なものに終始していた。したがって提案されてはいたものの、火災予防業務は形を見ぬまま終戦を迎えたのである。
 こうしたわが国の消防の姿を目の当たりにした総司令部は、「火災予防に関する事項は、消火の責任をもつ消防当局が実施すべきであり、そのための組織を確立すべきである」との趣旨の覚書を警視庁消防部長に手交してきたことから、これを受けて昭和21年9月、警視庁消防部に予防課を、各消防署には予防係を設置することとなった。
 これに伴い、予防検査員による進駐軍関係施設並びに一般住宅等の火災予防査察業務が開始されることとなった。昭和22年4月、総司令部からの要請に基づき、警視庁消防部は、進駐軍関係建物の火災の予防と警戒のため多数の消防職員を派遣した。この派遣職員に対し総司令部は、火災予防措置に関する強力な権限を付与したのである。ここにおいて、従来火を消すことのみ終始していた消極消防から、行政的権限をもち火災予防面を中心とした積極消防へと移行していくうえで必要な多くの貴重な体験を重ね、特にこのことがその後の予防行政の確立への礎石となった。
 また、警視庁消防部は、総司令部の指導のもとアメリカの火災予防週間に倣い、昭和21年10月21日から27日までの1週間、都下全域にわたる戦後初の火災予防運動を実施した。年中行事としての火災予防運動は、昭和5年に大日本消防協会(現在の日本消防協会の前身)と府県消防協会の共催で、京都、大阪など2府3県において「防火デー」の名称で行われたのが最初である。以来、毎年実施されてきたが、戦争の激化とともに低調となっていった。このとき実施された火災予防運動は、さすがにアメリカに倣っただけあり、その規模、期間、内容において防火デーを凌駕するものとなった。

防火講演と演劇のタベ(日比谷公会堂)

(「東京の消防百年の歩み」より)

 火災予防期間中、火の元検査も実施されたが、従来の年1回の予防週間中の形式的な行事としての火の元検査でなく、火災予防という総体的見地からの家屋査察が実施され、かつ今後もこれを予防業務の一環として定着させようという前進的な意図があったがため、実施に先立っては消防部において講習を行い、各消防署においてもそれぞれに専門家を招いて火災予防に関する講習会を開催するなど、非常に熱心に専門的知識の習得と向上に努めた。したがって戦前の火の元検査と比べると隔世の進展がみられたものである。
 また、初日の21日正午、日本橋・白木屋を想定火点として、日米消防合同訓練が行われた。これにはポンプ自動車17台、救急車2台、はしご自動車1台、消防艇3艇に東京消防隊のポンプ自動車3台が参加し、その規模、想定ともに当時としては比類のない大演習であり、この運動中でも出色の効果をあげた一つであった。
 さらに各消防署においても、消防署と警防団、自衛消防との連合訓練、一般船舶と消防艇との合同訓練、街や学校や工場などの各所で消防・救急訓練が実施され、都民に消防への認識と防火への関心を高めてもらうことに大いに貢献したのである。

拡声機による火災予防宣伝

(「東京の消防百年の歩み」より)

 新生消防は、それまでの火消し的消防から脱却して、新たに火災予防に力を注ぐこととした。近代消防は、火災を鎮圧して終了というのではなく、いかに火災を発生させないか。火災の後に消防が出てくるのではなく、火災の前にも消防が存在すべきだと考えたのである。よって、昭和23年7月24日公布された消防法は、特に火災予防を重視したものとなった。同法の制定により、これまで事実行為としか認められなかった行為に法的裏づけがなされたにとどまらず、従前の警察にはなかった予防行政上の新たな権限が広く消防に与えられたのである。
 すなわち、消防法において、「火災の予防のための措置」「建築同意」「危険物の規制に関する事項」「消防の設備等」「火災の調査」などが規定され、ここに火災予防に関する制度は、初めて体系的なものとして確立され、自治体消防の内容を豊富にしていったのである。
 とはいえ火災予防は、消防に権限が与えられればそれで事足りるというものではなく、国民一人ひとりに火災予防に対する意識の向上がなくては実現不可能である。そこで国家消防本部(昭和27年国家消防庁を改称)は、防火思想の向上を目的に、春秋2回にわたって全国統一火災予防運動を実施することとし、昭和28年秋から実施した。