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2017年12月14日(木)
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全国統一防災標語
安心の 暮らしの中心 火の用心 (平成6年度)shim災害に 備えて日頃の 火の用心 (平成7年度)shim便利さに 慣れて忘れる 火のこわさ (平成8年度)shimつけた火は ちゃんと消すまで あなたの火 (平成9年度)shim気をつけて はじめはすべて 小さな火 (平成10年度)shimあぶないよ ひとりぼっちにした その火 (平成11年度)shim火をつけた あなたの責任 最後まで (平成12年度)shimたしかめて。火を消してから 次のこと (平成13年度)shim消す心 置いてください 火のそばに (平成14年度)shimその油断 火から炎へ 災いへ (平成15年度)shim火は消した? いつも心に きいてみて (平成16年度)shimあなたです 火のあるくらしの 見はり役 (平成17年度)shim消さないで あなたの心の 注意の火。 (平成18年度)shim火は見てる あなたが離れる その時を (平成19年度)shim火のしまつ 君がしなくて 誰がする (平成20年度)shim消えるまで ゆっくり火の元 にらめっ子 (平成21年度)shim「消したかな」 あなたを守る 合言葉 (平成22年度)shim消すまでは 出ない行かない 離れない (平成23年度)shim消したはず 決めつけないで もう一度  (平成24年度)shim消すまでは 心の警報 ONのまま (平成25年度)shimもういいかい 火を消すまでは まあだだよ (平成26年度)shim無防備な 心に火災が かくれんぼ (平成27年度)shim消しましょう その火その時 その場所で (平成28年度)shim火の用心 ことばを形に 習慣に (平成29年度)shimあなたは火事の恐ろしさを知らない (昭和43年度)shim今捨てたタバコの温度が700度 (昭和44年度)shim防火三百六十五日 (昭和45年度)shimいま燃えようとしている火がある (昭和46年度)shim慣れた火に 新たな注意 (昭和47年度)shim隣にも声かけあってよい防火 (昭和48年度)shim生活の一部にしよう火の点検 (昭和49年度)shim幸せを明日につなぐ火の始末 (昭和50年度)shim火災は人災 防ぐはあなた (昭和51年度)shim使う火を消すまで離すな目と心 (昭和52年度)shimそれぞれの持場で生かせ火の用心 (昭和53年度)shimこれくらいと思う油断を火が狙う (昭和54年度)shimあなたです! 火事を出すのも防ぐのも (昭和55年度)shim毎日が防火デーです ぼくの家 (昭和56年度)shim火の用心 心で用心 目で用心 (昭和57年度)shim点検は防火のはじまりしめくくり (昭和58年度)shim“あとで”より“いま”が大切 火の始末 (昭和59年度)shim怖いのは「消したつもり」と「消えたはず」 (昭和60年度)shim防火の大役 あなたが主役 (昭和61年度)shim消えたかな! 気になるあの火 もう一度 (昭和62年度)shimその火 その時 すぐ始末! (昭和63年度)shimおとなりに あげる安心 火の始末 (平成元年度)shimまず消そう 火への鈍感 無関心 (平成2年度)shim毎日が 火の元警報 発令中 (平成3年度)shim点検を 重ねて築く“火災ゼロ” (平成4年度)shim防火の輪 つなげて広げて なくす火事 (平成5年度)

3.大正期の消防

関東大震災消防制度消防資機材等

大正期の消防

(3)消防資機材等

望楼
 火の見櫓という名称が、現在のように望楼と改められたのは大正時代になってからのようである。大正5年(1916)には、望楼の中に初めて風速計が設置された。空襲が激しくなった昭和18年には、望楼全体を枝葉で覆って偽装したり、爆風よけとしてトタンや厚板を張り巡らした。占領下にあった昭和22年には、総司令部の指導のもと、火災発見により正確を期すため望楼に分度盤が置かれるようになった。
 昭和30年代には塔屋式や煙突式の新しい望楼が登場し、火災発見に大いに貢献することになるが、やがて高層建物が増えて視界がふさがれるようになり、また電話の普及により電話による火災通報が増え、望楼の役割は時代とともに減少していった。

消防ポンプ自動車
 大正3年(1914)3月から約4か月間にわたって東京の上野公園で大正博覧会が開催された(主催は東京府)。世界の科学技術の粋を一堂に集めたものであり、ここにイギリスのメリーウエザー社とドイツのベンツ社が、それぞれ消防ポンプ自動車を出品しており、これを横浜市と名古屋市が1台ずつ購入して、わが国で初めて使用することとなった。東京は、それから3年遅れて大正6年(1917)の導入となった。

大正中期のポンプ車

(「やさしい消防のはなし」より)

関東大震災後輸入したアメリカアーレンフォックス社製ポンプ自動車
(大正13年−昭和21年)

(「東京の消防百年の歩み」より)

関東大震災後輸入したアメリカスタッツ社製A型ポンプ自動車
(大正13年−昭和21年)

(「東京の消防百年の歩み」より)

火災専用電話
 大正6年、わが国で最初の火災専用電話が、東京の消防機関に設置された。これは消防部、消防署、消防出張所に公衆電話に接続した火災報知専用の電話を設備したもので、電話局の交換手に「火事」と告げると、最優先に火点近くの消防機関に接続され、出火場所を知らせるという仕組みであった。
 しかしながら、運用開始当初は有料であったため、往々にして報知をためらうことがあったため、大正8年からは火災通報は無料で扱うこととなった。

消防部の火災専用電話受信室

(「東京の消防百年の歩み」より)

火災報知器
 火災専用電話は、当時まだ加入電話や公衆電話が少ないうえ、深夜の利用に不便をきたし、また語呂の似た町名は聞き誤りがあるなど、利用に際して問題点が少なくなかった。火災報知機は、こうした不備を補う手段として、大正9年東京日本橋区に24基設置されたのが始まりである。設置当初は、火災盗難報知器と呼ばれ、火災だけでなく、盗難あるいは危急の事件に遭遇、覚知した場合に、消防機関または警察機関に通報するための発信機であった。

街頭に設置された火災報知機

(「東京の消防百年の歩み」より)

119番通報
 関東大震災で壊滅した東京の電話機構は、復興にあたり新しい自動交換方式を取り入れ、大正15年からダイヤル式即時通話となった。これに伴い火災専用電話に「112番」の専用番号が用いられたが、この番号は誤接続が多いため、昭和2年から末尾番号の2を局番号として未使用の9に改め、今日に至っている。

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(「東京の消防百年の歩み」より)