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2017年10月24日(火)
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いま燃えようとしている火がある (昭和46年度)shim慣れた火に 新たな注意 (昭和47年度)shim隣にも声かけあってよい防火 (昭和48年度)shim生活の一部にしよう火の点検 (昭和49年度)shim幸せを明日につなぐ火の始末 (昭和50年度)shim火災は人災 防ぐはあなた (昭和51年度)shim使う火を消すまで離すな目と心 (昭和52年度)shimそれぞれの持場で生かせ火の用心 (昭和53年度)shimこれくらいと思う油断を火が狙う (昭和54年度)shimあなたです! 火事を出すのも防ぐのも (昭和55年度)shim毎日が防火デーです ぼくの家 (昭和56年度)shim火の用心 心で用心 目で用心 (昭和57年度)shim点検は防火のはじまりしめくくり (昭和58年度)shim“あとで”より“いま”が大切 火の始末 (昭和59年度)shim怖いのは「消したつもり」と「消えたはず」 (昭和60年度)shim防火の大役 あなたが主役 (昭和61年度)shim消えたかな! 気になるあの火 もう一度 (昭和62年度)shimその火 その時 すぐ始末! (昭和63年度)shimおとなりに あげる安心 火の始末 (平成元年度)shimまず消そう 火への鈍感 無関心 (平成2年度)shim毎日が 火の元警報 発令中 (平成3年度)shim点検を 重ねて築く“火災ゼロ” (平成4年度)shim防火の輪 つなげて広げて なくす火事 (平成5年度)shim安心の 暮らしの中心 火の用心 (平成6年度)shim災害に 備えて日頃の 火の用心 (平成7年度)shim便利さに 慣れて忘れる 火のこわさ (平成8年度)shimつけた火は ちゃんと消すまで あなたの火 (平成9年度)shim気をつけて はじめはすべて 小さな火 (平成10年度)shimあぶないよ ひとりぼっちにした その火 (平成11年度)shim火をつけた あなたの責任 最後まで (平成12年度)shimたしかめて。火を消してから 次のこと (平成13年度)shim消す心 置いてください 火のそばに (平成14年度)shimその油断 火から炎へ 災いへ (平成15年度)shim火は消した? いつも心に きいてみて (平成16年度)shimあなたです 火のあるくらしの 見はり役 (平成17年度)shim消さないで あなたの心の 注意の火。 (平成18年度)shim火は見てる あなたが離れる その時を (平成19年度)shim火のしまつ 君がしなくて 誰がする (平成20年度)shim消えるまで ゆっくり火の元 にらめっ子 (平成21年度)shim「消したかな」 あなたを守る 合言葉 (平成22年度)shim消すまでは 出ない行かない 離れない (平成23年度)shim消したはず 決めつけないで もう一度  (平成24年度)shim消すまでは 心の警報 ONのまま (平成25年度)shimもういいかい 火を消すまでは まあだだよ (平成26年度)shim無防備な 心に火災が かくれんぼ (平成27年度)shim消しましょう その火その時 その場所で (平成28年度)shim火の用心 ことばを形に 習慣に (平成29年度)shimあなたは火事の恐ろしさを知らない (昭和43年度)shim今捨てたタバコの温度が700度 (昭和44年度)shim防火三百六十五日 (昭和45年度)

2.明治期の消防

主な大火消防制度消防資機材等

明治期の消防

(2)消防制度

町火消から消防組へ
 明治新政府は、長い歴史を持つ江戸の消防制度に対しても次々に改革の手を加えていった。武家火消はことごとく廃止され、明治元年(1868)5月19日、これに代わる火災防御隊という消防組織が定火消の役員等に編成され、軍務官に属することとなった。さらに明治5年(1872)4月、いろは48組及び本所・深川16組の総称である町火消の名を「消防組」と改め、新たに消防組を39組編成して、これを六大区(東京府の所管に属し市中の取締りを行っていたところ。後の警察署に相当)に配置して○大区×番組と称するようになった。この時、江戸末期には1万359人いた町火消も約4分の1の2,558人に減ってしまった。
明治7年(1874)12月には、消防組の詰所である消防屯所を、東京市内25か所に設け、交替で勤務することとし、火災の多い11月から4月までは夜間も交替で当直する勤務体制をとることとした。これが交代制勤務制度の始まりである。また、この時に設けた消防屯所制度が、後の消防分遣所、消防分署制度へと発展していった。

消防章程
 明治7年、消防組員に対して、旧来の鳶人足という古い思想を打破するとともに、規律を正し、進退賞罰を明らかにし、服務の心得を説き、また消防人としての在り方を示した「消防章程」を制定した。第1条はこう示されている。

人民ノ損害タル火災ヨリ甚シキハナシ消防一夕ヒ其機ヲ誤ルトキハ蔓延救フヘカラス遂ニ貴重ノ人命ヲ毀損シ国財ヲ蕩燼シテ貲ラレサルニ至ル故ニ警保ノ職ニ在テ尤モ緊要ノ事務トナス

 その他、役割に応じた手当ての額、消火活動中に万一死亡した場合や負傷した場合における扶助定則(今日の公務災害補償にあたる)等、細かく規定されている。ここに江戸消防から脱皮して、消防の近代化を図るべく、その方向づけが示された。


(「やさしい消防のはなし」より)

公設(官設)消防の制度誕生
 明治維新後、東京府、司法省警保寮、東京警視庁などと所管が転々としていた消防事務は、明治13年(1880)6月1日、内務省警視局のもとに創設された消防本部の所管となり、このとき今日の消防吏員にあたる消防職員(官)が採用されるとともに、消防本部職制度が制定され、ここにわが国初の公設消防機関(現在の東京消防庁の前身)が誕生した。
 これにより消防業務の執行が一応、警察事務と区別されて行われることになったのだが、消防本部が誕生して約半年後の明治14年(1881)1月14日、警視庁が再設置されたことに伴い、警察、消防の事務は一切警視庁に移管されることとなり、消防本部は消防本署と改称された。以後、自治体消防制度が発足するまでの70年間にわたり、わが国の消防は警察機構の中に属することとなる。

消防本署に配置した輸入蒸気ポンプ

(「東京の消防百年の歩み」より)(警視庁提供)

 また、明治22年(1889)4月1日、大阪にも市制が施行され、消防規則も改正されて消防手の手当ても市負担となり自治体消防の先鞭をつけた。その後、明治43年(1910)には勅令によって大阪市消防規定が設けられ、大阪市の消防は大阪府に移管され、府警察部長の管掌のもとに常備消防の制度が敷かれることとなった。これに伴い大阪市の東、西、南、北に4消防署が設置され、経費は国又は府費をもって賄われた。

新設された東消防署

(「大阪市消防五十年のあゆみ」より)

消防組規則の制定
 消防組は、明治時代の民間組織として唯一の社会的組織体であり、行動力を持った団体であった。そのため政党運動の下部組織として利用され、明治25年(1892)の衆議院選挙では流血事件に巻き込まれるという事態も起こった。そのため公設消防組や私立消防組の抜本的改革を行う必要があり、明治27年(1894)2月9日、勅令第15号をもって「消防組規則」を制定し、消防組の組織及び基準を定め、これを府県知事の官掌としたものである。これに伴い、各府県では、これに係る施行細則を制定した。